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広場の鳳は目を閉じて、ほとんど身動きをせずに佇んでいた。鳳の周りの空気は微かに熱く、鳳の後ろの景色は蜃気楼のように歪んで見える。閻魔大王が鳳に近づくと、目を開き、大きく羽を広げてから、身体を地に伏せた。
大王は鳳の羽を撫でながら「暇がなくて悪いが、帰路につく」と労った後、何も無い宙に手をかざした。すると、何も無かった場所に巨大な扉が浮かび上がってきた。
大王は鳳に耳打ちをした。鳳の耳がどこにあるのか、月の住人たちには分からなかったが、大王が話し掛けた場所に耳があるに違いないと思った。
「俺が地獄までの道を作った、安心して飛ぶが良い」大王が鳳に語りかけると、鳳は僅かではあるが不服な表情を浮かべた気がする。
自身の力を身くびられたように思ったのかもしれない。
やがて、宙に浮いている黒鉄の扉が重みのある音をあげて開き始めた。鳳は両翼を広げ、甲高い声をあげて地面を蹴る。鳳は目にも留まらぬ速さで天を羽ばたいて、扉の向こうへと消えていった。扉が閉じると、次第に扉の輪郭がぼやけ、霧のように消えてしまった。
月の王は自身の周りにいる従者たちの顔を見渡す。皆、緊張の糸が切れたようで、顔には疲労の色が見えた。
月の王は隣にいた従者たちを労った後、会場の片付けの段取りについて尋ねてみた。従者の代表はかぐや姫が段取りを皆に周知していったと返答した。「やれやれ、抜かりがないな」と月の王は呟くと、馬車に向かって歩き始めた。
〜〜
……。
彼岸によって奈落の暗闇に落とされた侍達は落下して久しいが、地面にぶつからない。
お互いの声も聴こえず、辺りは真っ暗闇。
…。
侍達の頭領、浅山為一はじっと自分が落ちる先を見つめていたが、落ちれども最期は訪れない。彼は欠伸でもしてやろうかと思ったが、間抜け面で最期を迎えるのが嫌で、欠伸を噛み殺した。
他の侍達は今までの人生の走馬灯を何度も見終わった者、気を失った者、発狂した者と様々であった。やがて、急に真上に弾かれたような、衝撃という言葉が生易しい物と思えるような力に襲われた。
…
浅山が気が付くと、のっぺりとした岩肌にうつ伏せとなっていた。岩肌は血の匂いがする。身体を動かそうとすると、痛みもなく動いた。辺りは薄暗く、暗く赤く輝く地平線が見えるだけであった。そして、赤黒い太陽のような物が、地平線から徐々に昇る。浅山の周りには部下の侍達がふらふらと歩いたり、丸く蹲っていたりしていたのがわかった。
浅山は自身の鎧と刀を確認すると、あちこち拉げた(ひしゃげた)鎧と腰には脇差が一振り。浅山はこの先、どうすべきか思案していると、後ろから「頭領…ご無事で?」と部下の一人が声をかけた。浅山は振り返えらずに「六郎か…この通り、何ともないよ」と答える。六郎と呼ばれた男は安堵したようにため息をつき「何より…」とだけ呟いた。部下の侍達が徐々に浅山の下に集まり始めた頃、何も無い場所から突如火柱が上がった。その火柱は山と見紛うほど大きく、辺りの暗闇を明るく照らすほどであった。不思議なことに、その火柱は虚空でそのまま留まって、辺りを照らし続けた。
人間ども…此処が何処か判るか…?
浅山達が火柱に驚いていると、真上から重く、大きな声が響いてくる。声の方を見上げると、そこには先ほどの火柱がかわいく見えるほど、大きな男が、恐ろしい形相で見下ろしていた。