番外編 お蝶と弥助 4
お蝶は息が切らしながら、のどかな田んぼ道を突っ切る。日は傾き始め、稲刈りから戻る農夫と何人かすれ違った。すれ違った農夫は、町から遠ざかるように駆けていくお蝶をみて不思議な顔をした。
田んぼ道を抜けると、くねくねと曲がる砂利道に出た。
お蝶は額に汗をにじませながら、自身が通ってきた道を振り返ると、夕焼け空とのどかな田んぼ道が見えた。涼しい秋風が甘い稲の匂いを運んでいた。今なら町に戻ることができる、とお蝶は一瞬ためらったがかをを横に振った。
お蝶は両手を膝の上に置き、しばらく息を整えた後に夕日を見上げた。
この夕日が私の人生で最後に見る夕日かもしれない。
お蝶は再び山に向かって走り出した。
その足取りは町を勢いよく飛び出した時よりも、いくぶん弱弱しいものとなっていた。
その頃、お蝶が入っていった山奥にひっそりと建つ一軒家では、正座した少年がが小さな老人から懇々と説教を受けていた。少年はひんやりとした板場に背筋を伸ばして座っており、その目はまっすぐ老人を見つめていた。老人は一通り説教を終えると、大きくため息をついた。
老人の鼻は長く、背中からは猛禽類のごとく立派な翼が生えている。その姿は天狗そのもので、
吊り上がった白い眉毛と口ひげが特徴的である。いかにも気難しそうな老人であるが、どこか優しいまなざしをしていた。
「はぁ…これで何度目じゃ…毎回やせ細った格好で帰ってきおって、”ちゃんと飯を食え”とあれほど言って聞かせたのに…何故なんじゃ…」
「はい、食欲が湧かないためにございます」少年は悩む老人にさらりと答えた。
「愚か者!だから”ちゃんと飯を食うように”と何度言わせるんじゃ!」老人は顔を真っ赤にして怒り声をあげた。
老人は自分について来た弥助に対して、町で生活する資金と家を用意していた。そして、人里に戻る練習をさせていたのであった。
少年、弥助は何食わぬ顔で老人の言うことに耳を傾けていた。老人は少年の真正面に正座しながら、どうやって弥助を町で一人で暮らせるようにすべきか考えていた。弥助は一度見れば何でもこなせるほど器用なくせに、欲というものがまるでない。
定期的に町に戻して一月生活させてみても、弥助はいつもやせ細った姿で帰ってくるのであった。
「なぁ、弥助、お前は町に出て食べ物がおいしく感じたり、好きな子ができたりはしなかったか?」
「特段おいしいと思うことはありませんでした…ただ」
弥助は何かを言おうとしたが、急に口ごもったようだ。「なんじゃ、言うてみよ」老人は植物の葉で作った扇で口元を隠して、にやりと笑った
「…いえ、何でもありません」
「ならば良い、次は別の町にお主を行かせるとしよう」
「いえ、師匠。あの町が…良いです」
弥助は意を決したように、凛輪の提案を突っぱねた。
「弥助…しかしだな、町が合わないだけかもしれぬぞ?そこまで言うなら理由を言うがよい」
弥助は顔を真っ赤にして、俯いて、口をつぐんでいたが、苦渋の顔で凛輪の目をみた。
「二月ほど前に美しい女性とすれ違いました。できるならまた、あの人を遠くでいいから眺めたいのです」
「お主何じゃ小童の癖に、あっはっは!」
「いいではありませんか!そんなに笑うことないでしょうに!」
「お主が望むなら、その娘と会えるように計らってやってもよいぞ?」
「え!?」
「うむ、だがな…最終的にはお主次第じゃ。遠くから眺めるも、お主から声をかけに行くもな」
「師匠、今お茶を淹れますので、休んでいてください」
弥助は話を変えて、山の沢から水を汲み出かけた。




