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善人と悪人  作者: 夜市
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狂った世界4

 少し歩いたのちに史が「ここだよ」と足を止めた場所は、名前通り屋台が軒を連ねる小さな通りだった。結はなぜ背後にある建物の中ではなくその外に屋台を出しているのだろうと思いかけてすぐに気付いた。人の手が入らなくなって久しい建物は、もう店舗としての役割も果たせずただそこに建っていることしかできないのだと。戒慎の話では、善人と悪人が区別されたのは二百年前とのこと。二百年間人の手が入らなかったのだとすれば、中が荒れ果てていることは容易に想像できる。だからこそ、ここの住人たちは外に屋台をだしているのだろう。


「必要なものはここへくれば大抵は揃うよ」

「そうなんですね」

「値段は気にせず、好きな物を買うといい」

「お金はあとで必ず返しますから!」

「律儀だね、君は」


 まずは衣類を見に行こうと心に決めた結は、どの店か決める前に歩きだしていた自分の足に驚いた。体は覚えている。その言葉が自身に当てはまるのだとしたら、記憶を失う以前の結はずっとここで暮らしていたということになる。生まれた時からずっと、悪人として。時間に逆行するように発展を止めたこの街で。


「結、どうかしたかい? もしかしてなにか思い出したのかな?」

「——いえ。ただ、僕は何度もここにきたことがあるような気がして」

「そうか。それは良い兆候だね」


 衣類を始めとする日用品を一通り買い揃えた二人は、史が冷蔵庫に食材がないというので「食」という赤いのぼりがはためく屋台に立ち寄った。


「こんにちは。今日のおすすめはなにかな?」


 史が屋台に立っている中年の女性に声をかけると、「今日は久々に肉が入ってるよ」という張りの良い声が答える。


「じゃあそれと、あと野菜と魚がほしいな」

「あいよ。ちょっと待ってておくれ」


 一度奥に引っ込んだ女性は、でこぼこと歪に膨らんだビニール袋を片手に提げてでてきた。


「肉と魚と野菜、入れといたよ。全部で三千円だ」

「安すぎないか? 肉の仕入れにはさぞ苦労しただろう。もっと上乗せしても良いくらいだ」

「いいんだよ。あんたにはいつも色々と世話になっているからね。困った時はお互い様さ」

「そうか。ありがとう」

「こちらこそ、いつもありがとうね。隣のお連れさんもまたきておくれ!」


 冷たい街の雰囲気とは正反対な女性の、ひいては人の温かさに触れて結の心は無性に締め付けられた。こんなにも他人のことを思いやれる人間が悪人だなどと到底思えない。


「史さん、悪人ってなんなんでしょうか」

「それは定義としての質問かい? それともここにいる人たちのことかな?」

「両方です。屋台通りにいた方々は悪人になんて見えませんでした。あの人たちが悪人なら、善人はどれだけすごい人たちなんですか?」

「なかなかに難しい質問ではあるが、僕の答えとしては彼らは悪人などではないよ。咎人の血が混ざっているのは事実だが、二百年経った今となってはその血は最早無に等しい。善人たちは水で薄め続けて果汁の味がしなくなった水をジュースだと呼んでいるようなものだ。それに身内までもを未来の犯罪者と見做して悪人として括るのは、完全に行きすぎた正義だと僕は思う」


 すらすらと語られる史の意見は悪人側に寄ってはいるものの、その視点は極めて公平といえた。史は結を一瞥してしっかりと話についてきていることを確認してから続けた。


「善人がどういう者たちなのかについての答えは、一概にはいえないというのが正直なところだ。向こうへ行ってその目で見るのが一番早いが、ほとんどの善人は悪人を嫌っている。よって此岸町へは近付かない方が身のためだよ」


そこで真っ白な石壁の家に着いたため、話はそこで打ち切られた。


「すまない、扉を開けてもらってもいいかな」

「あっはい!」


 結が荷物で両手が塞がっている史の代わりに扉を開けると、玄関には桜色のサンダルが一足置かれていた。予想外の出来事に、結は玄関に右足を踏みだした状態で固まる。すると奥から鈴を転がすような愛らしい声がした。


「おかえりなさい史さん。あ、もしかしてこの方が噂の? はじめまして。私は氷雨ひさめ真夏まなつといいます。よろしくお願いします」


 軽く頭を下げたことで、少女の桃色がかった茶髪がさらりと揺れる。

 結は内心激しく動揺した。史は一人暮らしだとばかり思っていたからだ。


「あ、えっと新他結です。あの史さん、一緒に住んでいる方がいらっしゃったんですか?」

「真夏はよくここにくる常連客の一人だよ。同居人は別にいる」

「一緒に暮らしている方がいるなら、戒慎さんの教会でお世話になったのに」

「それなら心配いらない。君がここで暮らすことは同居人も了承している」


 質問をしようとした結の服の裾をそっと引く真夏。結が斜め下に顔を向けると、真夏が柔らかく微笑んでいた。


「結さん、よろしければリビングへ行きませんか? 私、戒慎さんからお話を聞いてからずっと結さんにお会いしたいと思っていたんです」


 純粋な眼差しと言葉を向けられれば、結に断るという選択肢はなかった。


「はい、行きましょう」

「ゆっくり話しておいで」


 史に見送られてリビングへ向かった二人は、真夏が淹れた紅茶を飲みながら今日が初対面とは思えぬほどに話に花を咲かせるのだった。




「さあ、遠慮せず食べてくれ。これは結の歓迎会だから」


 それから約一時間後。史の音頭でリビングにて結の歓迎会が幕を開けた。広いテーブルには鯖の水煮、豚の角煮、焼き鳥など様々な料理が置かれている。どれも美味しそうだが、これらはいずれもこの家で調理された物ではない。結はこれらを皿にだす手伝いをしながら抱いた疑問を「いただきます」と手を合わせてからぶつけてみた。


「あの、どうして全部缶詰料理なんですか?」

「生の食材はこっちではほとんど出回らないんです。生野菜を最後に食べたのはもう何年前でしょうか。あっ、史さんのおかげで少し前にステーキを食べたんです。それはもう美味しくて、感動しちゃいました」


 ステーキの味を思いだすようにうっとりと目を閉じる真夏。結が真夏の言葉をいまいち噛み砕けずにいると、史の深い赤紫の視線とぶつかった。


「野菜や肉、魚などの生食材は善人たちが独占しているせいでこっちでは稀にしかありつけないんだよ。だから僕たちが口にできる料理は缶詰やレトルトなんかの加工食品ばかりだ。料理に至ってはする機会がほとんどないから、キッチンを持たない家も多い」

「また善人ですか……」

「この国は善人のためにあるといっても過言ではないからね。虐殺されないだけでもマシだよ」

「そんな、だって同じ人間じゃないですか!」

「善人たちはそうは思っていないよ。歴代の総理大臣たちは悪人にとって都合の悪い政策ばかりを打ち出してきた。今の総理大臣もそうだ。なぜか分かるかい?」

「いえ」

「彼らは悪人を滅ぼす耳障りの良い方法を探しているのさ。善人たちは悪人がゴキブリに見えるそうだよ」

「……」


 衝撃のあまり結が二の句を告げずにいると、突然背後からにゅっと出現した人物が結が箸で摘んでいた蟹のほぐし身をぱくりと頬張った。


「んー、美味い。やっぱ蟹はハズレがないよネ」


 耳元で聞こえた声に結は静かに息を呑む。錆びたロボットのようにぎこちない動作で首を回すと、目と鼻の先ににこりと笑う黒髪の青年がいた。


「はじめまして。俺は御弓みたらしよる。史の同居人です。よろしくネ。君は?」

「あ、えっと、新他結です」

「結ちゃんか。いい名前だね」

「夜、人を驚かせるのはやめろといつもいっているだろう」

「えー? ちょっとした悪戯じゃン。ね?」


 僕に同意を求められても、という結の戸惑いを察して真夏が夜を引き剥がし自分の隣に座らせた。


「夜さんはいい加減パーソナルスペースを学んでください」

「でもさ、仲良くなるにはこの方法が一番手っり早いじゃン」

「そうだとしても、限度というものがあります」

「あ、そこのサンマ美味しそう。真夏、取って」

「これはイワシです」


 史の「食べないのかい?」という声で結はハッと意識を取り戻した。


「ああ、それは夜が口をつけてしまったんだったね。交換するかい?」


 新しい割り箸を手渡されたため、結はありがたくそれを受け取った。

 賑やかな食卓。暗く退廃とした街並み。善人と悪人。ちびちびと食べながら、結は記憶を失う前の自分はこれらの事実をどう受け止めていたのだろうと思った。

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