逝者は語る3
* * *
「じゃあ早速だけど、昨日のことを思い出せる範囲でいいから教えてもらえるかな」
正午を少し過ぎた頃に昨日助手席で寝ていた白衣の男を伴って史の家を訪ねてきた啓治は、リビングに行くなり早々に本題に入った。けれど残念ながら結と真夏は啓治が期待するような有益な情報は持ち合わせていない。結が「恐れながら、」と切りだすと啓治の隣に座っている白衣の男が「侍じゃん」と火をつけたように笑だす。笑い転げる白衣の男を前に、結はひたすらに困惑した。
「ごめんね結ちゃん。こいつ研究以外の人間生活をまともにしてこなかった変人なんだ」
「えっと、はい。とりあえずこちらの方は一体どなたでしょうか?」
「俺は灯雨写楽。ねえ、君何型? 血圧は? なにか疾患はある? 服用してる薬は?」
「ご覧の通り人体に目がない変た……んんっ、善人の法医学者デス。昨日吊り橋で見つかった善人の解剖をしたのもこいつ」
「なにから聞きたい? 死因? 死亡時刻? あ、それとも胃からでてきた物とか?」
「はいはい、序盤から暴走しない。二人の顔が引きつってるでしょうが」
啓治が白衣の襟を後ろに引くと、写楽は「ぐぇっ」とカエルが潰れたような声をもらしてソファーに戻った。
「話を戻しますが、僕たちは昨日一時過ぎ頃に家をでて花畑に行きました。そこで数分雑談をして、奥へ行こうとしたところで機械音声が聞こえてきたので周囲を見回したところ、吊り橋で男性が倒れていたんです」
「電話でも聞いたけど、二人以外に近くに人はいなかった?」
「はい。あの場には僕たち二人しかいませんでした」
「そっか。じゃあここで写楽に解剖結果を説明してもらおうか。写楽、頼んだよ」
「うん。昨日吊り橋で見つかったのは冴木泰智、男性。三十五歳。死因は頸動脈を切り裂かれたことによる出血性ショック。死亡推定時刻は昨日の八時前後。首以外に目立った外傷はなし」
写楽が冴木の顔写真の横に平然と解剖時の写真まで並べだそうとしたため、啓治は横から写真の束を奪った。
「殺しの手口から、善人殺しの六人目の被害者であることが確定してる」
啓治の声を聞きながら冴木の顔写真に視線を落としたところで、結の脳内でとある声が流れ始めた。
『——くん。どうかその素晴らしい志を最後まで捨てないでくれ。諦めなければいつかきっと好機はやってくる。それまでともに足掻き抜こう』
『もちろんです。やつらが追い詰められた末に金に物をいわせて強硬手段にでる可能性もないとは言い切れません。冴木さんもどうかお気をつけください』
『ありがとう。君もどうか気をつけて』
冴木。確かにそう聞こえた。この会話がいつ交わされたものかは不明だが、年若い男の憂いは昨日現実のものとなってしまった。そうなると彼の身も安全とは言い難い。冴木と親交のあった人物を調べていけば、男の身元を特定できるだろう。
「——ちゃん? 結ちゃん、聞こえてる?」
「すみません。聞いてませんでした」
「正直でよろしい。もしかして体調悪い?」
「いえ、大丈夫です。続けてください」
「分かった。これは被害者全員に共通してるんだけど、冴木も含めて殺された善人たちは悪人擁護派なんだ。総理大臣を始めとする悪人を嫌うやつらが掲げる善人至上主義とは真っ向から対立する思想だね」
「そんな善人がいるんですか?」
小さく目を見開いた真夏に、啓治は「いるよ。一定数ね」とさらなる希望を提示した。
「善人至上主義を積極的に掲げてるのは総理大臣を始めとした政治家たちがほとんどだね。一般人は政治家たちがテレビで悪人を批判するから同調してるだけって感じ。自分で考えることができる一部の善人たちは、諸悪の根源は悪人じゃないことも、おかしいのは国だってことにも気付いてるよ」
「悪人擁護派の人たちは、一体なにを望んで国に反旗を翻しているんですか?」
「いい質問だね結ちゃん。彼らの最終目標はね、簡単にいえば革命だよ。より具体的にいえば、善悪法の撤廃と政府の解体だね。今や総理大臣はこの国の絶対君主だ。世襲制だから、貴海一家を根絶やしにするか引き摺り下ろすしか方法はないんだよ」
「その動きは、政府には勘付かれていないんですか?」
「今はまだね。でも政府は優秀な犬を雇っているっていう噂があるから、気取られるのは時間の問題だろうね」
善人至上主義を唱える政府と、政府が飼っているという犬。狂った国を根底から変えるべく水面下で牙を研いでいる悪人擁護派。水面下で進む革命の動きは、今後この国を大きく揺るがす濁流となる。そんな予感が、結の背筋を震い立たせた。
話が途切れひと時の静寂が場を満たした時、夜があくびをしながらリビングに顔をだした。
「ふぁー、よく寝た。啓治さん、隣の白衣の人誰?」
「ほら、よく話す変わり者の法医学者だよ。善人殺しの被害者の解剖を担当してる」
「ああ、なるほど。はじめまして夜です」
「俺は写楽。よろしく夜くん」
「写楽って昔いた絵描きと同じ名前だよね。画家じゃないんだ」
夜は会ってからものの数秒で早くも写楽と打ち解け始めている。台所へ行った夜が冷蔵庫を開けながら「麦茶飲む人ー?」と声をかけると、全員が挙手をした。
「はーいお待ちかねの麦茶です。昨日作ったやつだからちょっと味があれかもしれないけど、苦情は受け付けません。ところでさ啓治さん。善人殺しの被害者をざっと調べてみたんだけど、全員悪人擁護派なんだね。総理大臣様は悪人の中に犯人がいるって決めつけてるみたいだけど、庇ってくれてる人を悪人が殺すわけなくない?」
「そうなんだよネー。だからこそ犯人探しんは難航してるワケですよ」
「なになに、どういうこと?」
写楽が両膝を抱えながら問いかけると、啓治は「つまりね」と姿勢を正す。
「善人殺しは善人が起こした自作自演じゃないかとボクは読んでる。っていうかぶっちゃけそれ以外考えられない」
「なにそれどんなクソ映画だよ」
「こらこら、口が悪いですよ写楽くん」
啓治が口にした言葉に、結と真夏は揃って顔を上げた。
「啓治さん、それは確かなんですか?」
「真夏ちゃん、ボクが今まで嘘をついたことがあったかい?」
「数えきれないくらいあります」
「ふふっ」
「結くん、笑ってるのバレバレよ」
「失礼しました」
詳しい話を聞いたところ、善人殺しの正体が善人であることはこれまでの調査から概ね確定しているとのことだった。具体的な根拠は三つ。前回までの殺しは全て此岸町で起こっている。悪人が犯人だと仮定した場合、此岸町に入り込んだ時点でかなりの騒ぎになるため、誰にも気付かれずに人一人を殺すことはまず不可能だということ。それは裏を返せば善人なら完全犯罪が可能だということになる。二つ目は善人殺しが立て続けに起こっていること。二百年間国を統治してきた政府の権力は絶大で、善人が悪事を働いて逃亡を図ったとしてもその日の内に見つけだして彼岸町に移送されるらしい。しかし政府は次々と善人が殺されているこの状況下で、後手に回るばかりか手をこまねいている。犯人は政府の力を持ってしても捕まえられない知能犯ではなく、なんらかの意図がありあえて政府が泳がせている又は捕まえずにいると考える方が自然だということ。三つ目はいつ理不尽に命を奪われるか分からない悪人が、善人を殺すという死に急ぐような行動を起こすとは考えにくいということ。殺された者たちが皆悪人擁護派であったのならば尚更だ。というのが啓治の意見だった。
「とはいっても、物的証拠があるわけじゃないからあくまで可能性の高いボクの推測でしかないんだけど」
「一悪人の立場からいわせてもらえば、善人を殺そうなんて発想すら浮かばないなあ。ただでさえ俺たちにとっては生きにくい世の中だ。この町で暮らしてればなおさら、進んで立場を悪くしに行くような愚か者はいないと思うね」
「俺も夜くんの意見に賛成。だってほら、悪人があっちに行こうと思ったら厳重な身体検査があるでしょ。刃物なんて持ってたら見つからないわけないって。悪人に刃物を売る善人もいないだろうし」
「写楽、お前天才か」
「ははっ、啓治がバカなだけでしょ。あっそうそう、これ見てよ。冴木の胃の中から出てきたUSBなんだけどさあ」
突如話の舵を思わぬ方向に切った写楽は、ズボンのポケットからビニール袋に入ったUSBを取りだし机に置いた。
「は? お前、昨日はそんな話してなかっただろ」
「だってしてねえもん」
「なんでこんな重大なこと黙ってたんだよ!?」
「そんなの啓治の反応が面白いからに決まってんじゃん」
「はぁああああ。お前は昔からそういう奴だったよな」
心の底から疲れたといった様子で大きく嘆息した啓治は、額を押さえながら「いいよ。続けて」と促した。