前世の記憶
始めは3話連続投稿です。それ以降は毎日1話ずつ更新していきます。
よろしくお願いいたします。
リディ・ユストファには前世の記憶がある。
辛く、悲しい記憶だ。思い出したくもなかった。
リディは前世においてこの国の王女だった。けれど、彼女の人生のほとんどが恵まれていなかった。彼女の幸せな時間はほんのいっときだけだった。
それに比べれば今世ではとても恵まれている。
家族にさえ虐げられてきた前世に比べれば、優しい家族に育てられ、自分の生きたいように生きさせてくれる。
なのに、何故この記憶を思い出してしまったのだろう。
思い出したって仕方ないのに。
けれど、一つだけ。たった一つだけ思い出して良かったと思っていることがある。
あの人の存在だ。
誰にも相手にされなかった自分を相手にしてくれたあの優しい人。
彼女にとってほんのいっときの幸せをもたらしてくれた優しいあの人。
名前まではリディの記憶では思い出せなかった。
けれど、自分の前世の名前は覚えている。
リリアーナ・リラ・ツェルバトーン。この国の三大悪女の一人として数えられている、王女だ。
彼女は贅の限りを尽くし、ついには王族を滅ぼすまでに至った稀代の悪女だ。
前世のことを思い出すまではリディもそう覚えていた。
けれど。実際のリリアーナは悲しい人だった。あの人に会うまでは何にも恵まれていなかった。
あの人と共に過ごした時間も少ない時間で。決して恵まれているとは言い難い人生だった。
リリアーナの散財によって国は傾き、ついには民衆が蜂起するまでに至ったと歴史書では言われている。
実際国は傾いていたのだろう。
その当時、国が傾いていたのはリリアーナのせいだとされ、そんなリリアーナを許している王族を倒そうと民は立ち上がったのだろう。
詳しいことは当事者であるリリアーナも知らないが。
でも、リリアーナは一度だって国庫を浪費したことはない。いつだってリリアーナは体のいい駒にしか過ぎなかった。その駒が散財を許されるはずもなく。
民は王族が流した噂を鵜呑みにしただけだ。
実際はリリアーナ以外の王族が引き起こしたことなのに。それなのに、他の王族のことはほとんど書かれていない。
こんな理不尽な話はない。
けれど、あの人だけはリリアーナが関係ないことを信じてくれた。最後のあの瞬間だって。
そう思うと同時に、心臓が大きく跳ねる。
あの瞬間は何度思い出したって慣れるものではない。
あの時はあの人を守るのに必死でその後のことを考えていなかった。目の前でリリアーナが死んで、あの人がどんな傷を負うのか考えられなかった。
あの人がリリアーナが死んだ後どんな人生を歩んだのか、気になった。
どうかリリアーナのことは忘れて幸せになってほしいと思った。
稀代の悪女を少しの間だけでも、妻にしていたあの人が悪し様に言われているかもしれない。それだけは嫌だった。自分はどんな風に言われてもいい。けれど、唯一リリアーナに手を差し伸べてくれたあの人が悪く言われるのは耐えられない。
あの人がその後どんな人生を歩んだのか。そもそもあの人の名前はなんというのか。知りたくなった。
だから、リディは邸にある歴史書を読み漁った。
突然、今まで興味もなかった歴史書を読み漁り始めたリディに両親は思うところがあっただろうけれど、ほっといてくれた。それがとてもありがたかった。
どの時代に書かれた歴史書を見ても、リリアーナは救いようのない悪女として書かれていた。
覚悟していたこととはいえ、それを文字で追うのは辛かった。
そして、リディの一番知りたかったことはどの歴史書を読んでも書かれていた。どうやらあの人はリリアーナと同じく有名な人物らしかった。
あの人の名前はユリウス・チェスト。公爵だった。
王族の国庫浪費を少なく抑えるために早くから奔走していたらしい。
国を守るために必死に働いてくれていた。
なのに、王族はあの人の献身を無駄にした。許せなかった。
そんなあの人は民が蜂起すると、王族を見捨て、革命軍の方についた。
どれだけ働いても王族は浪費することをやめなかった。そんな王族に媚び諂うのは己の私欲を考える貴族だけ。ほとんどの貴族は民衆側についた。
だから、結果は明らかだった。
暴動は圧倒的な革命軍側の勝利で終わり、王族は一人残らず、王族側についた貴族も処刑または追放された。
その後、革命が終わった後、国民投票によって国王は選ばれた
世襲制によって今回のことが起こったのだと、それ以降、国王は投票制になった。
だから、たとえ国王の子として生まれようとも、必ずしも国王になれるわけではなかった。
素行が悪いと判断されれば、容赦なく王太子の座を下された。
今の国王も投票によって選ばれている。
あの革命の後も何度か評判の良くない者が王太子となり、その度に投票によって評判の良い者が代わりに選ばれた。だから、今の国王は投票によって初めて選ばれた王と血は繋がっていない。
そうして、ツェルバトーン国は周辺諸国にもない、投票によって王が選ばれる珍しい国となった。
革命の後、新しく王を選ぶとなった時、その後王となった革命軍の指揮者と共にあの人も候補の一人になったらしい。
あの人は自らの益よりも民のことを真っ先に考え行動したからだ。それが評価され、王候補に選ばれた。
けれど、あの人は王になることを辞退した。
王が決まった後は、その王の元で骨身を惜しんで働いた。
ーーそして、あの人は生涯独身を貫いた。
そのことを知った時リディは涙を流した。
自分のせいだ。リリアーナがあの人の目の前で事切れたから。
きっとその責任を感じてあの人はその後誰とも結婚しなかったのだ。
自分の犯した罪に気付いて、リディは戦慄した。
私は一体なんてことをしてしまったのだろう。
あの場では咄嗟にああするしかなかったことも分かっている。けれど、他にもっと良い方法はなかったのだろうかと思わなくもない。
もうどうしようもないことなのに。
何故自分は生まれ変わってしまったのだろう。
もしかしたら神様が前世薄幸だったリリアーナを憐れんでもう一度生を与えてくれたのかもしれない。
けれど、あの人がいない世界に生きていたってリディにとっては辛いだけだ。
それならあのまま生を終えたままでよかった。
あの人と短くとも過ごせた時間は、リリアーナにとって何物にも代え難いほど幸せな時間だったから。
今世の家族はリディのことを大切にしてくれている。
なのに、リディは満たされない。
すべてはあの人がいないから。
「おーい、リディ。収穫は終わったか?」
声をかけられてリディは回想を切り上げ、止めていた手を慌てて動かす。
「ごめん、父さん。まだ終わってない」
父と同じ大きさの声で返せば、父はすぐにリディの元に来てくれた。
「じゃ、私も手伝うよ。ほら見て。今日はこれだけ取れた」
父はリディに近づくと、自分の持っていた籠の中身を見せてくれた。
そこには青々とした数種類の野菜が入っていた。
「すごいね。今年は特に豊作なんじゃない?」
「そうだね。食卓にも美味しいものが並びそうだ」
父は嬉しそうに笑顔を見せた。
リディの父は子爵でありながら、自ら畑に出て農作業をしていた。
母も高位貴族は入らない調理場に入り、使用人に混じって料理をする。
ユストファ家は貴族らしからぬ貴族だった。
一年のほとんどの時間を領地の方で過ごすので、王都に行くのは社交界シーズンの時だけ。それも、どうしても出席しなければならないものだけだ。
庭の大半を野菜の栽培で占め、花は少ない。
それでもこの庭がリディは好きだった。
優しく暖かな邸だったから。前世では得られなかった、リリアーナが望んでいる家庭の象徴だから。
「もうすぐリディのデビュタントだね。緊張するかい?」
今日収穫した野菜を脇に抱えながら、邸に帰る途中で父はそんなことを切り出した。
「ううん、全然」
今世ではもちろん初めてだが、前世では経験済みだ。
「デビューしてすぐに領地に帰ってもいいのかい?」
父は心配そうに尋ねてくる。
自分たちに合わせなくていいんだよ、リディが残りたいなら残るから。そう言いたいのだろう。
前世の家族は一切リリアーナの気持ちを慮ってくれなかったのに。ユストファ家に生まれて良かったと思う。
「うん。別に興味ないから」
我知らず、冷たい声が出てしまった。
前世において、社交界とは嫌な思いをする場所でしかなかった。
悪意が渦巻き、ひそひそと悪口を言われる。
そんな場所にはできるだけ参加したくなかった。
前世はリリアーナに拒否権がなかったものの、今世ではリディが嫌だといえば、無理強いされない。
だから、リディは社交界デビューが終われば、すぐにここに帰ってくる予定だった。
この場所が好きだった。
なんの因果か、かつてあの人が所有していた領地の一部をユストファ家は所有していた。
あの人は生涯独身を貫いたため、あの人の死後、チェスト公爵家は取り潰され、公爵家の所有していた領地は周辺の貴族に分配された。その一部をユストファ家は手に入れたわけだ。
そのことを知った時、リディは嬉しさのあまり泣きそうになった。
リリアーナは公爵家の領地に行くことは叶わなかったが、あの人から領地の話を聞いていた。
いつか、この目であの人が大切そうに語るその場所に行ってみたいと思っていた。
その場所に今リディはいるのだ。
ここら辺で取れる野菜や果物は昔から変わらないのだという。
季節になれば旬の野菜や果物が領地から送られ、食卓に並んだ。それらを食べるのが好きだった。
でも野菜や果物が栽培されている光景も見てみたいと思っていた。
あの人が語る景色はそのどれもが美しくて。言葉で説明されているはずなのに、リリアーナの頭の中には容易にその光景が浮かんだ。でも、きっと実際の景色はリリアーナが想像する何倍も美しい場所なのだとも思っていた。
その光景をリディは見ることができているのだ。
あの人はもういないけれど。あの人がかつて語ってくれていた場所はいまだに存在している。それが無性に嬉しかった。
「ねえ、父さん。社交界デビューを取りやめることはできないのよね」
「え?ああ、そうだね。流石にそれは貴族の義務だからねえ」
突拍子もないことを言う娘に驚きながらも困ったように父は言う。
本当は煩わしい社交界になんてデビューしたくない。
ずっとこの場所にいたい。離れたくない。
あの人のことを少しでも感じられるこの場所にできるだけいたい。人生はいつ終わるかなんて分からないのだから。
でも下位とはいえ貴族に生まれてしまったから、仕方ないとリディは諦めた。