求婚
王都から領地に帰った翌日にはリディは畑に出ていた。
邸にある畑は広く、庭よりも面積が広い。
そこには種々様々な野菜が植えられていて、季節の野菜が常に楽しめる。
庭は庭師が管理しているが、畑はユストファ家が管理している。
一応、子爵令嬢であるので、日焼け防止の帽子を被りながら、リディは畑仕事に精を出す。
毎日のように外に出て畑仕事をしているので、他の令嬢のように肌は白くない。
けれど、リディは気にしたことがない。リリアーナの時は幽鬼のような白い肌を保つため、公務の時以外は外に出るなと王に厳命されていた。だから、こうして自由に外に出られるだけで幸せだった。
まだ春とはいえ、日差しは強く、額から汗が流れ出る。それをリディは目に入らないように腕で拭う。
数日家を空けていただけなのに、未成熟だった野菜が食べごろになっている。
美味しそうに成長している野菜を見て、自然と笑みが溢れる。
きっと母と料理人が丹精込めて美味しい料理を作ってくれるはず。
収穫した野菜を入れた籠をもち、立ち上がる。
籠を腕にぶら下げ、邸に帰ろうとすると。邸の方から数少ない侍女の一人であるアニーが走ってこちらに近づいて来ている姿が見えた。
「アニー、大丈夫?」
リディに駆け寄ったアニーはかなりの距離を走ってきたのか、息切れを起こしている。
「え、ええ、まあ。お、お嬢様に、お知らせしたいことが、あって」
「落ち着いてからでいいよ」
そんなにも急を要することが起こったのだろうか。
我が家でそんなことは滅多に起こらないのだが。
「じ、実はお嬢様が求婚されまして」
ある程度落ち着いたアニーは予想だにしなかったことを告げた。
「求婚?私が?」
自分で言うのもなんだが、求婚されるような家柄ではないと思う。
子爵家の中でも比較的裕福な家はあるにはあるが、ユストファ家はその例には当てはまらない。
自作している分、食材費はあまりかからないが、その分は領民に還元しているので、貧乏ではないが、裕福とも言えない。
また、容姿もそこまで整っていない。社交界には身分も容姿も完璧な令嬢が何人もいる。だから、わざわざ何の魅力もないリディに求婚する理由が分からない。
邸に戻りながら、求婚してきた相手は誰なのかアニーに聞いたけれど、知らないようだった。
邸に着き、収穫した野菜を入れた籠をアニーに渡した後、リディは父の待つ応接間に入った。
テーブルと椅子しかない簡素な部屋に、父の他に母も座っていた。
驚きつつも、リディは二人の対面に座る。
「その、アニーから私が求婚されたって聞いたんだけど、本当?」
「あ、ああ、そうなんだよ」
困ったように父は眉を寄せる。父も戸惑っているようだ。
「誰からきたの?」
「それがね、リヴァイン侯爵からでね」
「リヴァイン侯爵って。それ本当なの?」
予想外にも高位の貴族でリディは表情を取り繕うのも忘れて、顔を顰めてしまう。
しかもよりにもよってリヴァイン侯爵だなんて。
あの人が生涯独身を貫いたと知ってリディはショックを受けた。
少しでもあの人の血を受け継ぐ人はいないのか。そう思ってがむしゃらに貴族の家系図を調べた。
すると、少ないながらもチェスト公爵家と血縁関係のある貴族は存在していて。
そのうちの一つがリヴァイン侯爵家だった。けれど、血縁関係はあるといってもあの人よりも数代前の当主がその当時のリヴァイン侯爵と従兄弟関係にあったというほどの関係で。
結局、遠縁の親戚しか見つけることはできなかった。
少しでも近い親戚の貴族がいれば、あの人の肖像画やゆかりの品を持っているかもしれない。そう思って調べたのに、徒労に終わってしまった。
そんな苦い記憶が蘇る。
昔の家系図を調べただけで現リヴァイン侯爵のことをリディはよく知らない。
あの人が生きた時でさえ遠縁の関係で、特に繋がりもなかったのに、今の時代ではもっと薄れていることだろう。もしかしたら、自分の家系がチェスト公爵家と親戚関係にあることさえ、知らないのかもしれない。そんな家があの人ゆかりの品を持っているとは思えない。だから、今の当主のことまで調べなかった。
「もしかして、結構歳が離れているとか?」
侯爵家の人間が子爵家の令嬢に求婚することは通常ありえない。
最近では資金繰りに困った高位貴族が裕福な下位貴族や豪商の娘と結婚することもあるみたいだけど。ユストファ家に限ってそれはありえない。
何か侯爵に瑕疵があって長年に渡り結婚できなかったか、結婚したものの、伴侶と早くに死別し、二度目の結婚をしようとしているか。
考えられるとしたら、その二つだ。
二度目の結婚を考える際、いくら高位貴族といえども、同じ位の貴族の娘と結婚できることはあまりない。しかし、下位貴族であれば、高位貴族との繋がりを得たいと考える下位貴族は少なからずいるので、その娘と二度目の結婚をすることもままあるのだ。
だから、リディは自分と歳が離れているのではないかと考えたのだった。
「いや。さほど歳は離れていないなあ。リディより五歳上の二十二歳だね」
父の言葉にリディの心臓がどくんと跳ねる。
リリアーナとユリウスの年の差と同じ。でもただそれだけ。リヴァイン侯爵はあの人となんら関係がない。そう自分に言い聞かせ、どうにか気持ちを落ち着かせる。
「ふうん。顔合わせは行かなきゃいけないのよね」
婚約を結ぶ際、両家の家族が一度揃わなければいけない。その時は大抵爵位が上の家に集まる。
「それがね。侯爵がこちらにいらしてくれるみたいだよ」
「え?」
そんなこと、通常ならありえない。しかもかなりの爵位差があるのに。
「こっちがユストファ子爵令嬢の許可なしに求婚したから、こちらが向かうのが筋だと言われてね。まあ、あちらがそう言うならと承諾したわけだよ」
父も未だに状況が飲み込めていないのか、困惑顔だ。
侯爵にそこまで言われては、父としてはもう何も言えなかったのだろう。
けれど、なぜそこまでしてリディに拘るのか。
爵位もさることながら、容姿だって一目惚れされるほどでもない。
リリアーナなら一目惚れも充分ありえただろうが、今のリディの容姿は端的にいえば普通だ。
それ以前に現リヴァイン侯爵なる人にあった覚えがない。
「・・・まあ、リディの考えは理解しているつもりだから。ねえ、母さん」
父が隣に座っていた母に振ると、母もそれを受けて首を縦に振る。
「だから、侯爵に会ってみて、それで嫌だったら父さんがなんとかする」
「な、なんとかするって?」
「それは、この話を断るってことだよ」
「そ、そんなの・・・」
父の話にリディは声を震わせる。
リリアーナの生きた時代より身分秩序は緩くなっているとはいえ、それでも変わらず身分差がある社会だ。
侯爵からきた話を子爵が断るなんて。
そんなの、家が取り潰されても文句はいえないくらいの暴挙だ。
「いいんだ、リディ。私たちはリディが不幸になってまで家を存続させたいとは思っていない」
隣を見れば母も頷いている。
「それに、爵位がなくなったところで、今と大して生活は変わらないだろう?」
父の見せた笑顔にリディもつい笑ってしまう。確かに今も平民と同じように鍬を持ち農作業をしている。普通、貴族ならそんな重労働はしない。
「でも、だからといってすぐに断るのも相手に失礼だと私は思うんだ。だから、リヴァイン侯爵に一度会ってから判断してほしい。それでいいかい?」
父の言葉にリディは頷く。
こんなにも想ってくれている家族に何も返せないことがとても申し訳なくなるほど、二人はリディのことを心から愛してくれている。
「侯爵様がいらっしゃるなら色々準備することがあるよね」
「そうなんだよ。実を言うとそれが一番心配なことだったりして」
そう言って父は今日一番の笑顔を見せた。