アロイス
その後数日は侯爵を迎え入れるための準備に奔走した。
使用人は数えるほど。だから、リディも準備を手伝った。
侯爵をもてなさなければならないため、ドレスも新調することにした。
きっとリディはこの婚約を結ばない。だから、新調しても無駄だと思ったが、父の気持ちを考え、甘えることにした。
当日はリディが母と共に準備している間に、父がリヴァイン侯爵の相手をしてくれることになっている。
「初めまして。ユストファ子爵家へようこそお越しくださいました」
階下から父の声が聞こえる。
「どうやら来たみたいね」
リディの髪を結ってくれている母がリディの顔を覗き込む。
「そう、だね」
一体どんな人なのだろう。
「母さんはリヴァイン侯爵のこと知ってる?」
「いいえ、詳しいことは何も。ただ、早くにご両親を亡くされてるってのは聞いたことがあるわよ」
リディは思わず目を見開く。それも、あの人と同じ。
「だから、二十二歳という若さで侯爵位を継いだらしいわ。なのに、立派にやっているそうだから、すごいわね」
「う、うん」
若くして侯爵位を継ぎ、王族との血縁関係もかなり薄いがある。そして、同じ歳の差。何なのだろう、この奇妙な符号は。
「さて、できたわ。行きましょうか」
母にそう声をかけられ、リディは椅子から腰を上げる。
着ているドレスはこの日のために新調したもの。季節はそろそろ夏に近づいているので、夏らしい薄緑のもの。パニエはあまり広がっておらず、平民の着るワンピースのようだ。
母がしてくれた髪型はハーフアップ。ねじって後ろで一つに結んでくれた。
階段を降りて、父とリヴァイン侯爵のいる応接間に向かう。
扉のノックをして母が口を開く。
「失礼します」
扉を開けて最初に見えたのは父の姿。
格好は舞踏会や夜会で着る礼装姿。それ以外にきちんとした服装がなかったのだろう。
額に汗をかいていて、緊張しているようだ。
リヴァイン侯爵の姿は母の背中で隠れて見れなかった。
そのまま、母と共に父の元へ行き、母は父の左側に、リディは右側に座った。
そして、顔を上げて対面に座るリヴァイン侯爵を見て。リディは息が止まった。
そこにはあの人がいたから。
「リディ?どうしたいんだい?早くご挨拶を」
父にせっつかれてようやくリディは我に帰る。
「あ、申し訳ありません。ユストファ子爵令嬢リディと申します」
「初めまして。僕はアロイス・リヴァインと申します」
そして、アロイスはリディに笑顔を向けた。
その笑顔はリディの記憶の中にある笑顔とまったく同じで。前世のことを思い出してからずっと恋焦がれてきたもので。
流れ出そうになる涙をリディは必死に瞬きすることで散らす。
「えっと、その、なぜ私の娘と婚約したいと?」
娘の異変に気づかないまま、父は口火を切る。すべてを言わなかったが、父は身分が釣り合わないと、本当は言いたかったのだろう。
身分差が大きい婚約はどちらにも不幸をもたらす可能性がある。だから、父はリディのことを心配してそう尋ねたのだ。
「ユストファ子爵令嬢に一目惚れしたからです」
その言葉にリディはもちろん、両親も呆気に取られる。
一目惚れ?私に?
そんなのはあり得ない。求婚されたと聞いた時もそう結論づけた。なのに、それが本当だったの?
リリアーナはのちに傾国の美姫と言われるほど美しい人だった。漆黒の髪に珍しい薄紫色の瞳。父である王に厳しく管理されていたため、身体の線は細く、肌も幽鬼のように白かった。社交界の理想を具現化したような容姿だった。さらに、知識や教養も人並み以上にあり、それを賢しらに人に自慢することもない。唯一の欠点は表情がないこと。それだけだった。
一方、リディは表情豊かだが、それ以外はリリアーナに何一つ優っていない。
少し癖のある栗色の髪に鳶色の瞳。毎日のように外に出て畑仕事をしているので陽に焼けた肌。
社交界では青白い肌が理想とされる。だが、リディの肌はそれとは正反対だ。
そんな自分が一目惚れされるとは到底信じられない。
この人の言葉通りなら、一目惚れしたのはきっとリディの社交界デビューの日。
あの日見つめられた深い青色の瞳を思い出す。リリアーナが海のようだと思った深い深い色。その色にこの人の瞳はそっくりだった。
対面に座るアロイスと視線を合わせて。
リディはすぐに逸らしてしまった。
リディと目が合うだけで、嬉しそうにアロイスははにかんだ。その様は本当にリディに恋しているかのようで。胸がどきどきした。
恋するつもりはないのに。
目の前のアロイスがあの人そっくりで。もしかしたら、あの人の生まれ変わりなのではないかと思いたくなる。
容姿だけでなく、纏う雰囲気もリディの記憶の中のユリウスそっくりだった。
でももし、アロイスがユリウスの生まれ変わりだとしても、リディがそれを訊く権利はない。
だって、ユリウスを生涯誰とも結婚できなくさせてしまったのは、他でもないリリアーナだから。
きっと彼はリリアーナのことを恨んでいる。憎んでもいるかもしれない。
リディがリリアーナの生まれ変わりだと知ってもきっと相手にしてくれない。恨み言を言われてしまうかもしれない。それが怖かった。
「そ、それは大変嬉しいのですが。私どもはリディの気持ちを尊重したいと思っていまして」
家族の中で誰よりも早く先程の衝撃から回復した父が口を開く。
「なので、娘が嫌だと言えば、この話を白紙にして欲しいのです」
父がその言葉を言った時、リディはアロイスのことを見れなかった。どんな反応をするのか、見るのが怖かった。自分が望んだくせに。こんなにも怖いのはアロイスがあの人と瓜二つだから。あの人にどんなことでも拒否されるのは嫌だった。
「ええ、もちろんです」
アロイスの柔らかい声にリディは思わず、ひたとアロイスを見つめてしまう。
そのリディの視線に微笑みながら、アロイスは言葉を続ける。
「僕はユストファ子爵令嬢の意思を無視したりはしません。娘さんの考えを尊重するなんて、とても素敵なご家族ですね」
アロイスの言葉に父も母も瞳を潤ませている。
「そう言っていただけて、嬉しいです。娘にも話したのですが、すぐに判断することはせず、相手の方と話してみてから、この話を受けるか否か判断してほしいと言いました。なので、少し二人で話してみてはいかがでしょうか。我が家の庭はその、実用的で鑑賞できるような花はあまりないのですが」
「それはユストファ子爵令嬢も了承しているのでしょうか」
アロイスの瞳から少し視線を逸らしてリディは答える。
「は、はい」
二人きりで、なんて初めて聞かされたが、ここで拒否したところで仕方ない。それに、今のところほとんど父とアロイスしか話をしていないので、彼がどんな人なのかまったく分からない。リディが父と約束したことを果たせていない。なので、これは当然の流れだろう。
「では、行こうか」
アロイスは席から立ち上がると、リディの元まで移動し、手を差し出してくれる。
少し躊躇ったものの、リディはそこに自分の手を重ねる。
ちらっと後ろを見やると、にこにことした表情で両親は見送ってくれた。