1.クビのち雨、時々騎士様
「アイシャ・レンブラント!お前は今日でクビだ!」
「は?」
得意げな顔でびしすと人差し指を突き出しているグッドマン局長は、アルコール中毒のあまりどうかしてしまったのだろうか。
魔法薬を調剤中のこの忙しい時に、そんな酔っ払ったボケをされてもどうツッコめばいいのやら。
「局長、最近お酒の飲み過ぎではありませんか?薬に頼り過ぎるのも身体に悪いのですよ?」
「ふんっ、惚けても無駄だ!お前がナタリーにおかしな薬で嫌がらせをしているのは周知の事実!今すぐナタリーへの嫌がらせ行為を認め、この場で謝罪しろ!」
「局長ぉ〜、ナタリーとっても怖かったんですぅ〜」
耳障りな猫なで声が聞こえたと思えば、グッドマン所長の腕にしなだれかかるナタリーがいた。
ナタリーは最近になってウチの魔法薬局に派遣されてきた方だ。
なんか頭の弱そうな淡紅色の髪と、鮮やかなマリンブルーの瞳は人目を引く容姿で、ついでに言えば随分といやらしい身体つきは男性の鼻の下を伸ばさせるには十分過ぎた。
が、どうやら親のコネでゴリ押し同然に入って来たらしく、仕事に関しては真面目なフリしてちゃらんぽらん、その上自分の失敗を他人――主に女性局員に擦り付けるときた。
グッドマン局長としては、ナタリーの親の圧力をかけられて受け入れざるを得なかったとでも言うのだろうが、腕に押し付けられている彼女の無駄に大きな乳房に鼻息を荒くしている時点で説得力は欠片も無い。
こんな調子なので、(多分に性的な意味で)男性からの人気はあるのだが、女性からは反感を買って白眼視されているのが実情である。
「ハーーーーー……局長、辞表を書けと言うのなら構いませんが、ナタリーへの嫌がらせ行為やら何やらは、全くもって身に覚えが無いのですが」
おかしな薬でナタリーをどうのこうのとか言っていたけれど、そんなおかしな薬を作っている暇などないのだから、謝罪しようが無いどころか、ナタリーにこちらから話しかけたことも無いし、そもそも話しかける理由も必要性も無い。
「何ぃ?素直に非を認めてナタリーに謝罪するのであれば、それも水に流すつもりだったが……」
「そうですよぉ〜、謝ってくれればぁ、わたしもこれまでのことは気にしませんからぁ〜」
とんだ茶番である。
真っ当に忠務している働き手を解雇するのなら、まずはリスクマネジメントと言う言葉を知ってからにしてほしいものだ。
「謝罪しなければ辞表を書けと言う話ですね?分かりました」
開けていた聖水の瓶に蓋をして、形だけの辞表を殴り書いて。
「辞めます」
それだけ告げて辞表をグッドマン局長に差し出す。
「ふんっ、全く可愛げのない女だ!お前のような無能はここには要らん、出ていけ!」
言われずともそうしますとも。
荷物を纏めてさっさと魔法薬局を立ち去る。
私の背後でグッドマン局長とナタリーが何か吠えているけれど、きっと勝鬨と勘違いした負け犬の遠吠えだろう。
ここ、『フローレ王国』からの出国手続きを終えた私は、故郷の町の『マルタ』に帰るべく、馬車に乗り込む。
自慢というほどでは無いけれど、私は魔法の中でも増強魔法が得意だった。
幼年学校に通っていた時に、恩師から「魔法薬師を目指してみないか」と勧められ、将来に明確な進路を持ち、そのための勉強は惜しまず取り組んだ。
晴れて魔法薬師の資格を得た私はここ、夢にまで見た、フローレ王国の、魔法薬局に勤めることになった。
けれど、そこは夢とは程遠い世界だった。
魔法薬を作っても作っても、誰にも顧みられない、やり甲斐がない。
挙句の果てにはナタリーのような害悪に仕事を邪魔される始末だ。
果たしてこれが本当に、私が見た夢だったのだろうか。
幼年学校の恩師は、こんな無意味なことを勧めたのだろうか。
これからの自分の人生が、何の意味もないものになってしまいそうな気持ちになってしまう。
馬車に乗って数日を過ごし、行き先の違いから途中で降りて、森の中へ入る。
この森も、魔法薬師の勉強のために薬草やキノコなどを採集しに、数え切れないくらい入ったものだ。
ほぼ全域の地勢が頭に入っている私は、迷うことなく森の中を進む。
ここを抜ければ、マルタの町はすぐそこだ。
ふと、冷たい雫が頭にかかり――次の瞬間には引っくり返したような大雨が降ってきた。
「ついてない……」
慌てて雨を凌げそうな場所を見回して、ちょうど大木が近くにあったので、そこへ駆け込む。
すると……
「はぁ……はぁ……ん……?」
大木の下には先客がいた。
蜂蜜色の髪と、エメラルドのような碧眼を持った、小柄な少年のように見える、若い男性。
ジェイドグリーンのジャケットの上から、丈夫そうな鉄のプレートで局所を覆ったその姿は、フローレ王国の隣国、レイソール王国の騎士団の方のもの。
確か、緑服は下級の騎士で、その騎士団長が赤服だったはず……
いいえ、それよりも。
騎士様は傷だらけの泥まみれで、あちこちに出血したような痕があり、緑のジャケットもところどころが赤黒く染まっている。
「やぁ、お嬢さん……はぁ、こんな雨の中、うっ、お散歩ですか……?」
「やぁお嬢さんじゃありません、酷い怪我じゃないですか!」
とりあえず濡れてしまうので、私も大木の下に入ってから。
「大丈夫ですか?」
「いやはや……あんまり大丈夫じゃないかもなぁ、これ……あぁ、くそぉはぁ……身体に、力が入んねぇ……」
こりゃやべぇ、と騎士様は戯けた風に言っているけど、浅い呼吸を繰り返し、この雨に濡れたせいで体温が下がっているのか顔色が悪く、出血もあって衰弱しているみたい。
「他の騎士団の方々はどうしたんですか?」
「こ……行軍の演習中に、崖が崩れて、俺だけ落っこちたんだよ……多分、俺のことを捜してるはずだけど……その前に、俺が保たねぇかもな……ははっ……」
弱々しく笑う騎士様だけど、内容はちょっと笑えない。
崖から落ちてよく怪我だけで済んだものだと思う。
他の騎士様達が彼を捜しているようだけど、それまでに間に合うかは分からない。
「……っ」
少しだけ躊躇して――意を決して、私は背負っていた道具袋を下ろし、その中から調剤道具と、手持ちの薬草やキノコ、聖水の詰まった瓶を取り出した。
「少し、待っていてください」
「……?」
薬草とキノコをナイフで刻み、乳鉢ですり潰し、それに聖水を注いでかき混ぜ、増強魔法を通し、すり潰した薬草とキノコが完全に聖水に浸透したのを確認してから、専用の小瓶に移し替えて、最後に蜂蜜を注いで溶かせば。
さすれば、急拵えではあるけれど、体力回復の魔法薬の完成だ。
本当ならもう少し丁寧に、時間をかけてじっくり作りたいところだったけど、事態は一刻を争うのでやむを得ない。
「これを飲んでください」
「へ?……いやはや、でもこれ……俺……金なんて無いぜ……?」
「お金と命、どっちが大事だと思ってるんですか。死にたくないなら早く飲んでください。お代はいりませんから」
ぐいぐいと押し付けるよう魔法薬の小瓶を差し出す。
「……んーじゃ、お言葉に……甘えるわ……」
ようやく折れてくれて、騎士様は魔法薬を受け取り、一息に呷った。
「んくっ……お、おぉ……これは効くぅ……っ」
青褪めていた顔色は見る内に血色を取り戻していく。
「すげぇなこれ、下手な薬よりよっぽど効き目がある」
「……本当ならもっと設備の整った場所で、時間をかけて作りたかったのですが」
「即興で作ってこれなのか?いやはや、十分すげぇって!」
すげぇすげぇと子どものように喜ぶ騎士様。
こんなもので喜んでもらえるとは、思わなかった。
フローレ王国の魔法薬局に務めていた時は、感謝されることはあっても事務的なものだったのだから。
少しの間、「身体に力が漲るぜー!」と気持ちを昂らせていた騎士様は、はっと我に返ったように私に向き直り、恭しく一礼してみせた。
「自分は、レイソール王国騎士団所属の、『レオン・ガングニール』であります。窮地を救っていただき、本当にありがとうございます」
「アイシャ・レンブラントです。騎士様のお力になれて恐縮です」
こちらもペコリと頭を下げる。
「あなたは、魔法薬師の方なのか?」
騎士様――レオン様はそう訊ねたが、それを聞いた私は内心で嫌な気持ちになった。
晴れて自由の身になったのに、フローレ王国にいた頃のことを思い出したくはなかったから。
「……私は元々、フローレ王国の魔法薬局に務めていました。けれど、そこの局長が思いの外頭が悪く、それ以上に頭の悪い同僚に嵌められて、完全な言いがかりでクビになりました」
主観的にも客観的にも、あれは言いがかり以外の何物でもなかった。
「はぁ?そいつらも馬鹿だな、その場即興でこれだけ効き目のある魔法薬を作れる人材を、みすみす手放すなんて」
それを聞いて、レオン様は呆れたように吐き捨てた。
「いえ、私など……」
「いやはや、そう卑下すんなって。少なくとも、あなたのおかげで俺は生き長らえた。俺にとっては、命の恩人だ」
回復したのは体力だけで、傷だらけの泥まみれのままであるレオン様だけど、その笑顔はとても清々しいものだった。
「クビになったって言ったけど……行くあてはあるのか?」
「はい。とりあえずは、この森を抜けた先のマルタの町が、私の故郷なので、そこで小さな薬売りでもしようかと」
「……そっか」
そう答えると、レオン様は少しだけ残念そうな顔をした。
すると、雨音に別の足音が混ざって聞こえてきた。
「おぉっ、レオン!こんなところにいたのか!」
振り返ると、レオン様と同じ下級騎士の方が、雨具を纏ってそこにいた。
「フリードか!いやはや、助かったよ!」
レオン様は、フリード様と言うらしい同僚の方に手を振る。
「死にかけたところを、こちらのお嬢さんに助けてもらってな。とりあえずは元気だ」
「あぁーそりゃ良かった」
するとフリード様は私に向き直ると、深く頭を下げてきた。
「ウチのレオンがご迷惑をおかけして、申し訳ない」
「いえ、迷惑など」
「おまけに死にかけのところを助けたと……なんとお礼すればいいやら」
「構いません、人として当然のことをしたまでですから」
ありがとうございました、と頻りに礼を言うフリード様は、グイッとレオン様を起き上がらせた。
「帰ったらアルフォンス団長に死ぬほど感謝しとけよ、お前のために二個中隊も動員してくれてるんだからな」
「いやはや、そりゃ申し訳ねぇな……」
恐らく近くに騎士団がいるのか、フリード様はレオン様に雨具を被せると、雨の中歩き出した。
「ありがとうなアイシャ!今度会ったら、ぜひともお礼をさせてくれよなー!」
「レオン様も、お大事に」
そうして、レオン様はフリード様と共にその場を立ち去る。
私は雨が弱まるまでここで立ち往生。
ざーざーと降り頻る雨の下、
「レオン様、か」
ふとレオン様との短いやり取りを思い出す。
あんなにも素直に感謝してくれる人と言葉を交わしたのは、久しぶりな気がする。
けれど、もう二度と会うことは無いだろう。
夢に敗れた若者である私と、レイソール王国騎士団と言う華々しい部隊に属するレオン様。
さっきのような出来事でも無ければ、出会うことすら無かったかもしれないのだから。