94. 雨漏りと涙
降り続ける外の雨に、リアナは耳を傾け、窓の外を見る。
雲の流れはあまりなく、今日は一日、雨が降り続けるようだ。
商会へは無事に到着したが、雨に濡れた靴は、どうすることもできない。
リアナは自分の席に座ると、靴を脱いだ。
「ハル、靴を少し乾かしてくれない?これから出る予定があるから」
「いいけど、また濡れるのに乾かすの?」
「…履きにくいから。お願い」
新しい靴下に履き替えながら、ふと思い出す。
そういえば、防水機能が付与された靴が、この頃、販売されたと聞く。
あまり出回っていないため、少し値段はするが、雨の日やその翌日には便利である。
リアナはその靴を買うことを検討しながら、自分の机に置かれた紙に目を通す。
「リアナちゃん、これ行ける?」
「大丈夫です。代わりにこちらを頼んでもいいですか?」
「わかった。そっちの方面は任せたよ」
「わかりました」
雨の日で一番多い依頼は、雨漏りだ。
この国は、比較的、晴れの日の方が多い。
そのため、屋根や壁が傷んでいること気付かないことが多く、雨の日は急ぎの依頼が多い。
晴れた日に調査することもできるのだが、雨が降っている間でないと、どこから滲み出ているかを調べることは困難だ。
そのため、リアナとリック、他の職人達も総出で調査に向かう。
「リアナ、乾いたよ。帰ってきたら、また乾かしてあげるから」
「ありがとう、ハル。助かるわ」
「ちゃんとレインコートを着てよ。あまり、走らないこと。転けたら、泥だらけになるからね」
「気をつけます」
ハルの注意事項を聞きながら、リアナは靴を履く。
流石に、走って転ぶことはない…と思う。
でも、前回、雨の日に出た仕事の時に転けかけたような…。
よし、今日はよっぽどのことがない限りは走らない。
書類ケースに目的地の書かれた紙を入れ、リアナはレインコートを用意する。
「リアナ、今日は忙しそうだね。雨だから、気をつけてね」
「気をつけるわ。ルカはなにをする予定でいるの?」
「彫刻!もっと細かくできるようになったら、今度はまた違ったものに挑戦するんだって。師匠が言ってた」
「なら、頑張らないとね」
ルカは、今日は彫刻をするらしい。
次に彫刻をするのは、一体なんなのだろう。少し気になるが、楽しみにとっておく。
リアナはレインコートを羽織り、商会を出る。
今日は一人で行く予定だったのだが、それは父に反対された。
ただでさえ、雨の日の調査で人が必要なのに、自分に人をつける意味がわからない。
しかし、商会長の言うことは聞かなければならないので、リアナは渋々受け入れた。
待ち合わせ場所、同じレインコートを着て待つ人物を見つける。
そのレインコートから見える杏色の髪色に、リアナは口角が上がった。
「リアナ、走ってはだめ。昔みたいに、転けてしまうわ」
「大丈夫よ、もう大人なのだから。今日は会えて嬉しいわ」
「私もよ。さぁ、行きましょう」
今日の同行者は、アリッサのようだ。
いつの間に帰ってきていたのかはわからないが、それでも会えて嬉しい。
そういえば、先程自分が目を通した書類は、屋根からの雨漏りが多かった。
屋根の雨漏りは見つけにくいものが多いが、専門としているアリッサがいれば、心強いだろう。
リアナはアリッサの横を歩きながら、その観察眼を学ばせてもらうことにする。
・・・・・・・・
六軒目の調査を終え、リアナは最後の店舗の前にたどり着く。
なんのお店なのだろうか。
店内は、少し暗い感じがする。
少し入るのを戸惑ったが、依頼があったのはこの店舗だ。
リアナは意を決して、扉を開けると声をかける。
「すみません。フォルスター商会の者です。雨漏りの調査に伺いました」
暗い店内から返答はなく、リアナは少し不安になる。
しかし、仕事でここに呼ばれている。
リアナは店内に入り、レインコートを脱ぐと、もう一度声をかける。
「フォルスター商会に、雨漏り調査の依頼をされたのは、こちらでしょうか?」
「いかにも。よく来てくれたね」
急に横から聞こえた低い男性の声に驚き、思わず声をあげそうになったリアナはなんとか耐える。
しかし、こちらを見る灰色の髪の男性は、黒色の色ガラスが入った眼鏡をかけている。
「すまないが、扉を閉めてくれないか。暗くしていないと、目が痛いので」
「それは、失礼致しました」
リアナとアリッサは店舗に入ると、扉を閉めた。
暗くしていないと目が痛いというこちは、光に弱いのだろう。
しかし、この店舗はちゃんと営業しているようで、壁や床に長い歴史を感じる。
「フォルスター商会のリアナです。こちらは、アリッサです」
「私は、ここの店主です。雨漏りの件だね、こちらに来てください」
互いに自己紹介をすると、早速移動する。
「確認できたのは、二箇所です。まずは、こちらにどうぞ」
最初に案内された場所は、お酒が大量に並んでいる。
「リアナ、ここは任せてもいいかしら。私は他の場所を見てくるわ」
「わかりました」
アリッサは、店主と共に、別の雨漏りの箇所を確認しに行った。
前の店舗まではアリッサに雨漏りについて学ばせてもらっていたが、自分一人で頑張る時が来たようだ。
リアナは天井を見上げながら、考え込む。
少しすると、店主が帰ってきた。
「どうですか?わかりますかね?」
「屋根裏に行けば、何かわかるかもしれません。入らせてもらってもいいでしょうか?」
「お願いします」
屋根裏に入ると、どこからか水が落ちる音が聞こえる。
その音を頼りに、天井を踏み抜かないように慎重に歩くと、水が溜まっている場所を見つけた。
その水の原因を確かめるために、顔を上げたリアナは目を見開く。
「聖獣…?」
少し光る美しい小鳥の聖獣の目から、落ち続けている涙が雨の原因だったようだ。
悲しげに泣き続ける聖獣に、リアナは少し戸惑う。
悲しんでいるところ申し訳ないが、この子には移動してもらわなければならない。
言葉が通じないため、リアナはハルを召喚する。
「登場しました、よっと!どうしたの、転けたの?」
「違うわ、ハル。雨漏りの調査に来たんだけど、その原因があの子みたいなの。話を聞いてくれない?」
「いいよ!」
ハルは小鳥の聖獣に近付くと、しばらく会話をしていた。
話が終わったのか、ハルはこちらに戻ってくる。
「あの子、ここの店主と契約したいんだって。でも、光が苦手なんでしょ?だから、悲しくて泣いてるみたい」
「そうなの…。ちょっと、理由を話してくるわ。ここで待ってて」
小鳥の聖獣のことはハルに任せて、リアナは天井裏から出る。
「店主さん。少しお願いがあるのですが、よろしいですか?」
「えぇ、なんでもおっしゃってください」
「ここの雨漏り、屋根裏にいる聖獣が原因でした。店主さんと契約したいそうなのですけど、少し光っていて。目が痛くなるかもしれないのですが…」
「それは光栄なことです。少しお待ちください。別の眼鏡を取ってきます」
「ありがとうございます。連れてきますね」
専用の眼鏡があるようで、一安心である。
リアナは屋根裏に急いで戻ると、ハルに説明する。
「店主さん、会ってくれるって。伝えてくれる?」
「任せて。ねぇ。店主さんが会ってくれるって。そんな泣いた顔で会うの?」
「ピーッ!ピィピィ」
会ってくれるという言葉で、涙が止まったようだ。
嬉しそうに羽ばたくと、ハルの頭に留まった。
それを確認し、涙の水たまりを火魔法で乾かす。
ハルと一緒にその子を連れて降りると、店主は更に濃い黒色ガラスの入った眼鏡をかけていた。
「その子が、私と契約したいと言ってくれている聖獣ですか?」
「そうです。よかったら、腕を前に構えてください。そこに留まってくれますので」
店主の腕の留まった聖獣は、少し不安そうだ。
少しすると、聖獣との契約が完了したのか、店主はいい笑顔をしている。
「ありがとうございます。素敵な出会いになりました」
「いえ、良かったです」
「それに、この眼鏡はもう必要ないですね」
店主は眼鏡を取ると、そのまま聖獣を見ている。
その青の目は、美しく輝いている気がする。
「リアナさん、ありがとうございます。この恩は必ず」
「いえ、良き出会いに立ち合わせていただき、ありがとうございます」
聖獣と契約する瞬間など、そうそう立ち会えるものではない。
そのことを感謝しながら、リアナは幸せそうな聖獣に、笑みが溢れる。
「じゃあ、僕は一回帰ってくるから」
「ありがとう。気をつけてね」
ハルは雨に濡れたくないようで、そのまま一度聖獣の国へ帰るらしい。
そのハルを見送り、アリッサに雨漏りの原因を報告する。
「こちらの雨漏り、聖獣が原因でした。解決済みです」
「聖獣の涙だったのね。こちらも修理が完了したから、問題ないわ」
アリッサの方も雨漏りの修理も終わったようで、店主に作業の終了を報告する。
眼鏡を外した店主は、嬉しそうに微笑んでいる。
「本日はありがとうございました」
「いえ、他にも何かありましたら依頼してください。失礼致します」
店舗から出ると、リアナは商会への道を歩く。
「これで、本日の分は終わりですね。お疲れ様でした」
「そうね。でも、あの顔、どこかで見たことある気がするわ」
「そうなんですか?」
「うーん。確か、王城で見た気が…」
王城ということは、そこで勤める人だったのだろうか。
リアナは考え込んでいると、アリッサの楽しそうな声が聞こえて、思考を止める。
「まぁ、今はそれよりも。商会への道でしか、ゆっくり話せないでしょう。私のいないうちに、何か変化はあった?」
アリッサのいない内に、色々あった。
リアナはそれを報告しながら、嬉しそうに笑みを浮かべる。
その二人の姿を見送る店主は、久しぶりに昼間に外に出た。
「雨。明るい時間に、久しぶりに見たな」
「ピー」
「あぁ、大丈夫だ。問題ないよ。それよりもっと楽しいところに行こう。ついて来てくれるか?」
「ピーッ!」
短く話すと、店主は傘をさして歩き出した。
その肩には、少し光る小鳥が嬉しそうに乗っている。
光る小鳥を乗せた店主は、人混みの中に消えていった。




