想い出
社交界デビューを終えてすぐに領地に帰れると思ったのに、父は王に挨拶するために王城に寄らなければならないという。
この国の大半の貴族は王都に住んでいるが、父のように領地に居を構えている変わり者の貴族も数人ほどいる。
そのような貴族は一年に一回、王城を訪れて王に挨拶しなければならないという。
リリアーナの時にはなかった風習だ。
きっと一年に一回、王に会うことで忠誠心を確かめようという狙いがあるのだろう。
王都以外の地方に住んでいると、王の威光はどうしても薄れてしまう。下手したら隣接している他国の甘い言葉に乗せられて、裏切られる可能性もある。
だから、このように一年に一回必ず会うことで、貴族に誰が主であるのか確認させているということだろう。また、直接会うことで邪な思いを抱いていないか確認する、という目的もあるのだろう。
父は王に挨拶を終えればそのまますぐに帰ると言っていたので、リディも同じ馬車に同乗することになった。
今回は母は王都に来ていない。領地で父の留守を預かっている。
昨日リディは王に謁見したものの、本来はそれが許されない身分であるので、父が挨拶している間、リディは王城内で待機することになった。
本当はこんなところ来たくなかった。
けれど一刻も早く領地に帰りたいのも事実で。王城から直接領地に帰る方が早かったので渋々着いてきたのだった。
この王城はあの革命の時半壊したので、あの頃の面影はあまり残っていない。
それでもところどころにあの当時のまま残っている部分もある。
リリアーナが使っていた部屋もきっと残っているのだろう。
あの部屋は王城の奥の奥にあって誰も気にしないような場所だったから。
行ってみたいような気もしたけれど、あそこは本来王族しか立ち入ることのできない場所。今のリディの身分では行くことはできない。
なので、今のリディでも行ける場所はといえば、この庭しかなかった。
この庭は王城に住んでいながらほとんど来たことがなかった。父である王が許さなかったのだ。花を愛でる時間があれば、より多くの教養を身につけろ、と言われた。
でも結婚してから一度あの人と、ユリウスと訪れたことがある。
それは王に結婚報告をするために王城に来た時だった。
呼び出したくせに急な来客が来たとかで、リリアーナとユリウスはその来客との会見が終わるまで待機しろと言われていた。
本来ならそんなことはありえないことだった。王女よりも大切な来客など、そもそも予定に組み込まれていなければならない。
元々来客の予定はあり、その時間にリリアーナたちを来させることで、自分たちの立場を分からせようとしたのかもしれない。
それほどまでにリリアーナが疎かに扱われていたということ。
ユリウスはそのことを前々から知っていたと思うけれど、それでも改めてリリアーナの現状を知られて、リリアーナは恥ずかしくなった。
「すみ」
「せっかく時間もできたことだし、ちょっとここら辺散策しようか」
リリアーナが謝ろうとした瞬間、ユリウスにそう声をかけられる。
俯いていた顔を上げてユリウスを見れば、今の状況を全く意に介していない表情がそこにはあった。
この人はどうして気にしないのだろう。
王がリリアーナをユリウスに降嫁させたのは、ひとえにユリウスの力を得たいがため。
ユリウスは有力貴族の一人で、王とは違って民からも慕われている。
こちら側に引き込めば力強い味方となるが、敵となれば、手強い相手になる。だから、王はリリアーナを降嫁させることによって、ユリウスを裏切れない状況に追い込んだのだ。
それにもかかわらず、王はユリウスを邪険に扱う。リリアーナを嫁がせたことでユリウスは裏切ることがないとでも思っているのだろうか。
ユリウスにとっては不本意な結婚であるはずだから、リリアーナがどうなろうと、彼にとっては興味もないはず。
邪険に扱えば、王族に反旗を翻すことも十分にありえることがあの王には分からないのだろうか。
自分の父であるにもかかわらず、愚かだと思った。
リリアーナにはあんなに様々な教育を施したくせに、自分はちっとも政治のことを分かっていない。
「庭には行ったことがある?」
「庭、ですか・・・」
行った記憶はなかった。でももしかしたら幼い頃に行ったことがあるのかもしれない。
王城に住んでいて、庭に行かないことなんてあるだろうか。
もしかしたら一度行って、王にこっぴどく怒られたのかもしれない。それで、それ以降庭には近づかなかったのかもしれない。
けれど、そんなことを結婚して何ヶ月も経っていないユリウスに言えるはずもなく。
結局何を言えばいいのか分からず、俯かざるを得なかった。
「・・・そっか。じゃあ、一緒に行こうか」
リリアーナの態度で察したのか、何も言わず、ユリウスは手を差し出してくれた。
その手に戸惑いながらもリリアーナは己の手を重ねる。
そして、リリアーナの不安を掬い取るように、ユリウスはぎゅっ、とリリアーナの手を包み込んでくれる。
ユリウスの方がはるかに背が高いのに、リリアーナは急いで歩かなくてよかった。
何故だろうと思っていたけれど、気がつく。彼がリリアーナの速度に合わせてくれていることに。
陽の光に当たって、ユリウスの銀髪がきらきらと星屑のように煌めいている。
と、視線に気づいたのか、ユリウスがこちらを振り向く。思わず、リリアーナは目を背けてしまった。
リリアーナがユリウスと歩いた小道は今もまだ残っている。
ここは貴族であれば、誰でも入れる庭だ。
こことは違い、王族と限られた人物しか入れない庭もある。通称、ロイヤルガーデンだ。けれど、リリアーナは一度も入ったことがなかった。
ロイヤルガーデンでは、希少な植物が育てられていた。
そこでは研究も行われていて、新たな種の開発も行われていた。
だから、王族以外で入れるのは植物研究者だけで、国は彼らに研究費を支給して、それらの研究を奨励している。
しかし、その研究が一時中断していた時期がある。リリアーナが王女だったあの時代だ。
リリアーナの父は研究者に支給する研究費さえ惜しみ、自らの懐に入れた。その費用さえ浪費するために使ったのだ。
だから、学者たちは研究を続けられなくなり、次々と辞めていった。研究者が辞めれば、研究対象である植物を育てる意味もなくなる。必然的にそこを管理していた庭師も辞めさせられた。そのため、ロイヤルガーデンは廃れ、荒廃したのだという。
王族が打倒された後は、ロイヤルガーデンも復活し、今も植物の研究を国をあげて奨励している。
なので、リリアーナがたとえ、ロイヤルガーデンに行けていたとしても、好き放題に生えた花や草木しかなかったことだろう。
季節はあの時と同じ春。
あの頃と咲いている花はほとんど変わらない。
そんな細かいことまで覚えている自分に呆れてしまうけれど、しょうがないではないか。
あの人との思い出はリリアーナにとってはすべて忘れたくない、大切な思い出なのだから。
ユリウスはリリアーナの歩幅に合わせて歩いてくれた。そのことをすぐには気づかせないほどとても自然な気遣いだった。
リリアーナがなんの花だろう?と疑問に思うたびに、ユリウスは花の名前を教えてくれた。
疑問をリリアーナは口に出さなかったのに。なのに、ユリウスはすぐにリリアーナの疑問に気がついてくれた。
表情に変化はなかったはずなのに。どうしてあの人はリリアーナの気持ちに気がついてくれたのだろう。
ユリウスが最初に教えてくれた花の名前は、ハルジオンだった。だから、リリアーナはハルジオンが好きになった。
ハルジオンは人工的に植えられていたわけではなく、他の花壇の隅に勝手に生えていた。
ユリウスの話によると、ハルジオンは道端によく咲いている花らしい。
今もあの時と同じ場所でハルジオンが咲いていた。
思わず、しゃがみ込んで見てしまう。
管理されて育ったものではないらしく、花壇の隅の方に咲いている。
ユリウスにリリアーナに似合う花だと、ある時言われたことを思い出す。
どちらかというと、リリアーナはバラやガーベラに喩えられた。大輪を咲かせない花に喩えられたのはユリウスが初めてだった。
でもそれがとても嬉しかった。
バラやガーベラのようだとは、リリアーナの外見だけを見て言われた言葉。けれど、リリアーナ本人は力強く咲き誇るバラのように、自分に自信を持てなかった。
だから、そう喩えられるたびに本当の私はあんなに堂々としていない、と心が張り裂けそうだった。
リリアーナを等身大の花に喩えてくれたのはユリウスただ一人だった。
あの時の、彼の優しい笑顔を思い浮かべる。
記憶の中の彼は、いつでもリリアーナに優しい笑顔を向けてくれた。そんな人は初めてだった。
彼の笑顔を思い出すだけで、リディの顔には自然と笑顔がこぼれる。
生まれ変わってもユリウスのことを好きな気持ちは変えられなかった。
今も、記憶の中のユリウスにこんなにもどきどきしている。
やはり、今世でもあの人以外の人を好きになれなさそうだ。
「リディは本当にその花が好きだねえ」
振り向くと、にこにことした表情で父が立っていた。
「うん、そうだね」
ハルジオンの花弁を触りながら、父に答える。
ハルジオンが好きで、家の庭にその一画を作ってしまったくらいだ。もちろん、そこはリディが世話をしている。
「これは勝手に生えてるみたいだけど、立派に育ってるよ」
そう言ってリディは立ち上がった。
「もう用事は終わったの?父さん」
ついてしまった土を払い落としながら、尋ねる。
「ああ、待たせたね」
「ううん。私もここに一度来たかったから良かったの」
「そうかい。それは良かったね」
この庭の醍醐味はもっと先にあるが、リディはあの時と同じ場所でハルジオンが見られただけで満足だった。
「もう挨拶も終わったし領地に帰るのよね」
「うん。リディは本当にあそこが好きだねえ」
それにリディは満面の笑みを浮かべて応える。
だってあそこはユリウス様の領地だった場所だから。