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善人と悪人  作者: 夜市
3/13

狂った世界3

「次にこの国の在り方について説明したいんだけど、色々と複雑だからその目で見た方が早いと思うんだ。説明するにあたってうってつけの場所があるんだけど、歩けそう?」

「大丈夫です」

「じゃあ行こうか」


 教会を出た瞬間、結は言いようのない違和感を覚えた。けれど現時点ではまだ気のせいという可能性も考えられるため、この辺の住人しか知らなさそうな裏道に入っていく戒慎を追いかける。裏道を抜けると、大きな道を挟んで両側に隙間なく建物が立ち並んだ繁華街にでた。しかしそこに活気はなく、たまにすれ違う人々はみな総じて肩に疲労を背負い顔に翳りを宿している。客を呼ぶための看板は蔦や雨垂れに侵食され、灯りをなくし生き絶えた看板がほとんど。建物はどれもこれも荒れ果てた廃墟ばかりで、人が住んでいるのかすら怪しい。教会をでてすぐに感じた「この町はどこかおかしい」という結の違和感は正しかったのだ。結が今いる町は、ゴーストタウンと呼んで相違ない場所であった。


「あの、戒慎さん」


 ためらいがちに隣を歩く神父の名を呼ぶと、戒慎は「なあに?」と足首まである神父服の裾を翻しながら振り返った。廃墟群の中を歩く神父の姿は、そこだけ別世界から切り取ってきたかのように浮いていた。


「この町、なんだか様子がおかしくないですか?」

「具体的にどんなところが?」

「とても人が住めるような場所ではないと思うですけど……」

「そう。俺たちはそんな人が住めそうにない場所での生活を余儀なくされてる。国の意向でね」

「この国全体が廃れているんですか?」

「それはもうすぐ分かるよ」


 繁華街が終わると、二人の前には大きな赤い吊橋が姿を現した。向こう岸は広い森で、生い茂る草や木々の中に見上げても頂上が目に入らないくらい高い時計塔が町を見下ろすようにそびえ立っている。


「まさかあの時計塔を上る、とか言いませんよね?」

「勘がいいね結ちゃん」


 突然のちゃん付けに足を止めた結を意気揚々と追い越した戒慎は、「行こうか」と橋を渡り始める。どうやら回れ右をして帰るという選択肢はないらしい。ついさきほど起きたばかりでその上記憶喪失になっていた人間に時計塔を上らせるとは、優しそうな見た目に反してなかなかに鬼畜な神父だ。結は気を抜けば引き返しそうになる足を叱咤して橋を渡るべく一歩踏みだした。時計塔内部にあるやけに綺麗で気が遠くなりそうな白い階段の最後の一段を上り終えたところで、結はその場に崩れ落ちた。満身創痍な結に対して戒慎は息一つ乱しておらず、余裕すら感じられる。最近の神父は体育会系なのかと思いながら上がりに上がった息を整えていると、戒慎が「大丈夫?」と手をだし出してくれる。


「ありがとうございます」


 ありがたくその手を借りて立ち上がると、奥にある一つのベンチへと誘導された。ベンチの正面は壁が大きく切り取られており、そこから眼下に広がる町を一望できるようになっている。腰を落ち着けながら町並みを見下ろした結は、下を見て「うん?」と疑問の声を上げた。


「あそこから先は普通の町ですね」

「うん。この国は二分されているんだ。今俺たちがいるのが彼岸町と呼ばれる悪人たちが住む場所、そして目覚ましく発展した向こう側が此岸町、善人たちが暮らす場所だよ」

「なんですか、その善人と悪人って」


 まるでなにかのゲームのような説明にそう聞き返すと、戒慎の口から語られたのは嘘のようなこの国の現状だった。


「この国では、人は生まれながらにして善人か悪人に区別されそれぞれの居住区に移される。といってもそれを判定するシステムがあるわけじゃなくて、簡単に言えば善人の子は善人、悪人の子は悪人に分類される。今は新暦二百年なんだけど、善人と悪人を区別するきっかけとなったのは旧暦三千年、新暦元年に制定された善悪法。その頃に前科があったり刑務所に収容されていた人を始めとして、その親類縁者は全員悪人になった。逆に当時前科もなく身内から犯罪者を出していなければ善人。ちなみに善人が悪人になるケースはあっても、逆はない」

「……」


 戒慎の言葉が嘘や冗談でないことは、その顔つきや口振りから容易に分かる。だからこそ結は余計に混乱した。


「そんな不平等な法律が、なんでまかり通ったんですか? 反発する人がいなかったわけじゃないですよね」

「もちろん。国民の大多数が反対して大規模なデモや抗議活動が行われたらしい。でも善悪法の発布を宣言した当時の総理大臣、貴海肇が自衛隊を投入して武力で国民を鎮圧したんだよ。抵抗を続けるようなら殺せって命令だったらしい。命を天秤にかけられたら従うしかないよね。記録によると、その時の犠牲者は一万人を余裕で超えたそうだよ」

「そんな、ことって……」

「この狂った世界が始まってからもう今年で二百年だ。このままいけば江戸幕府を超えるかもしれないね」

「こんなの、善人だけが得をする世界じゃないですか」

「そう。俺たちは生まれた時点で不正解なんだよ。だけど一番笑えるのは、こんな世界を作った政治家たちが全員善人だってことだねえ」


 壁に空いた巨大な穴から吹き込んできた風が結の頬を撫でる。風はこんなにも穏やかなのに、結が目覚めた世界はあまりに厳しい。これからどうなってしまうのだろうと不安が首をもたげた時、「でもね」という明るい声が結の鼓膜を揺らした。


「俺たちには希望がある」

「希望?」

「そう。これからその希望に会いに行こう」


 言い終わるなり戒慎は弾んだ足取りで真っ白な螺旋階段を下り始める。下りは楽だろうとたかを括っていた結は、五分ほど下ったところでそれが間違いだったことを思い知る。下りは膝への負担が大きく、何より戒慎の進む速度が上りの倍は速かった。置いていかれまいと急げば自然と早歩きになっており、地上に着いた結は上りの時と同様にその場に座り込むのだった。

 行きと同じ道を辿って教会まで戻ってくると、戒慎は「こっちだよ」と教会を通り過ぎる。数分歩いた後に戒慎が足を止めたのは、真っ白な石壁のどこか南国を想起する二階建ての建物。戒慎が慣れた様子で木の板を繋ぎ合わせた扉を叩くと、すぐに外側に開いた。


「やあ、早かったね」


 出てきたのは石壁のように真っ白な髪のどこか神聖な雰囲気を持った男。戒慎と二言三言言葉を交わした後に向けられた瞳は、赤ワインのように深い赤紫色をしていた。


「戒に振り回されて疲れただろう。中へ入るといい」

「へぁっ、はい! お邪魔します」


 家の中は驚くほどに物が少なく、まるで引っ越す直前のような殺風景さだった。壁際にずらりと並んだ背の高い本棚がなければ、ここに人が住んでいるとは思わなかっただろう。ここの住人と思われる白髪の男に促されるままにソファーに腰を下ろすと、甘い湯気が立つマグカップを手渡された。


「ココアは飲めるかい?」

「はい。ありがとうございます」


 数回息を吹きかけて熱を覚ましてから口をつけた茶色い液体は、温かさも相まってほっとする甘さだった。同時にこれ、好きだなと結は心の中で思う。きっと記憶を失う以前の結も好きだったに違いない。


「申し遅れたね。僕は新他あらたふみ。歴史の史と書いて史だ。君のことは戒から聞いてるよ。記憶喪失だそうだね」

「はい。……あの、今新他って言いましたか? 戒慎さんにつけてもらった苗字と全く同じなんですけど」

「ああ。僕が指示したんだ」

「どうしてですか?」

「君のため、そして僕のためにさ」

「史の言うことは大抵理解できないから、深く考えなくていいよ」


 戒慎に「その言い方は語弊を生むよ」と突っ込んだ後、史の熟成されたふた粒のぶとうが真っ直ぐに結を射抜いた。


「君の名前は?」

「僕は、新他結です。結は結ぶと書きます」

「むすぶと書いて結か。随分粋なことをするね、戒」

「ありがとう」

「結。君が今後暮らしていく場所についてだが、二つ選択肢がある。一つはここ、もう一つは戒の教会だ。僕か戒との同居という形になる。記憶喪失という点から一人暮らしは除外させてもらった。好きな方を選んでくれて構わない」

「えーと……」


 史の言葉はまるで「りんごか梨、どっちがいい?」と聞くように気安い言い方だった。選択により今後の生活や環境が大きく変わってくる重大な選択だ。ここは慎重に検討しようと結が腕を組むと、戒慎が「結ちゃんは」と声を上げた。


「ここで暮らすべきだよ」

「え?」

「戒が言うなら間違いないな。よろしく、結」

「いやあの、」


 話題の中心である結を置き去りにして話は進む。話を止める機会を窺っている内に二人の話は「結は今日からここに住む」という結論でまとまってしまった。


「結、史が嫌になったらいつでもこっちにおいで。じゃあね」

「待ってください戒慎さん……!」


 結の呼び止めも虚しく、戒慎は足早に出て行ってしまった。


「とりあえず必要なものを買いに行かないとだね。屋台通りに行こうか」

「あ、えっと……はい」


 史に続いて立ち上がりながら、結はなるようになるかと自分を励ました。

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