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フラックスの咲く丘 ~祖父が語る、秘められた愛の記憶~

作者: 竹笛パンダ

 僕は医者を目指した。普通の医者じゃない……。

 昔、じいちゃんとばあちゃんの出会いに、深くかかわった

 ひとりの女性……メアリー先生のように医者に。

 人の命を“守る”だけじゃない。

「託される」医者になりたいと、そう思った。


 僕がそう思うようになったのは、じいちゃんが僕を連れ出した、あの旅路のことだ。


「賢治、悪いが今度の週末、付き合ってくれ。」

 珍しくじいちゃんが声をかけてきた。

「ああ、いいよ。何か用事でもあるの?」

「ちょっと出かけたいところがあってな。」


 少し脳梗塞の後遺症で安全運転に疑いが出てきたじいちゃんは、昨年免許証を返上した。その代わりと言ってはなんだけど、僕の車はじいちゃんのお下がり。免許取り立てなので、ぶつけても文句は言わないから、乗ってみなさいと言われて大きいセダンに乗っている。友達からは、ボンボンの車とからかわれるけど。

 じいちゃんは旅が好きで、ばぁちゃんと旅行に出かけていた。ばぁちゃんの膝が悪くなってからはもう行っていないけど。

「若い頃はよくドライブデートしていたものね。」

 旅好きのじいちゃんは、思いつけばすぐに出かけるような人だという。ばぁちゃんが何の気なしに、


「おいしいラーメンが食べたいわ。」と言ったら、わざわざ横浜の有名ラーメン店の家系ラーメンを食べに行く。チェーン店が地元にあるのに、

「商売っ気のあるチェーン店より、元祖が美味い。」と言って高速道路で2時間もかけて、ラーメンを食べに行くんだ。その時には帰りにばぁちゃんの好きな水族館とかに寄って、しっかりご機嫌は取っている。

 それで、どこに行くんだ?じいちゃんと聞くと、しばらく黙ってから、

「あれは、どこだって言ったかな。景色は覚えてはいるんだが……。」

 さすがにそれでは連れてはいけないというと、ばぁちゃんが、

「もうそんな季節になりましたねぇ。」という。

 ばぁちゃんに行き先を聞こうとしても、自分は車を運転したことがないからよくはわからないという。ただ、

「あれは、東伊豆だったかしらね。」という。

「まぁ、昔は毎年のように行っていたんだから、行けばわかると思う。」

 でもさ、東伊豆って、ここから何時間かかるんだよ。そもそも僕は行ったことがないし。

「ガソリン代と昼飯ぐらいは出してやるよ。」と気軽に言うが、僕にはさっぱり訳が分からない。

「まあ、どういうところかは、車で話をするよ。」と言って僕にお金を渡して、

「これで満タンにしておいてくれ、お釣りは小遣いにとっておけ。」

「あ、それからハイキングのように動ける服と、靴を忘れないようにね。そういうところだから、残念だけどばぁちゃんはついていけないのよ。」

 いったいどこに行こうとしているんだ?そんなことを思いながら、じいちゃんの家を後にした。


 約束の土曜日の朝、僕はじいちゃんを迎えに来た。

「おはようございます、今日はよろしくお願いします。」

「おはよう、賢治。朝飯はちゃんと食べて来たか?」

「ああ、大丈夫だよ、じいちゃん。」

「気を付けていくんだよ。」と見送るばぁちゃんが心配そうに声をかける。

 ナップサックに水筒と弁当、タオルを用意してあった。じいちゃんはトレーニングウェアにスニーカー、帽子をかぶっている。あまり見たことのない服装だ。僕はジーンズにTシャツ、スニーカーといつもの格好をしていた。

「先生に、よろしくね。」と、じいちゃんに言うと、花束を渡していた。

「それじゃ、行ってきます。」とばぁちゃんに手を振る。

 とりあえず、東名高速で厚木、そのあと小田厚で小田原、熱海でいいかな。

 行き先を聞いてもよくわからないし、地図にも載ってない場所。しかも歩かないといけないところに、いったい何があるっていうんだよ。

 首都高を出て東名に入ると、じいちゃんは今日の目的について話始めた。


「あれは、まだ俺が24歳の話だ。親父の紹介で、ある女性の運転手をすることになってな、メアリー先生という。年は当時で40歳くらいだったか。見た目は少し丸くて、身長もそれほどないが、やさしく、包容力のある人だった。」

「だから、当時女学生だった奈津も、メアリー先生によく懐いていたんだよ。」

 え、ばぁちゃんも出てくる話かなって、僕は楽しくなった。

「先生は、戦後の復興が進んだ後、経済は成長したがなかなか医療水準が上がらない日本に、赤十字医療使節団として訪れ、数年滞在してから帰国する予定だった。」

「だった?」と僕が聞くと、じいちゃんが静かにうなづいた。

「そうだな、本当は帰りたかったのだろうな。」じいちゃんがぼそっと言った。

「先生は、当時まだ流行していた結核の撲滅と患者の管理や感染対策の仕事に従事しながら、看護学生に授業をしたり、あちこちの大学病院やら研究会に呼ばれて、忙しかったんだよ。」

「それで、じいちゃんは先生とはどんな関係だったの?」

「いつも先生と通訳、案内人を乗せて車で連れていく仕事だよ。およそ講演会の会場では、時間通りに終わるからいいのだけど、会議になると帰りがいつになるかわからない。そこで専属の運転手が必要になったんだよ。」

「へぇ、そうなんだ。そういう仕事もあるんだね。」

「親父は役人だったから、免許はすぐに取るように言われた。喰いっぱぐれがないよう、車の運転でも何でもできるようになっておけって。」

 ひいじいちゃんは、役人だったんだな。知らなかったな。

「車は役所の公用車だったから、ちょっと大きくていいやつだったな。」

「メアリー先生は、俺がタバコを吸っているのを見ると、すぐにやめるように叱ってくれたよ。俺もまだ若かったから、『ノー、ほっといてくれ。』なんて言ったものだから、先生はレントゲン写真を見せて、『君の肺もいずれこうなる、私は若い友人をもう失いたくない。』って半泣きで言うから、それ以来吸わなくなった。本当に誰かを失ったのだな。先生の迫力に俺は背中が寒くなった。」

 じいちゃんが僕の父にタバコを吸うなと言っているのは、そういう経験があったんだな。

「先生は、会議で夜遅くなると、俺にラーメンをごちそうしてくれた。『夜鳴きラーメン』って知ってるか?」

「いいや、どっかのラーメン屋なの?」というと、

「昔はな、ラーメン屋が屋台を聞いていたんだよ。今みたいなキッチンカーじゃなくて、リヤカーで屋台を運んでいたんだ。ほら、役所は東京だろ、道端でよくおでん屋とか蕎麦屋、すしもあったかな。仕事帰りに一杯やる連中もいたが、その隣に車をつけて、ラーメンを食べる。出てきたのははなたれ小僧と金髪の婦人だよ、そりゃ注目されたもんだよ。」

「ラーメンをすする音の中で、先生は「日本の夜は賑やかね」と笑った。

 あの時の笑顔が、なぜか忘れられないんだ。」

 今なら軽くバズってるような話題だったんだろうな。

「そんな生活を2年くらいしていて、奈津が看護学校を卒業する年のこと、学校の帰りに先生が体調を悪くして、倒れたんだよ。」


 え、それでどうしたの?


「奈津が付き添って先生を宿舎まで運んだ。そこから先は先生も女性だから、看病は奈津がしたが、先生はかたくなに『早く帰りなさい、それから、必ず手洗いとうがい、用心のためにマスクをつけなさい。』と言っていた。それからもうここには来るなって言っていたけど、奈津はしばらく通っていたようだな。何回か宿舎で会っていたから。」

 ばぁちゃんとじいちゃんはその時の縁で結婚したんだな。

「先生も頑固だったけど、奈津も負けてはいなかったって、後で先生が笑って言っていた。」

「それから先生は仕事をしばらく休んだ。俺は先生の病院の付き添いに行っていた。そのころからはもう通訳は来なくなった。きっと先生が断ったのだろう。先生は車の後部座席との間に厚いビニールで隔ててから、『賢太、私のところに来るときにはマスクをすること、車から降りたら風通りをよくして消毒薬で拭くこと、ゴム手袋をして作業し、最後には手洗いうがいをすること。』と指示を出す。」

「じいちゃん、それって……結核だったのか。」

「そうだな、先生自身も患者と関わっていたのでな、しかも連日の仕事で休まることもなく、俺もほとんど毎日車に乗せていたからな。体が弱っていたのさ。」

 医者の不養生ってやつかな。責任感強そうだし、自分よりもみんなのために行動する人だったのだろうか。

 自分を後回しにしてまで、誰かのために走る人。

 そういう人に限って、誰にも助けられないまま、ひとりで倒れるんだよな。

「先生は、小さな咳をコンコンとしていたが、しばらく続いたため、検査をしたそうだ。結核が陽性ということがわかり、これからのことは役所が相談して決めると言っていたんだが、結核にかかっている人を飛行機にも船にも乗せられないということで、この国で療養することになったんだよ。」

 その時代の療養と言えば、隔離病院だよね。

「親父が取り計らって、稲取隔離病棟へ転属が決まってな。俺が車で先生を連れて行ったんだ。『あなたには女性の身の回りのお世話は難しいでしょ。』と言って奈津が一緒に行くってきかなくてな。先生と一緒には座れないから、助手席に乗せて行ったんだ。」


 あ、わかるよ、ばぁちゃんは気が強いからなぁ。


「これから行くところは昔、先生が診療をして、多くお患者さんのために尽くし、やがては自らも療養していたところで、今も眠っているところなんだよ。俺も年を取ってからはしばらく行っていないし、奈津の膝が悪くなってからはもう、一緒には行けなくなった。」

 うん、それで今日は花束を持っていくんだね。

「今日でお別れを言いに行くんだよ。きっとこれが最後になるだろうからね。」


 車は小田原を過ぎて海岸線を熱海へ、伊豆半島へと向かっていく。

「このまままっすぐ南でいいんだよね。」

「ああ、しばらくはそれでいい、近くなったらまた言うから。」


「それから先生は療養所に赴任したんだ。看護学校を出たばかりの奈津も『先生に師事する』と言ってついていってしまったんだよ。もちろんご両親も俺も反対したけどな。」


 それ、ばぁちゃんらしいよね。


「先生は、隔離病棟の中でも丁寧に診察をしていて、たとえ治療の見込みのない患者であっても、最期まで寄り添う医師でありたいと、それは立派な先生だった。」

 もう治るも込みがなくても、治療をあきらめなかった。すごいな。

「あとで親父に聞いたんだが、稲取には自ら希望して行くと言ってな、『自分も感染しているから、病棟で患者の世話ができるからちょうどいい。』と。」

「先生は陽性になったが、軽い咳程度でまだ人にうつしてしまうほどではなかったけど、いずれそうなるだろう。」

 自分から隔離病院の医師になるって、なかなか言えないよな。

「それならば、『しばらく医師の仕事からは遠のいていたけど、最期は患者のための医師でありたい。』そう言って、稲取に行ったんだよ。」

「俺は先生と奈津のために東京から買い物を運んだり、偉い人を連れて行ったりと、やはり車の運転をしていた。」

「先生とのお付き合いは続いていたんだね。」

「親父の計らいで、患者ではなく医師として稲取に行ったのだから、隔離されてはいなかった。ただ、病院の敷地外には出られなかったけど、奈津や俺とも会ってくれることはできた。」

「でなきゃ、じいちゃんたちは結婚してないよね。」

「そうだな、初めのうちはそれでうまくやっていたんだけどな、やはり病気は進行するものだから、1年が過ぎたころにはだいぶ症状が悪くなってきていた。」

「ある日、親父から先生が呼んでいると連絡があって、身の回りの物を積んで稲取に向かった。」

「病棟の入り口で、奈津と二人で待っていて、今すぐに奈津を連れて帰れと言ったんだ。もう診察は難しいほど体は弱ってきていて、これ以上は奈津を預かれないといってな。」

 え、じゃあ先生とはそれきりに?

「ところが、定期的に医療従事者は結核の検査をすることになっていてな、先生は検査するどころか患者になったので、検査はしないのだが、奈津がそこで陽転していて、感染の疑いがあるため、帰れなくなってしまった。俺は荷物を置いて一人で帰って来たんだよ。」

「奈津のご両親に合わせる顔がないって、先生も言っていたが、それどころか奈津は『これで先生のもとで仕事ができますね。』と言って、むしろ喜んでいたようにも思えたんだ。」

「強がっていたんだね、ばぁちゃん。」

「そうだね、その後先生が言うには、病棟の隅で泣いていたらしいからな。」

 そうだよね、その時のばぁちゃんの年って、今の俺より2つくらい上の女の人だから、どれほど悲しかったことだろうな。

「その後もまだ俺は先生の御用係だったから、東京と往復していた。先生の計らいで、奈津のご両親も一度だけ連れてきたことがあった。」

「先生と会ったんだね。」

「ああ、その時の父親は顔がくしゃくしゃになるくらいに泣いていて、もう二度と会えないことを覚悟したそうだ。母親は先生に頭を下げられたとき、こう言ったんだ。『この子も看護師としてここで働くからには覚悟はしていたと思います。どうか最期まで、先生のお供をさせてやってください。』って。」

「ひいばぁちゃんすごいな。」

「だろ?俺も父親もあんぐりだったよ。いざというときには腹をくくった女は強えっていうくらいだ。」

「それから俺は、もちろん親父と国のえらいさんの用事と、先生の身の回りの物、ついでに奈津の用事も済ませてやった。これは奈津の母親の頼みでな、ホントはできないんだが、出発してからこっそり奈津の家に行って荷物を受け取っていた。」

「それからひと月が過ぎたころ、事件は起こった。」

 じいちゃんは、少し顔を伏せて笑った。

 けれど、その目の奥には懐かしさと、少しだけ寂しさが滲んでいた。

「なんだよ、もったいぶって。」

「さてと、ここでコマーシャルだ。休憩するか。」


 車は熱海の市街地を抜けたところにある、長浜海水浴場の駐車場に入る。

「もう2時間たったか、少し休憩だな。昔はこんなところはなかったのだけどな。」

 新しい公園の駐車場で、僕はじいちゃんに写真を撮るように促した。

「車のボンネットに手をついてみてよ。じゃ撮るからなんかポーズね。」

 そう言って熱海の海を背景に1枚。すぐにばぁちゃんに送ってやった。

「そろそろ行こうよ、じいちゃん。話の続きも気になるからさ。」

「そうだな。」


 車は再び国道へ伊豆半島を南下していく。

「事件ってなんだよ。」

「まぁ、せかすな。俺にも心の準備が必要なんだ。」

 少しじいちゃんが黙った。そして意を決したかのように語りだした。

「先生のもとに、当時はなかなか手に入らなかった結核の特効薬、ストレプトマイシンが届いた。米軍経由でな。もちろん先生用にと、先生に治験の依頼があった。」

 おお、先生助かるよね。でも事件って何だろう。

「その時の先生の進行具合は、痰に細菌がいる、いわゆる感染が進んで人にうつす危険がある程度だった。でも、薬が効けば、細菌は死滅してよくなっていくだろう。誰もが自分自身に使うと思っていたが、こともあろうにその薬を奈津に投与した。」

「どうして、自分が助かるかもしれないのに。」

「さぁ、どうしてだろうな。先生は奈津にこういった。『この薬は、私のようなおばぁちゃんではなくて、未来のある若者にこそ使ってほしい。』と。」

「すごく立派だね。」

「さてここからはお前にも関係がある話だ。よく聞けよ。」

「え?僕なの?」

 じいちゃんは一息ついてから話し出した。

「奈津が言うにはな、『奈津はこの薬で病気を治して賢太のもとに嫁ぐか、あるいは感染症の研究をしている大学病院に移るか、どちらか選びなさい。』と言ったそうだ。」

 それでじいちゃんのところに嫁に来たのかな。

「奈津は、『先生こそ、その薬で病気が治れば、多くの人の命を救うことができる。だから私なんかよりも先生が使って。』と言ったんだが。」

「先生はここで病気が治っても、持病のあるお婆さんとして、遠い異国の地で生き続けなければならない。それならば、奈津に『あなたたちには未来がある。子を産み育み、そして大人にする楽しみと責任がある。生きている者は、それがかなわなかった者に代わって生き続ける義務がある。だから生きるチャンスがあるのなら、あきらめてはいけない。もう若い友人を失いたくはないの。』と言って、奈津の治療を始めたそうだ。」


 先生もすごいけど、ばぁちゃんもすごい覚悟だったんだな。


「先生が奈津の治療をして、薬の効果を確かめて、レポートを書く。奈津は治療を受けながら助手をしていた。先生の身体はもう仕事ができる状態ではなかったんだ。」


 車は稲取にはいった。長いトンネルの先にちょっとした駐車場が見えた。

「お、ここだ。ここからは歩きだから、荷物を背負っていくぞ。」

「なんだよ、今いいところなのに。」

「わかった、わかった。ここからは歩きながら話そう。」

 僕たちは車から降りて、さっきのトンネルの入り口まで歩く。初夏とはいえ、伊豆の気候はもう暑い。のんびりと国道を戻っていくと、

「ここからは、この道だ。足元に気をつけろよ。」とじいちゃんが言う。

 草むらに、人が通ったような跡しかない本当の、けもの道だった。


「俺が遣いで稲取に行ったときに、奈津と一緒に先生に呼ばれたんだ。」

「奈津と二人で先生の話を聞いた。『来週、治療が終わったら奈津を連れて帰ってくれ。病気は治って元気になっていくだろう。しかも抗体ができたからもう結核になることもない。よかったな。』って。」

「その日は来週の引っ越しに向けて、奈津の荷物の整理と、運んでおくことができる物は先に積み込んで、奈津の家に行った。」

「俺はそこで先生の話をして、奈津の病気が治ったこと、来週元気に帰ってくることを伝えた。父親は稲取のほうを向いて、深々と一礼していた。」

「次の週、やはり奈津は最後まで駄々をこねていた。奈津は最期まで先生と一緒がいいといったが、先生は『もう見ての通り、教えてあげられる状況ではないし、そろそろ患者としてここで暮らすことにするよ。それから奈津、私は最期までお前の先生でいたい。』そういうと、くしゃくしゃになった顔の俺に、『今までよく仕えてくれた。ありがとう。最期にわがままを聞いてもらってもいいかな。』と泣きながら言った。」

「奈津のほうを向いてうなづくと、『なぁ賢太、奈津をもらってはくれないだろうか。まだまだこの病気に対する偏見は多い。このまま嫁にも行けずここで暮らすより、一番わかっているお前にこそ奈津を託したい。』っていきなりそんな話をしたんだ。あとで奈津に聞いたんだか、前の提案、大学病院に行くか、賢太に嫁ぐか。その時にはもう決めていたそうだ。」

「それから二人を前に、『いい子を育ててくれよ。そして願わくばそのうちの一人に医師になって、私の後を、意志を継いでほしい。そうなれば、私が過ごした時間も、お前たちとの出会いもすべて実を結ぶからな。』」

「俺たちはこれを最後に先生に会うことはなかった。隔離患者は人と接触できず、ただただ回復の望みなく、病床でじっとしているものだが、先生は最後を迎えるその時まで患者に声をかけ続けていたらしい。」

「先生の最期を知ったのは、それから半年のこと。伝染病患者は感染予防のために火葬は立ち合いなく行われるんだよ。遺族に遺骨が引き渡されるのだが、先生には遺族と呼べる人もなく、病棟横の納骨堂に散骨されたんだ。」


 え?散骨?

「ばかばかしいとは思うけど、結核には骨壺にたまった水を飲むと治るなんて迷信もあったから、散骨にしたんだそうだ。」

「ほら、あそこだよ。」

 少し開けた場所には、廃墟となった病棟がまだ残っていた。その隣の見晴らしのいいところに、小さな丘となっているところがあり、一面の花畑。

 青く可憐な花が咲いていた。


「奈津が植えたんだよ。フラックス、アマの花だな。丈夫でどんな逆境にも耐え、繁殖していく。花言葉は『あなたの親切に感謝します』。」

 僕はその丘に花を待向け、涙が止まらなかった。じいちゃんも泣いているのがわかる。

「メアリー先生、あなたの遺志を継ぐ子供を連れてきました。賢治といいます。どうか導いてやって下さい。奈津も元気ですが、お互い年を取りました。僕たちもすぐそちらに行きます。それまでしばらくお待ちください。」


 ああ、僕に医者を目指すように言ったのは、このためだったんだな。

 メアリー先生、ばぁちゃんの命を救ってくれてありがとう。

 僕は医者になるよ。先生みたいに患者に寄り添い、生きることををあきらめない医者に。


 初夏の丘に心地よい風が吹いて、

 フラックスの花がやさしく揺れていた。


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