3.レイソール王国はホワイト企業でした
ととと、とりあえずのところは。
もうじき店を開かなければならなかったし(花束も重いので一旦置きたかったし)、いきなり求婚を申し上げられても、その場すぐにお返事することは出来なかったので、求婚の返答に関しては一時保留、お手紙で改めて返答を、と言う形にしてもらった。
当然、レオン様の求婚は両親もしっかり見て聞いていたので、
「どこの騎士団長とも分からん男にアイシャはやれんぞぉ!」と、お父さんはとっても嬉しそうに怒って……怒っ、て……?いたし、いやいや、レイソール王国の騎士団長って下手な貴族様よりよっぽど偉い人ですけどー!?
「孫の顔が見られるのも、そう遠くないわねぇ」と、お母さんはニコニコしていたし……孫の顔ってなに!?孫って言うのはつまり、私とレオン様の、その、あ、赤ちゃ……、ッッッ………………
もうっ、この数分間で色々あり過ぎてお仕事どころじゃないッ!
お仕事どころじゃないと言っても、私の作る魔法薬が欲しい人が減るわけじゃないので、仕事は仕事としてきちんとこなして。
その日の晩。
お母さんが腕によりをかけて作った料理とケーキを残さずいただいあとは、真面目なお話――レオン様からの求婚についてだ。
「私は……この求婚、受けたいとは思う」
レオン様はレイソール王国の騎士団長であり、求婚者など引く手数多に違いない。
権威的な意味で打算や下心の上で婚約を申し出る人も多いだろうけど、中には純粋にレオン様に惹かれる人もいるだろう。
そんな中でレオン様は、(そもそもレオン様のことを忘れていた)私のことを覚えていて、他の婚約の機縁を全て断ってまで、私に求婚を申し出た。
つまり、レオン様の私に対する感情は、純愛のそれだと思う。
それに……騎士団長と言う肩書を抜きにしても、私は初めて会った時のレオン様に不思議な気持ちを抱いていた。
自分の作った魔法薬で、純粋に感謝された時の、あの喜びを初めて与えてくれた人。
それが恋や、愛なのかどうかは分からないけど。
「でも、私がレオン様の元へ嫁いで行ったら、今の魔法薬局は辞めなくちゃいけない。私の魔法薬を求めている町の人達の信用や信頼を裏切りたくないし、お父さんやお母さんだって……」
そう……今の私は、この町にとって必要になり過ぎた。
それも、自分の都合だけで今のレンブラント魔法薬局を閉めるわけにはいかない程度には。
すると、お父さんは。
「そうだなぁ、アイシャには幸せになってほしいから、今の魔法薬局に縛られてほしく無いし、けれどアイシャが仕事や責任を放り出してまで自分勝手なことが出来ないのも、知っている。そういったことも、ガングニール騎士団長に相談してみてはどうだ?」
続いてお母さんも。
「二者択一に絞ることは無いのよ。と言うか、アイシャはもうちょっと欲張りになってもいいくらいねぇ」
「レオン様に自分のことを相談する……二者択一に絞ることは無い……」
言葉に出してみて、食後の紅茶を一口啜り――自分の中で少しずつ考えがまとまっていく。
レオン様の求婚を受けたい。
でも今の魔法薬局もやめたくない。
ならば――両方とも叶えられないだろうか?
私は早速、レオン様へ向けたお手紙を書き始めた。
一週間後、レオン様は忙しい合間を縫って早馬を駆け、再びマルタの町……と言うより、私の家を訊ねてきた。
今日だけは店をお休みして、レオン様とじっくり話し合うと決めている。そのために一週間後と言う間を置いたのだ。
家に招かれたレオン様、お父さん、お母さん、そして私の四者面談が行われようとしていた。
まずは最初に、私の
「どうか、アイシャとの結婚を認めていただきたいのです!」
「ってレオン様ぁ!?」
いきなり何を言うのこの騎士団長様は!?
開口一番に襟を正して最敬礼してみせるレオン様に、お父さんとお母さんは。
「良かろう!」
「えぇ、構わないわよ」
軽っ!?えっえっ、ちょっと待って……
「ありがとうございます!義父上!義母上!」
「レオン様っ、気が!気が早すぎます!まずは私の話を聞いてください!」
「おっ?あぁ、すまない。アイシャとの結婚を認められたから、つい嬉しくなっちまった」
悪い悪い、と屈託なく笑うレオン様。くっ、その笑顔が眩しい……!
仕切り直して。
私はレオン様に、この婚約は受けたいことと、しかし今の魔法薬局を辞めるに辞められない理由を話す。
「烏滸がましいことは承知でお願いします、レオン様と婚約を結んだ上で、今の魔法薬局を続けさせてください!」
それは暗に、レオン様と婚姻関係にありながらも実家で暮らすことを認めてほしいと言う、私はともかく、レオン様の外聞に関わることだった。
真っ当な理由があるとは言え、妻とは別居中であると噂されれば、私とレオン様の意志とは関係なしに"あらぬこと"が吹聴されるだろう。
加えて……詳しい経緯は分からないが、元は下級騎士であったレオン様が、僅か二年で騎士団長を拝命するなど、普通では考えられない異例の昇進だ。それを面白く思わない人だっているはず。
そんな『真実を自分にとって都合の良いようにわざと誤解したくてたまらない』人達にとっては、レオン様や私を攻撃するための格好の材料にもなる。
私一人が誹謗中傷を受けるだけならいい。けれどレオン様や、お父さんとお母さんにまで類を及ばせたくない。
レオン様も騎士団長である以上は、相応の振る舞いを求められる立場でもあるし、私のこの"ワガママ"はきっと聞き入れてくれはしないだろう。
「あぁ、いいぜ」
「へっ?」
ダメだって言われるものだとばかり思っていたら、あれ?
「つまりアイシャが言いたいのは、『王国の魔法研究所を使わせてほしい』ってことだろ?そこで魔法薬を作って、マルタの町に送り届ける。そう言うことなら、お安い御用だ」
「え」
「おぉ、そうだ!それならいっそ、宮仕えの魔法薬師になってみるか?ちょうど今、レイソールは魔法薬師が人手不足でな、アイシャくらい有能な魔法薬師ならすぐ歓迎してくれるぞ!」
「あの」
「あぁ、大丈夫だ。マルタの町に納品する分の魔法薬を優先してもらって構わない。そう言った事情は俺から話せば通ってくれるはずだ」
「ですから」
「ひょっとして、宮廷魔法薬師の人間関係が心配か?いやはや、少なくともどっかの魔法薬局みたいに言いがかりで一方的な解雇を言い渡すような奴はいないし、給与制度もきちんと定められているから、安心していいぞ」
「そうではなくて」
「あとはそうだな……俺は騎士団の任務の関係から、何日も家に帰れないこともある。けど、出来るだけアイシャとの時間は作る!それは、騎士団長としてじゃなくて、レオン・ガングニールとして、一人の男として誓う!」
「よく言った!義息子よ!!」
突然、お父さんが横から割って入って来た。
「騎士団長としてではなく、一人の男として、アイシャを愛すると誓う……それが聞きたかったのだ!」
「義父上!」
「義父上ではなく!"お義父さん"と呼ぶのだ!!」
「はい!"お義父さん"!!」
ガシッ、とお父さんとレオン様が男同士の固き握手を交わした。
私のことはすっかりそっちのけだ。
前もって私をどう迎え入れるかを計画していたらしいレオン様。
その根回しや下準備にも抜かりはなく、私がレオン様の求婚を受け入れるか否かで決まるも同然だった。
私の答えは、もちろん「はい」だ。
挙式を挙げるのはまだ先になるけれど、レオン様と私が婚約関係になると言うことは決定された。
そんなわけで、私とレオン様の婚約は淡々とトントン拍子に決まり、マルタの町に納品される魔法薬に関する契約書まで用意され(魔法薬の販売そのものは私の両親が行うことになっている)、あれよあれよの内に私はレオン様の部下が護衛についた馬車に乗せられ、再びマルタの町を発ち、今度はレイソール王国へ往くことになった。
「ここが、レイソール王国……」
フローレ王国と比べても領土は一回り小さいが、町は活気に満ち溢れ、衛兵も愛想良く礼儀正しい。
このレイソール王国を見た私の第一印象は、「フローレ王国よりもずっと良い国」だ。
「フローレ王国ほど技術が進んでないから、少々不便に感じるところはあるかもしれないが、気に入ってくれると嬉しい」
馬車の中、私の隣に座るレオン様がそう声をかけてきた。
「なんと言いますか……フローレ王国は大きくて便利なだけで、貧富の差も明確でしたし、兵隊も不真面目な方が多くて治安の悪い国でしたから」
「いやはや、辛辣だな……」
「けど、この国はそういった悪い部分が目立たないんです。だから、安心して暮らせそうです」
思ったままの、素直な感想を口にしたら。
「そうか。そう言ってくれるのは、騎士団長としても誇らしいもんだ」
レオン様は嬉しそうに笑ってくれた――その笑顔は、二年前に見せてくれたものと、全く同じだった。
レオン様の根回しと口利きによって、当初の予定通りに、私は宮廷魔法薬師として招聘された。
薬師の皆さんはお年を召した方が多かったけど、若者かつ新参の私にも忌避感を示すどころか、暖かく迎えてくれた。
「若い魔法薬師は、みんなもっと大きな国に出稼ぎに行くからねぇ」
そう言った師長も随分なおばあさんで、「知識だけはあるから、分からないことは遠慮なく訊いておくれ」と穏やかに頷いてくれる。
言ってはなんだけど、グッドマンのような馬鹿も、ナタリーのような阿呆もいない。
道具の種類と質もきちんと保たれているし、ここなら思う存分仕事に打ち込めそう。
よーし、やるぞー!
レイソール王国の宮廷魔法薬師として勤め始めて一週間が経った頃。
マルタの町へ納品するための魔法薬(と同時に魔法薬の取扱説明書も用意して)の製薬も並行しての業務は多忙ではあるけど、同じ職場の方々は優しく話しかけてくれるし、分からないことを訊くと理解できるまで丁寧に答えてくれるし、アットホームな職場とはこう言うところを言うのだろう。
今日の午前の業務ももう少しで終わりそうと言う頃合いになって、調剤室のドアがコンコンとノックされた。
「はい、どなたでしょう?」
「アイシャ、レオンだ。入ってもいいか?」
レオン様だ。
騎士団の方も交代でお昼休みを取るので、レオン様は時間に余裕がある時はこうして、私に会いに来てくれる。
いつもなら、私が休憩しているところに来てくれるのだけど、今日は少し手間取っていたため、こちらに来たみたい。
「はい、今開けますね」
落ち着いて手を止めて、状態保存してから、ドアを開ける。
「そろそろ休憩に入る頃って聞いたんだが……邪魔したか?」
「いえ、ちょうど今済んだところですよ」
ほんとは途中だったけど、レオン様が短い時間を私のために使ってくださるので、今だけは仕事よりレオン様が優先。
「なら良かった。今日は兵舎の食堂で一緒に食べないか?もちろん俺の奢りだ」
「い、いえ、奢りだなんて、そんな」
「いやはや、別にいいだろ?まだ正式な決定じゃないが、俺達は婚約者同士。何も問題ないさ」
さぁ行こうか、とレオン様は私の手を取り……って、手!?
い、今、私、レレレ、レオン様とっ、て、手を、繋いで……!?
「はわわわわわ」
思わず変な声が出ちゃった。
「……ぷふっ」
その私の変な声と言うか変な反応に、レオン様が吹き出した。
「な、なんで笑ったんですか!?」
「いやはや、今のアイシャが可愛かったから、ついな」
すると慌てる私の頭に、大きくて暖かいもの――レオン様の手が乗せられた。
そして――ぽんぽんと撫で始めた。
「ほわぁ……」
あぁ……なんだか気持ちいい……この、心がふわふわするような感覚……
「っと、そろそろ行こうか。昼休みも長くないしな」
あっ、レオン様の手が頭から離れた。残念。