97. ダンスと消えた言葉
会場の扉の前で、一度立ち止まる。
思っているより緊張しているようで、指先が冷たくなっている気がする。
ただ、胃薬はよく効いているので、乗り越えられそうだ。
「さて、入ろうと思うが、大丈夫か?」
「大丈夫です」
「そうか。本当は?」
「…少々お待ちください。心の準備が必要です…」
「そうだろう。いつまでも待つから、大丈夫になったら言ってくれ」
こちらを見て笑うギルバートに、リアナは頬がひきつりそうになる。
その頬を化粧が落ちない程度に揉みながら、なんとか表情を作れるようにする。
大丈夫。きっと、集まってくれた人は優しいはず。
多少の失敗を許してくれる懐の広い方々だ。
リアナはそう言い聞かせると、顔をあげて、美しい笑みを作る。
「もう大丈夫です。よろしくお願い致します、ギルバート様」
「では、行こう」
ギルバートの言葉で、前へ一歩進む。
「胸を張れ、建築士リアナ」
ドアが開かれるより前、ギルバート囁かれた言葉で、リアナは目を見開く。
だが、その言葉のおかげで、もう緊張は感じなかった。
ホールの中央を通り過ぎ、ガラスの前に立つ。
その前でギルバートと共に振り返ると、集まってくれた人に注目されているのがわかる。
初めて感じる感覚に、逃げ出しそうだ。
だが、ギルバートは言ってくれた。胸を張れと。
なら、自分がすることは、それに応えるだけ。
リアナは優雅に微笑み、しっかりと前を向く。
「本日は皆、よく来てくれた。もう気付いておる者もいるようだが、この美しいガラスは、フォルスター商会が、先日発表したガラスである。どうかね」
「素晴らしい」
「芸術作品ですわ」
「我が屋敷にも欲しいな」
評価はまずまず。
社交辞令の可能性もあるが、有難く受け取る。
「そのガラスを考えたのは、この若き建築士、リアナ・フォルスターである。私のお気に入りの建築士だ」
「まぁ、まだお若いのに」
「素晴らしい才能ですね」
「これからが楽しみだ」
待ってください、ギルバート様。
それは内緒にする予定だったのですが、どうして発表してしまったのですか。
そんなことを聞けるはずなく、リアナはなんとか表情を保つ。
「リアナは、私にとって娘のような存在だ。ぜひ、仲良くしてやってくれ」
ギルバートはその言葉を最後に、ホールの中央に移動する。
それに合わせて、他の人が壁際へ移動すると、隣にアイリスとマルクスが現れる。
「では、一曲踊るかね。リアナ、さぁ」
「よろしくお願いいたします、ギルバート様」
リアナは差し出されたギルバートの手に、自分の手を重ねる。
ゆっくりと流れ出した曲は、レオンの屋敷で踊ったもの。
これなら、足を踏まなさそうである。
順調に踊るリアナへ、ギルバートは意外そうな目を向けた。
「ダンスは苦手とダリアスから聞いていたが、杞憂だったようだな」
「いえ、それは事実です。良き先生に教えていただきました」
「そうか。その先生も、教え上手か」
「はい。とても頼りになります」
父は一体なにを伝えたのか。
これは、後できっちりと話し合うことにし、リアナはダンスに集中する。
そういえば、ここ最近はダンスの練習はあまりできていなかった。
それでも踊れているのは、きっとフーベルトのおかげだろう。
「ガラスの製作、よくやってくれた。体調に問題ないか?」
「なにも問題はありません。その節は、ありがとうございました」
「それならいい。変わったことはないか?」
「いえ、特には」
「なにかあったら言ってくれ。助けになろう」
「ありがとうございます」
あるといえばあるのだが、わざわざギルバートに伝えるほどではないだろう。
手紙もドレスも、それっきりなにもない。
きっと、一時的な嫌がらせだったのだろう。
曲が終わると、招待客から拍手を送られる。
「楽しいひとときであった。では、息子を頼むよ」
「頑張ります」
ギルバートに代わり、エドワードが目の前に立つ。
「リアナ嬢、本日もお美しい。ダンスの機会をくれた神に感謝を」
「よろしくお願いします、エドワード様」
ちょっと大袈裟な気がするが、その冗談のおかげで少し笑みが溢れる。
曲が始まると、ステップを踏む。
先程に比べて、少しテンポが早い。だが、まだついていける範囲だ。
「リアナ嬢は所作だけではなく、ダンスも嗜んでいるのですね。とてもお上手です」
「ありがとうございます」
ちょっとついていくのが大変なのだが、どうやら、誤魔化せているみたいだ。
「あれから体調はいかがですか?補助装置も問題は?」
「なにも問題なく過ごさせていただいております。本当にありがとうございます」
「それはよかった」
補助装置にもなにも問題もなく、使う時の違和感もない。
少し考えてみたのだが、ギルバートもエドワードも、補助装置に関わりのある魔導士なのではないだろうか。
それなら、作ってもらえたことに納得できる。
しかし、それならどうやって膨大な量の補助装置を作っているのだろうか。
リアナが少し考え込んでいると、エドワードが話し始める。
「父上が娘と紹介したと言うことは、私にとってリアナ嬢はなんなのでしょうか」
そのことで、ギルバートの言葉を思い出す。
娘と紹介はされたが、きっと、父をからかうための冗談だろう。
平然とした態度の裏、ギルバートに怒っている父の姿が思い浮かび、つい笑ってしまう。
エドワードと距離が近づくと、リアナにしか聞こえない声で囁かれた。
「婚約者ですかね」
「え!」
「ふふ、冗談ですよ」
冗談の内容が、恐れ多い。
ギルバートとよく似た目で笑うエドワードに、リアナは少し苦笑いしてしまう。
そのリアナを見ながら、エドワードは楽しそうに笑った。
「では、リアナ嬢は私の妹でしょうか。かわいい妹ができて嬉しいですね」
「エドワード様が兄でしたら、少し楽しそうです。魔法をたくさん教えてくれそうで」
「今でもいくらでも教えましょう。これからは、エドワードお兄様と呼んでもいいですよ。きっと、マルクスにもそう呼ばされているでしょう」
「そうですが…」
マルクスの名前が出て、リアナは視線を移す。
アイリスと一緒にこちらを見守っており、その顔は優しい。
言葉を濁していると、エドワードはいい笑顔をこちらに向ける。
「かわいい妹のためなら、私、頑張れると思うのですが。どうです?」
どうと聞かれましても…。
だが、きっと呼ぶまで諦めてくれなさそうだ。
そのため、リアナは腹を括った。
「…私も優しいお兄様が増えて嬉しいです。エドワードお兄様」
「その呼び方でもいいですよ。でも、エド兄様も素敵ですね」
それは素敵ではなく、呼んで欲しいだけなのでは。
しかし、思い返せば、補助装置を作ってくれたのも、父を落ち着かせてくれたのも、エドワードである。
一度だけ。一度だけなら、呼んでみてもいいかもしれない。
リアナは目を少し伏せると、小さな声で話しかける。
「…あまり意地悪なことはしないでください。………エド兄様」
「リアナ、いい子だ!やはり、弟より妹だね」
「ちょっ…」
リアナの言葉に、破顔したエドワードはリアナを抱き上げ一周する。
そんなダンスなど習ってないのだが、どうすればいいのかわからない。
地上に足がつくと、元のテンポに戻る。
そのことに安堵するが、曲が終わるまでエドワードは終始笑顔だった。
「名残惜しいが、ダリアス様のところに行っておいで」
「ありがとうございました」
リアナがダリアスの元へ行くのを見送ると、エドワードは父の元へ戻る。
楽しそうな表情をする父に、年甲斐もなくはしゃいでしまったことに、少し恥ずかしくなる。
「いいことでもあったのか?珍しくはしゃいで」
「呼び方を変えてもらいました」
「エドか?それとも、エディか?」
「違いますよ。エド兄様です」
「なんだ、兄になったのか」
ギルバートはすぐに、つまらなさそうな表情をする。
しかし、自分的には満足だ。新しい呼び方を気に入っている。
会場へ目を移し、一点を見つめると、エドワードは少し苦笑いする。
「さすがに、かわいそうですからね。あと、公爵家をあまり敵に回したくないです」
「それは賢明な判断だ」
公爵家など敵に回したくない。
その判断は正しいことなのだが、少し考えてしまう。
「…もう少し早く出会っていれば、好きになってもらえましたかね」
ぽつりと零されたエドワードの言葉は、賑やかな会場に飲み込まれた。




