4.嫌な予感がする時に限って嫌な奴は来る
その日の夜。
レオン様は何やら大事な軍議があるらしく、帰りは遅くなるとのこと。
充てがわれた自宅のソファーの上で、私はぼんやりと昼間のことを思い出していた。
ぽんぽんと、優しく頭を撫でられた時の、あの、心がふわふわするような感覚。
「レオン様……」
思えば私は、二年前にレオン様を助けたあの日から、惹かれていたのかもしれない。
自分のやる事為す事に対して、真っ直ぐな感謝と眩しい笑顔を見せてくれた、あの下級騎士だったレオン様に。
今となっては(誰か分からなかったくらい)見違えるほど逞しく、頼りがいのある立派な騎士団長に昇格した彼だけど、真っ直ぐな感謝とその眩しい――私を惹かれさせる笑顔は、そっくりそのまま。
……単に私は、自己承認欲求を満たしたかっただけなのかもしれない。
けれど、この胸に暖かく灯るモノに嘘はつけない。
――私は心から、レオン様を愛していると。
ふと、ドアの鍵が開けられる音が聞こえたので、ソファーから飛び起きてレオン様を出迎えに行く。
「おかえりなさい、レオン様」
「ただいま、アイシャ」
しかし、何だかレオン様の顔に陰りが見える。
ひとまずはリビングまで移動してから。
「すまないアイシャ、明日から何日か家を空けることになる」
「それは……騎士団の任務ですか?」
「あぁ……どうもここ最近、国の周りで賊が頻出するらしくてな。その掃討戦に出ることになった」
大事な軍議とは、このことだったらしい。
「賊の、討伐……」
「まぁ、しょせん破落戸の集まりだからな。とは言え、連中の根城の制圧とかもあるから、何日か掛けることになるが」
大した相手じゃない、とレオン様は努めて気軽そうに振る舞っているけど、決して相手も無抵抗で捕まったりはしないはず……
「その……私も一緒に戦うことが出来れば……」
「いやはやっ、それは勘弁してくれ!もしアイシャに何かあったら……、……」
「……私に何かあったら?」
「………………想像出来ないようなことになる」
それは大変なことになりそうだ。
「そ、それは大変ですね……?」
「だろ?だから、アイシャはこの家を守っていて欲しいんだ」
レオン様はそう言ってくれるけど、私はただレオン様が戦いへ赴くのを見送るだけでいいのだろうか……
翌朝。
「んじゃ、行くとしますか」
装備を整えたレオン様は、ちょっとそこまで買い物に行くかのように、気軽そうに振る舞う。
「待ってください、レオン様」
玄関を出ようとしたレオン様を呼び止めて。
「これを……」
私が差し出したのは、魔法薬の小瓶。
実は、レオン様が眠りについてからほぼ徹夜で作り上げたものだ。
「疲れた時はすぐに飲んでください」
「まさか、昨夜あれから作っていたのか?いやはや、こりゃ嬉しい!」
レオン様は屈託なく笑って、その魔法薬を受け取り、懐に納めた。
「これはもう勝ったな」
「レ、レオン様っ、お薬はあくまでもお薬ですから、過信しないでください」
「ははっ、分かってる。……あぁ、そうだ」
するとレオン様は、徐ろに私に手を伸ばし、顎に指を絡めて、
「愛してるよ、アイシャ」
――そっと、キスしてくれた。
「わ、わた、しも、レオン様を、愛してます……っ」
「ん、それが聞きたかったんだ」
レオン様は満足そうに頷いてくれた。
レオン様が賊の掃討戦に赴いて、三日が経った。
騎士団が任務中だからといって、私の仕事が変わったりはしない。
今日も魔法薬の製薬に忙しい日が始まる。
けれど、
「レオン様、大丈夫かな……」
大丈夫だと信じているし、レイソール王国騎士団は精強精鋭の部隊であると、隣国から恐れられるほど。
いやはや、婚約者たる私が、他ならぬ私がレオン様を信じなくてどうするの!
……今、レオン様の「いやはや」と言う口癖が頭に浮かんだところ、私はどうしようもなくレオン様のことが好きらしい。
ふと、窓から見える空が、いつの間にか曇り、雨が降り始めていた。
レオン・ガングニールが率いる騎士団は、快進撃を続けていた。
相対する賊軍は瞬く間にその数を減らし、三日後の雨の日の今日は、いよいよ賊の根城への攻撃が始まった。
それも順調に進行し、根城の奥にて賊の首領が武器を捨てて両手を上げ、彼の側近達も同じように"投降"の意を示した。
抵抗する者も他にいないことを確認してから、レオンはロングソードを高々と突き上げた。
「よし、制圧完了!俺達の勝ちだ、勝鬨を上げろ!」
「「「「「おぉーーーーー!!」」」」」
レオンの勝利宣言に、周りの部下達も各々の剣や槍を突き上げて鬨の声を上げる。
勝鬨も止んだところで、投降した賊達は騎士達に縄で縛られ、連行されていく。
「王国に伝令だ。『我、賊軍の掃討任務を完了。これより帰還する』とな」
「はっ」
伝令兵に早馬を走らせ、一足先に王国へ向けて通達させる。
「被害状況はどうだ?」
「軽傷の者が数名程度、物資の消耗も想定より下回っています」
部下の一人に、今回の掃討任務中の被害がどれほどかと確認させたが、それほど大きな被害や消耗は出なかったようだ。戦果としては上々と言ったところだろう。
ふぅ、とレオンは安堵に溜息をつく。
「状況終了、撤収するぞ。外の別働隊と合流後に帰還する。忘れ物すんなよ?」
戦いは終わった、と騎士団の張り詰めた空気が緩んだ、
その時だった。
「隊長っ、後ろ!」
「後ろ?」
騎士の一人が声を上げ、レオンは背後へ振り向き、
パキンッ
「ごっ」
放たれた矢が、レオンに突き刺さり――力無く横たわった。
「な……仲間の仇、取ったぞ!」
弓を持った賊の生き残りが、窓の外からそう叫ぶと、すぐさま逃げ出して行った。
「野郎っ、よくも隊長を!逃がすな、必ず捕えろ!」
騎士の何人かが窓を飛び出して行き、残りの騎士が慌ててレオンを助け起こそうとする。
「隊長っ、しっかりしてください!隊長!」
じわじわと、レオンのジャケットの左胸が濡れていく。
ぞう、と私の背筋に悪寒が走った。
悪寒の次に襲い掛かったのは、胸騒ぎ。
何か、良くないことが起きたような……
まさか、レオン様に何かあったのか?
賊軍掃討戦も今日で三日目、まだ失敗して撤退してきたと言う話は聞かないけれど、何かの拍子に大怪我や、あるいは死んでしまうことだって有り得ないとは言えない。
不安と焦燥を押し隠して今日の業務を全うするしか、今の私に出来ることは無かった。
業務を終えて、自宅へ帰ろうと思っても、足取りが重い。
そんなに不安なら、いっそ後宮に戻って騎士団の帰還を待っていればいいのではないかと思ったけど、いつ頃に帰還してくるかは決まっていない。
今日かもしれないし、明日かもしれないし、もっとかかるかもしれない。
「レオン様……」と呟くのも、三日前からもう何回目だろう、初日の昼頃からもう数えていない。
騎士団長として凛然としている姿も好きだけど、私だけに向けてくれる子どものように無邪気な笑顔はもっと好き。
好き。好き。好き。
そんな花占いをするかのように……あれ、好きと嫌いを交互に口にするのが花占いじゃなかったっけ?まぁレオン様を嫌いになる理由が無いので全部好きでいいのか。
賊軍の掃討戦なんて失敗して撤退を余儀なくされてもいいから、いやそれはそれできっと怪我をしていると言うことだから良くないけれど、レオン様に会いたい。今すぐに。
レオン様……
「やっと見つけたぞ、アイシャ」
名前を呼ばれたので振り向いたら、
「うげっ」
げえっ、グッドマン!!
フローレ王国の魔法薬局でナタリーに骨とか金とか下半身とか色んなものを抜かれているはずのボンクラが、何故ここに……?
「うげっとは随分なご挨拶だな、まぁいい。それに……なかなかいい女になっているじゃないか、少しはナタリーのことを見習ったということか」
なんだかねっとりとした視線を向けてくるボンクラ。
しかもナタリーを比較対象にしている。
この男に目をつけられるのも、あの痴女と比べられるのも不愉快極まりない、虫唾が走るとはまさにこれ。
「喜べアイシャ、お前を再雇用してやろう!」
「は?」
今この男、なんて言った?
私を再雇用する?
と言うか、私を無能だと決め付けてクビにしたのに勝手に再雇用するって……正気の沙汰か。
「お前が辞めてから仕事がさっぱり回らなくなってな、これではナタリーとの時間も取れない。そこで、お前を再雇用するべきと考えたのだ。なに、人手不足の今なら高待遇にしてやろう!」
しかも、その理由が女との時間を作るために?作るのは子どもだけにしてほしいものだ。
泥酔状態でもそんな発想には至らないだろう。しかも素面でそんなことをドヤ顔で宣っているのだから、救いようがない。
「いやはや、グッドマン氏。やはり少しは飲酒量を控えた方がよろしいのでは?」
「さぁ、すぐにフローレ王国に、……へ?」
「再雇用しても無能は無能ですから、再雇用のメリットはありませんし、むしろ作業効率が悪くなるだけでしょう」
「そう謙遜するな、マルタの町で売られている魔法薬のことは聞いている。あんなちっぽけな田舎に売るよりも、私の魔法薬局で売る方が高く売れるぞ!」
このボンクラ、本当に金と女のことしか考えていないらしい。
「ご心配なく。マルタの町とは既に正当な契約を結んでいますし、今の宮廷魔法薬師の方が性に合ってますので。私のことはいいですから、ナタリーと魔法薬でも子どもでもなんでも作ればよろしいかと」
「はぁ?そんな契約は破棄すればいいし、ナタリーとの子づくりは追々だ!いいからとにかく帰るぞ!」
ボンクラはそう言って私の腕を掴もうとしてきたので、パンッと払う。
「帰りませんし、契約も破棄しません。破棄はナタリーとの婚約だけにしてください」
「なっ、なんだと!?下手に出ていると思って調子に乗って!」
ボンクラの顔がこれでもかと紅潮し、今度は私を殴るつもりなのか、腕を振り上げる。
「っ」
思わずぎゅっと目を閉じて、
「いやはや、俺の大事な婚約者に何しようってんだ?」