95. ルカの特別なおまじない
いつも通りに仕事をしていたリアナは、小さくため息をついた。
「はー…。とうとう明日か…」
明日はギルバートに言われていた、お披露目会の日付。
それを考えると、胃の痛みに襲われる。
リアナは胃のあたりを撫でながら、手に持つ紙に再び目を通す。
「レオン様とクレア。マルクス様とアイリス様…じゃなくて、マルクスお兄様とアイリスお姉様」
送られてきた招待客の名簿の中に、見知った人の名前を見つけて喜んだのだが、他の人が一切わからない。
「…ノイエンドルフ公爵家。でも、現当主ではなく、前当主なのね」
名簿の端の方に書かれた公爵家の名前に、目が留まった。
しかも、一人で来るらしく、付き人の欄は空欄だ。
公爵家には強引な方がいると言っていたが、このお披露目会に招かれたということは、自分にとって害はないのだろう。
他に、侯爵家や伯爵家の名前も見たが、不安しかない。
隣国から取り寄せたよく効くと噂の胃薬を飲めば、この胃の痛さに耐えられるだろうか。
「リアナ、大丈夫?」
「大丈夫。頑張るわ」
「無理はだめだよ。約束」
「そうね、約束」
ルカと約束し、リアナは少し気が楽になる。
名簿の名前を覚えていると、父に声をかけられた。
「リアナ、午後はもう休んでいい。明日のこともあるし、準備も必要だろう」
「お言葉に甘えます」
仕事に出ても、きっと今日は使い物になりそうにない。
父の言葉に甘え、仕事は休ませてもらう。
手に持つ紙を封筒に戻すと、一度、鞄に仕舞い込んだ。
休憩に入る前に、仕事を少しでも終わらしておこう。
そう考え、リアナは残っていた仕事の書類に目を通して、手を動かす。
「リアナ、ご飯食べよ!」
「えぇ。行きましょう」
ルカに声をかけられ、昼が過ぎていたことに気付いた。
休憩室へ移動して昼食を机に並べると、リアナはソファーの背もたれに寄りかかった。
家に帰っても、絶対に明日のことを考えてしまいそうだ。
そのため、父の仕事が終わるまで、ここで待つことにする。
「師匠がいないから、退屈」
「きっとどこかで頑張っているのよ」
「そうだね。僕も負けずに、絵も彫刻も頑張るよ」
「偉いわ。私も頑張る」
フーベルトは、今日も仕事で外に出ている。
この頃、絵や彫刻を見てもらえてないため、ルカは退屈しているようだ。
しかし、フーベルトは毎日のように頑張っている。
その姿を見習って、自分も明日を乗り越えなければ。
たった一日のことなのだ、すぐに終わるはず。
「リアナ。明日は一緒に行けないけど、頑張るんだよ」
「そうなの?きっと、美味しいお菓子もあるはずよ」
「遠慮するよ。主役が僕になっちゃうからね」
「ハルはかっこいいから。目立っちゃうもんね」
「そうだね。よしよし」
ハルは、嬉しそうにルカに頭を押し付けている。きっと、撫でてほしいのだろう。
美味しそうに昼食を食べる姿を見守っていると、ルカは不思議そうな表情で見てくる。
「食べないの?」
「胃が痛くてね。明日なのに、もう緊張してるみたい」
「そんなリアナへ、おまじないをしてあげるよ」
「ありがとう、ルカ。あれはよく効くの」
「じゃあ、今日はいつもより張り切っちゃう!」
「ありがとう」
ルカはリアナの横に座ると、手を繋いで、唄い始めた。
それに合わせて、似た音を出しながらリアナも口ずさむ。
唄が終わると、心なしか、胃の痛みがなくなった気がする。
「リアナ、なんとなく口ずさめるぐらいには、覚えてるみたいだね」
「そうね。よく効くからかしら」
「どこの言葉なんだろうね。言葉の意味が気になるよ」
「いつかわかるといいんだけど」
きっと素敵な詩ではありそうなのだが、ルカはわからないらしい。
似た音を出しているだけなのだが、言語的には大丈夫なのだろうか。
ルカはハルの隣へ戻ると、サンドウィッチの続きを食べ始める。
それを見て、リアナもサンドウィッチに手を伸ばした。
「師匠にもおまじないしたら、喜んでくれるかな?」
「きっとね」
「じゃあ、今度してみる!」
ルカのおまじないは、自分にはこんなに効くのだ。
きっと、フーベルトもよく効く気がする。
「でも、このおまじない、師匠と内緒にするように約束したの。今は、ハルとリアナしかいないからいいよね!」
「約束?それはどうして?」
「悪いおばけが攫いにくるって言ってたよ」
悪いおばけとは、休憩室で起きた直後に聞いたあの話のことだろうか。
おばけの方に気を取られて、フーベルトに抱きついてしまったが、あれは大丈夫だったのだろうか。
嫌がられてはいなかったが、きっと呆れてしまっただろう。
結局、フーベルトに謝ることもできなかったことを思い出す。
だが、今はそういうことよりも重大なことがわかった。
ルカのおまじないが原因で、おばけが来るらしい。
「じゃあ、内緒にしとこう。私ではルカを助けられないから…」
「師匠が守ってくれるって言ってた。だから、大丈夫だよ」
「フーベルトがいないときはどうするの?」
「ハルがいる!」
「おばけなんて一瞬だよ。任せなさい」
ハルの言葉は、あまり信用ならない。
おばけにロマンを感じているハルは、きっと守ると言いながら、観察を始めるだろう。
それに、フーベルトが守ってくれるとしても、一緒にいなければ意味がない。
おばけのことを考えたせいか、なんだか急に部屋の温度が下がった気がする。
「じゃあ、明日は?私の前に、おばけ出たらどうすればいいの?」
「師匠が守ってくれるよ!」
「ダリアスもクレアもいるから、大丈夫だよ」
フーベルトは明日のお披露目会には来ない。
商会から出席するのは、自分と父だけ。
正直、来て欲しかったが、こればかりはしょうがない。
だが、昔、おばけにまつわる話でハルから聞いたことがある。
「おばけは…透明なのもいるんでしょ?昔、ハルは言ってたじゃない…」
「大丈夫。おばけは夜にしか出ないから」
「その知識はなんなの…」
一体どこでそういった知識を得てくるのか…。
夜にしか出ないのなら、もう部屋の卓上ランプは消すわけにはいかない。
明るいかもしれないが、少しすれば慣れるだろう。
「大丈夫、リアナ。もっと特別なおまじないをしてあげるよ」
「本当?じゃあ、お願いしてもいい?」
「じゃあ、ハルも。リアナと一緒にそこで観ててね」
「は〜い」
特別なおまじないをするというルカは、少し開けた場所に立つと、なにか言葉を紡ぐ。
そして、目を閉じると、動き始めた。
「あれは…舞?」
「そうみたいだね」
神獣と関わりがあると聞いていたが、もしかして、神獣に捧げる舞を踊る一族なのだろうか。
リアナが考えている間にも、舞は続き、ルカが最後のポーズをとった。
それに拍手して近付きながら、リアナはルカを抱きしめる。
「ありがとう、ルカ。明日は頑張れそう」
「よかった!リアナのために踊ったよ!」
「美しかったわ。ありがとう」
舞自体はとても美しかった。
だが、ルカが子供だからであろう。今は、かわいさの方が勝っている。
それでも自分のために踊ってくれたのだ。美しいと讃えた方がいいだろう。
リアナの言葉にルカは嬉しそうな表情をして、抱きしめ返してくれる。
「じゃあ、これも踊れるようになろうね」
「え?」
「師匠とは喜んでダンスをするのに。僕じゃ…だめ?」
「そんなことないわ。ルカとも踊れて嬉しい…」
潤んだ目で首を傾けるルカに、即答で了承してしまった。
だが、自分がダンスするということは、怪我人を生み出すということ。
本格的に、罪に問われそうな気がする。
「今回は舞だから、被害者はいないよ。いてもルカかな」
「それはよくないわ。私、ルカのことを傷つけたくない。だから、私にさせるべきではないわ」
「じゃあ、舞は僕がする。なら、唄はリアナね」
「え?」
「この舞と唄はセットなの。唄もママが教えてくれたから、覚えてるよ」
「そう…」
舞と唄なら、唄の方がいいが、ちゃんと覚えられる気がしない。
ハルに助けるように目を向けると、わざとらしくため息をつかれた。
「諦めて。完璧にできるようになろうね」
ハルはそういうと、口角を上げて、牙を出して笑う。
昔は自分に不利なことがあると、必ず助けてくれていたのだが、もう助けてくれないようだ。
リアナは諦めてルカを見つめると、笑顔で答える。
「よろしくお願いします、ルカ先生」
「任せて。僕が完璧に教えてあげるからね!」
「…頑張ります」
きっと、頑張ればそれなりにはできるはずだ。
ルカとの大切な思い出として、挑戦してみるのもいいだろう。
そう考えていたリアナに、ルカは毎日寝る前に教えてくれるようになった。
この舞と唄を見せる機会は、幾度となくやってくることになるのだが、それは少し未来の話。
 




