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朝山達は空気の振動が一気に座敷を突き抜けたような気がした。しかし、灯篭の明かりは淡く揺らめき続けたままであった。朝山は勝負の明暗を決める時が来たと悟った。
「六郎、下がって居ろ」
朝山は構えを解き、影葦に向けて無防備に歩みだした。
その様は異様、勝負を捨てたのかのようだった。しかし、六郎は知っていた。
あの様が朝山の´理合い´であり、剣の本質だと。六郎が見た彼の背中は、僅かに楽しさを醸し出していた。影葦はずっとうめき声をあげて頭を抱えている。
「影葦、いつまで苦しむふりをしている?」
影葦の七股の大太刀が、尋常ならざる速さでのうちに朝山の左胸をめがけ伸びた。
六郎は刃が朝山に突き刺さったように見えたが、刃は空を突き刺していた。
朝山は恐ろしく滑らかに、上体を前屈しながら左足を踏み出していた。
影葦との距離は瞬きの間に詰められ、朝山の木刀の間合いとなった。影葦は大太刀を捨て、自身の脇差に手をかけた。その時、伸びきった大太刀の刃先が、朝山の背中を追いかけてぐにゃりと曲がって伸び始め、影葦は微かに笑みを浮かべた。六郎が声も出せぬような一瞬の出来事であった。
しかし、朝山は背後からの突きを大きく体をよじり、背中を地面に向ける形で避けたと同時に影葦の左脇腹木刀を打ち込んだ。そして流れるように受け身を取り、そのまま勢いを乗せた木刀を影葦の右腕に振り落とす。
「ごほっ」
影葦は膝をついて蹲った。息も絶え絶えで額には脂汗が滲んでいた。
大太刀はミミズのようにのたうち、朝山を貫こうとしたが、朝山は笑みを浮かべてひらひらと躱していた。そのうち、突然地面にぽっかり空いた穴から、大きな腕が現れ、大太刀を雑につかんで引っ張りこんでいった。六郎は高ぶる感情を抑えながら、朝山に次の指示を仰ごうとしたとき、何者かが心に直接話しかけてきた。
「六郎とやら、お前も部の頂きに立ちたいか?」
六郎はその声を聴いた途端、感情を不可思議に揺さぶられ、腹の底から強い感情が芽生えてきた。
「朝山は幾多も人を殺め、武の頂に立った。しかし、お前はもう、人を殺すことができない。故に頂を目前に道が、可能性が閉ざされたのだ」
「な…、何奴だ!」
六郎は叫び声をあげた。しかし、何者かの声を聴くたび、自身の感情が不自然な程、大きく揺さぶられるのを感じた。
「六郎、どうした?」朝山が問う。
「六郎よ、頂に立たせてやる。だからこちら側につけ、さすればいくらでも殺める許可をくれてやろう」
力強い声が六郎の心にまとわりついていく。そして、座敷の引き戸が勢いよく開かれ、屋敷にいた幼い子たちが脇差を抜いてなだれ込んできた。先ほどまで、混乱して屋敷の隅で泣いていた子たちだ。
幼子は半身が化け物となった影葦がうずくまる姿と、近くに立つ朝山、六郎を見た。幼子たちは眼に闘志を燃やしているようだった。
「よくも…影葦さまを、命に代えてもお前たちから守って見せる」
子どもたちは口々に叫んだ。
「どうだ?六郎、お前たちが使える地獄の王は、かくあるべきと窮屈で、支配的ではないか? 罪などと彼らはいうが、善だけで生きていけるほどこの世は単純ではない。悪が世の中を発展させたら、それは悪なのか? 善がこの世を滅ぼしたらそれは本当に善なのか?」
「何の話だ?」
六郎は幼子に殺意を向けられ、自身の感情が不安定に揺さぶられて苛立った。
「君の可能性の話だよ。それだけじゃない。私は善も悪もひっくるめて、この世を、可能性に満ちた素晴らしいものにしたいのだ。個人が持つ可能性のぶつかり合いが世の中を発展させていく、すばさしいじゃないか…、だから、朝山を討ち給えよ」
「私も部の頂に立ちたい…」
六郎はぽつりとつぶやき、手の木刀をみるといつの間にか得体のしれない金属でできた刀に代わっていた。
朝山は状況を見渡すと、だいたい何が起こっているのか察しがついた。
六郎の懐柔を目論み、子たちをそそのかす者が裏で手を引いているらしい。
朝山は懐の「喉」と書かれた手ぬぐいが熱くなっていることに気が付いた。地獄でもらった桐箱に入っていたので、とりあえず懐に入れていたものだ。その熱がだんだんと朝山自身ののどや口に伝わってくる。
「六郎、お前はとっくの昔に´頂き´だ、足りないのは楽しむ心のみだ。俺はお前を認めている。」
朝山はさらさらと内心が口から溢れ出ていくことが信じられず、恥ずかしかった。しかし、朝山にとっての罰は続いた。
「文治、次郎、甲太、弥助に寛治、お前たちは剣の筋がいい。だがな、この俺と戦えば二度と剣など見たくなくなるまで、叩きのめすしかない。大切なお前たちでもな」
途中まで凄まじい怒気で語っていた朝山の語気が後半には恥ずかしさが籠っていた。
子どもたちは、屋敷でも畏怖されている人物朝山に気おされ、へたり込んでしまったが、朝山が自身の名前を知ってくれていたことに驚き、心を乱してしまった。
「なっ…朝山殿が」
六郎は驚きとともに我に返った思いがした。六郎が朝山の顔を見ると彼はそっぽを向いた。そして、自身の着物の裾を破き、影葦
を後ろ手で縛り上げた。




