馬、でした
冬童話のテーマで書いてましたが投稿設定に手間取り遅刻してしまいました
春も近いある日のことです。
美しい森の中に鏡のような湖で水を飲んでいた一頭の馬が、そこに映る自分の姿を見て「はて」と首をかしげました。
「あれ? ぼく、馬だったっけ?」
水に映るのはカラスの濡れ場のようにツヤツヤ真っ黒の毛をした立派な馬です。右から見ても左から見ても、間違いなく馬。
「うーん、人間だったような気もするんだけど……思い出せないな」
自分がどこから来たのかも、家族や仲間がいるのかもわかりません。誰かに尋ねてみたくても、周りには小鳥一羽だっていないのです。完全なひとりぼっち。ここはどこなのかさえ分かりません。でも――
「まあ、いいか」
馬はぶるんと首を振りました。
もともと人だったような気がしたのは、きっと自分が賢いせいにちがいない!
そんな風に考えてひとり納得した馬は、しばらく草を食んだりお昼寝をしたりしてのんびりと過ごしました。
何も覚えていないし、どこか違和感はあるものの、それ以上に気持ちの良い天気やどこまでも走っていけそうな丈夫な身体が嬉しかったのです。事実、風のように走っても全然疲れません。
「今ならドラゴン退治へ行くような大冒険だってできそうだ!」
くふっと笑い、満天の星空の下でお姫様を助ける夢を見ながら眠りました。
それから数日が経ったある日、馬はウサギの群れと出会いました。
「ウサギさんたち、そんなに急いでどこに行くんだい?」
「何をのんきなことを言ってるのさ。早く逃げないと悪意なき呪いにかかってしまうよ」
「悪意なき呪い?」
なにそれ?
首をかしげる馬に、一羽の女の子のウサギが呆れたように肩をすくめました。
「あなた、何も知らないのね。三年前に生まれた暁の魔女のことよ」
弟にお話するように話したウサギは、馬が本当に何も知らないをとがわかると、呆れながらも魔女のことを教えてくれました。
先代の魔女が消え、ようやく生まれたのが暁の魔女です。
魔女は白い森の中央にある大樹から生まれます。魔女がいないと森が荒れるので、動物たちは新しい魔女の誕生を大変喜びました。これで緑豊かな森が戻ってくる、吹雪に閉じ込められて飢えることもないと。
でも、生まれたばかりの魔女は大きな魔力をもった赤ちゃんです。まだ力が上手に使えません。その無邪気さゆえに、悪意なき呪いをあちこちにかけてしまうため、ウサギたちは魔女が分別つくまで避難しようと引越しをしていたのでした。
「でもさ、呪いってどんなもの?」
「そうね。たとえば東の国は茨に囲まれ、住んでた人間は全員眠ってしまったそうよ。もちろん犬も猫もですって」
「わ、それは大変だ」
起きている人が一人もいない国を想像し、馬は目を丸くしました。
すると女の子のウサギの後ろで話を聞いていた幼いウサギが、ひょこっと顔を出しました。
「あのね、この前お友達から聞いたんだけど、南の国では違う姿に変えられてしまった人間もいるんだって! 鳥とか狼とか」
「それも大変だ」
家族や友人が動物に変身したら、きっとみんなびっくりでしょう。
「どうしたら呪いは解けるのかな」
馬が首をかしげると、女の子ウサギがいたずらっぽく笑いました。
「それは、あのお約束、だと思うわ」
「お約束?」
「愛する人のキスよ」
ふむ。馬には関係のない話のようです。
さて、その後も馬は当てもなく旅をつづけました。
ぱらぽら ぴれぱら ぽらぱらぴ
ぱらぽら ぴれぱら ぽらぱらぴ
なんだか分かりませんが、ずっと頭に残っている不思議な歌を口ずさんでいると、森の端で倒れている女の子を見つけました。怪我はしていないようですが、ずいぶん汚れてぐったりしています。
心配になった馬が女の子を背に乗せて、近くの小さな湖まで運び、木の実や水をもってきて上げると、女の子はだんだん話せるくらい元気になりました。
「お馬さん、ありがとう。私は東の国の王女イースといいます」
「ぼくは……馬、かな?」
「名前はないの?」
「あった気もするけれど、覚えていないんだ」
「そう。じゃあ……クロって呼んでもいい?」
「クロ! いいよ!」
名前ができて喜んだクロは、イースの話を聞いて驚きました。
ウサギが教えてくれた全員眠ってしまった国で、たまたま呪いを跳ね返せたのがイースだったらしいのです。イースは呪いから自分を守ってくれたお母さんから聞いた話を頼りに、暁の魔女に会いに行くところでした。
「でも一人では大変で、とうとう行き倒れてしまったところをクロが助けてくれたの。ありがとう」
にっこり笑ったイースがとても可愛くいて、クロはドキドキしました。
自分も物語の騎士のように、この子を助けてあげたい!
そう強く思ったクロはイースにつきあい、暁の魔女を探す冒険に出発することにしたのです。
途中で狐や鳥に話を聞きながら白い森へ向かいます。
暁の魔女は今も大樹の根元に住んでいると聞いたからです。
動物たちならだれでもはいれると聞きましたが、今は急な崖があったり、見たこともない大きな草に邪魔をされたりと、なかなか思うようには進めません。
でも二人は力を合わせて、ようやく大樹までたどり着きました。
「暁の魔女さん、暁の魔女さん」
イースが手を組んで暁の魔女を呼ぶと、木の根元がぼんやりと光り、小さな女の子が姿を現しました。大きな本を抱き、ふわふわした金色の髪とピンク色の目をした女の子が暁の魔女なのでしょうか。
「あなたが暁の魔女さん?」
「そうよ。あなたはだあれ?」
「わたくしは東の国の王女、イースです」
「おうじょって、おひめさま?」
黒い馬であるクロとならぶイースを見て、暁の魔女は目を輝かせました。
「暁の魔女さん、どうかお願いです。私の国の茨を消し、みんなの目を覚ましてください」
魔女の表情に希望を持ったイースがお願いをすると、彼女は不思議そうに首をかしげました。
「おひめさま、おうじさまはどこ?」
「王子、ですか?」
「あたし、知ってるの! おひめさまは おうじさまと けっこんするんでしょ? はなよめさん 見たい!」
どうやら彼女の持っているのはおとぎ話のようです。
暁の魔女に乞われ、イースは暁の魔女が読んでほしいというおはなしを読んであげることにしました。
それは大冒険をしたお姫様が王子様の呪いを解いて、結婚して幸せになるという物語でした。
「イースのおうじさま、どこ? あなたはここまで冒険してきた おひめさま なのでしょう?」
暁の魔女のワクワクする目を見て、クロとイースは困ったように顔を見合わせました。嘘を言うことは絶対に許されないことは、なぜかわかりました。
「わたくしの王子様は」
「うん!」
クロはイースをじっと見つめました。
大好きなイースに結婚相手がいるなんて思ってもいませんでした。
自分が王子様だって言いたい。でも自分は馬です。王子でもないし、馬では人間と結婚はできません。
でも悲しくなって耳をふさぎたくなったクロの鼻を、イースがふわっと抱きしめました。
「わたくしの王子様はクロです」
クロも暁の魔女もびっくり。
でもイースは涙の浮かぶ目でクロに頬ずりをします。
「ずっと助けてくれたクロが好き。ときどきあなたが人に見えるの。馬なのに変よね」
「イース」
「変な歌を歌うのも足が速いのも、いつも一緒に頑張ってくれるのも好き。ずっとずっと一緒にいたいのはクロなの」
ぼくもだと言いたいけれど、自分の中の何かがそれを止めます。
暁の魔女が不満そうに頬を膨らませました。また何かの呪いを飛ばしてしまうかもしれません。
「ぱらぽら ぴれぱら ぽらぱらぴ
ぱらぽら ぴれぱら ぽらぱらぴ」
とっさにクロが歌います。
暁の魔女がきょとんとし、次いで吹き出しました。
段々ご機嫌になって彼女が一緒に歌い出すと、イースもそれにあわせます。
「わかった。いばら とんでけ する!」
ご機嫌な魔女がそう言うと、東の国に光のシャワーが降り注ぐのがここからも見えました。
「おうまさんが いいこ だから、おねがいきいたのよ」
えっへんと胸を張る魔女をクロが背に乗せると、魔女は大喜びで笑い、大樹の周りに花があふれました。
「イースは クロが すきなのね?」
「ええ」
「クロはイース 好き?」
「……大好きです」
蓋をしていた心を開放すると、イースは輝くような笑みを見せ、クロに口づけました。
するとどうでしょう。
クロの姿が輝き、そこには黒い服をまとった青年が姿を現したのです。
「思い出した。ぼくの名前はクロード。南の国の第二王子だ」
体が弱かった王子は、魔女の悪意なき呪いの影響で馬になっていたのです。馬になって人間だった記憶をなくしていた王子でしたが、馬になって冒険をしたことですっかり健康な青年になっていたのでした。
「やっぱり」
イースが口元を押さえ、涙を浮かべます。
時々見えていた人間の姿はクロの本当の姿だったのです。
「イース、ぼくと結婚してくれますか?」
「ええ勿論、喜んで!」
そして二人は魔女の希望通り結婚をし、ずっと幸せに暮らしたのでした。
2025.1.19「馬、でした」からタイトルを変更してみました。