番外編 お蝶と弥助 3
一人で生きていくためにすべきことは何か。
私はこの町で一番 強かにならなければならない。
まずは家事などの生活力、そして食材や必需品の確保だ。そのために家で学べることはすべて学ぶつもりだ。
お蝶は枝垂桜の模様があしらわれた厚い掛布団を力いっぱい鷲掴みして、いつもより乱暴に自身の布団を敷いた。部屋の隅には細い木材を組み合わせた行燈が淡い光を放ち、お蝶の影をゆらゆらと壁に映し出していた。
明日の朝は早い、早く床に就かないと。
彼女は行燈の灯をふっと吹き消し、布団に入った。暗闇の中、煙の微かな匂いが揺れている。
お蝶の意識はゆっくりと暗闇に吸い込まれていった。
翌朝、お蝶は女中よりも早く台所に出向いた。朝焼けの薄暗さと、ひんやりとした空気にお蝶は身震いをした。彼女は窯に細い木と乾燥した木の皮を組んでから。乾燥した木を削ったおが屑の上で火打石をカチカチと打ち合わせた。
なかなか火が付くなかったが、彼女は必死に何度も火の粉をほ口に落としていった。
やがて一つの小さな火の粉がおが屑の上に落ちて、おが屑を微かに焦がし始めた。お蝶は口を細め、慎重に息を吹きかけると、火種は赤く燻り始める。ほ口の火を木の皮に燃え移らせると、白い煙と共に小さな火が縦に長く燃え広がる。
お蝶は息をつく間もなく、屋敷の井戸から水を汲んで米を研ぎ始める。やがて女中が台所に恐る恐るはいいてきたのでお蝶はにこやかに挨拶をすると、女中は怪訝な顔をして口を開いた。
「お蝶さま、何をしておられますか」
「柚、私に飯炊きを教えなすって」
女中の柚は眉間のしわを深くして、答えに窮したが意を決してお蝶に告げた。
「これは女中の仕事です。見物するのは構いませんが、お嬢様に飯炊きなぞさせられましょうか」
「見るのは良いのよね」
女中は、はぁ、、とため息をついてから答えた。
「私から旦那様に話をつけますので、お許しが出たら… 」
「結構よ、お父様には何も言わないで」
「左様ですか」
お蝶は柚の言葉をさえぎった。父に知られたら面倒だ。
「お蝶様…世間話の延長で良ければ料理などの知恵は…お話しできますがいかがされますかな?」
「柚婆、お願いするわ」
「婆と世間話をされるなど、お蝶様は物好きですなぁ…」
柚は優し気に目を細めて、口元のしわを深くして微笑んだ後、何事もなかったかのように米を釜に入れて、大根や菜っ葉を包丁でとす、とす、と切り始めた。お蝶は名残惜しそうに自室へと帰っていた。
「はぁ…うまくいかない」
その日から、お蝶は気を張り巡らせて、学べることがあれば吸収していった。
柚からは市場で買う野菜や魚、山菜など、どんなものが売られているかを聴いては想像を膨らませた。
そのうちに、屋敷ではお蝶は柚に良く懐いているという認識が広まっていった。
お蝶は今まで以上に、明るい性格となり、父親はお蝶への愛情を少しずつ取り戻していった。いつしか、父は柚と護衛の者をつけて、お蝶が市場に買い物に出る許可までくれるようになった。お蝶は家を出るために努力を重ねていく中で、かえって家の居心地が良くなっていくことに、驚きと感謝の念を抱いていた。
「柚婆、これでいいのかしら?」
「いいではありませんか。そんなことよりも、この美味しそうな魚を見てくだされ」
「柚婆、この魚の目がきらきらしているのが、活きのいい証拠だったわよね」
「左様でございます」
「ふふ、今日のご馳走、父上も喜んでくれるかしら?」
「もちろん、心配には及びません」
日が傾き始めた頃。
お蝶たちがが帰路につくと、やせ細った少年とすれ違った。
少年は山へと続く道を一人で力なく歩んでいった。
お蝶は彼の風貌に胸がズキリと痛んだ。柚は目を細めて、少年の背中を見ている。
「あの子…軽業の弥助じゃないかね…しばらく見なかったんだけど、痩せたね」
「あの子弥助っていうのね?」
「お嬢様…なりませぬぞ…われわれでは最後まで面倒を見きれませぬ」
「はい…」
それから数か月が経ち、山々が赤く色づき始めた頃。
お蝶の父を訪ねて禿げ上がった、大柄の男が屋敷に訪れた。お蝶は息をひそめ、客間の障子越しにて父と大男の話に耳を傾けた。
お蝶の父は腰を低くして、低調に男をもてなしている。
高級な菓子や茶を紹介しては男に食べさせ、自身の商いが好調に進んでいると訴えている。
「なぁ、旦那…ところで貸した金の返済が滞っていますが、いつになったら払ってくれますかね」
ガラガラと奥から響くような声がお蝶の父親のにこやかな声を遮った。
「もう少し、あと少しで大きな商談が決まりますので、後生ですからあと二月お待ちください」
「あと二月だとぉ、前にも同じこと言っててよな…?」
「も、申し訳ございません。相手方の都合で代金がこちらにわたりませんでして…」
「あぁ?それは借りた金を返せねえってことだな…?」
「ひぃっ…め、滅相もありません、二月後には必ずや金はお返しいたしますっ 」
「じゃあよ、それなりの”誠意”を見せてみろ…そうすれば待ってやる」
「せ…誠意…?」
父の声は憔悴しきっていた。そして金貸しの男の声としゃべり方に
お蝶は胃がひっくり返りそうなほどの吐き気を感じていた。今動けば父とあの男に聞き耳を立てていたことがばれてしまう。お蝶はそれだけは避けたかった。
「お前に、お蝶って一人娘がいたよな。しかも町ではたいそうべっぴんだと噂になっていてよぉ」
「む、娘だけは…どうか、どうかご勘弁を」
(一人娘…?父様は妹の事を、あいつに話さず、隠していた…?)
「それなら、仕方ない。約束通り、三日で用意できなければ、この屋敷をもらうまでだ」
「~っっ、うぅ…く…」
「あ? なんか言いてえことあるなら、はっきり言えや」
「娘を…差し上げます」
「…あと一月だ」
「へ、約束と違うっ!」
「なんだと…」
「い、いえ…一か月ですね…」
お蝶は、両手で胃液が零れ落ちるのを必死にこらえていた。
不規則に脈打つ心臓と耳鳴り、裏切った父への憤りは天を焦がすほどであった。
やがて、糸が切れたように、お蝶の感情が無となっていった。
父親のことだ、あの人は私を売り飛ばしても、私の妹は絶対に守り通すはずだ。
今、私がすべきことは”一つ”
ここから逃げ出す事だ。
お蝶は身一つで屋敷の勝手口から街道に出た。幸い金貸しの仲間らしき者はいない。
お蝶はできるだけ、人がいない場所を目指すことに決めた。
そして、痩せた少年が向かっていた道が頭に浮かびあがってきた。
お蝶は必死に山道への街道を駆け出した。




