85. 侯爵家からの依頼
商会からガラスのことが発表されてだいぶ経ち、注文を受け付けるまでの日付が近付いてきた。
それなのに、依頼の手紙がちらほら届き始めている。
その最中、リアナはクレアから新しく届いた正装に身を包み、シュレーゲル侯爵家の応接室にいる。
「本日はよろしくお願い致します」
「あぁ、こちらこそ。急に頼んですまないね」
「いえ。ギルバート様にはいつもお世話になっておりますから」
父から急に話があった時は驚いたが、かなり補助装置でお世話になっている。
時間があるうちに、対応したいところである。
「今日の装いも素敵だな。センスがいい」
「ありがとうございます。良き先生がおりますので、助言いただいております」
「さすがだな」
今回届いた深い緑のワンピースとは別に、箱の中には、髪を結うのにリボンが入っていた。
センスはいいかもしれないが、そのリボンの色が気になって仕方がない。
リボンは美しい刺繍が施されており、紅緋の鮮やかな赤色で美しい。
特に何も気にせず身につけて商会で待っていたのだが、フーベルトが来たことで、初めて友の思惑に気付いた。
どう考えても、フーベルトの髪色によく似ている。
幸い、フーベルトとは向き会うか、並んで座っているため、まだ気づかれていない。
「ダリアスは来られなくて、残念だな」
「そうですね。父もギルバート様に会えなくて、残念がっていました」
今日は父が来ることが出来なかったため、ギルバートは少し残念そうだ。
だが、その父はギルバートに会わなくて済むとわかり、喜んでいたことは伏せておく。
リアナと並んでソファーに座るフーベルトは、姿勢を正して笑みを浮かべている。
「フーベルト、元気か」
「お気遣いありがとうございます。問題ありません」
ギルバートの言い方からすると、フーベルトとは知り合いなのだろうか?
アイリスの時は緊張していた様子だったが、ギルバートとはあまり緊張している様子は見られない。
リアナが少し考えていると、ギルバートはソファーから立ち上がり、少し離れるとこちらに笑顔を向けた。
「では、呼ぶとしよう。侯爵家の守り神を」
ギルバートが詠唱を唱えると、風と共に腕に鳥が留まっている。
梟によく似た聖獣はギルバートの方へ体が向いているのだが、顔だけこちらを向いた。
吸い込まれそうなほどの美しい灰色の瞳が、こちらを見ている。
リアナは、これまた初めて見る梟型の聖獣に、表情に出さぬように必死だ。
「どうかね」
「とても美しいです!」
リアナが少し我慢できずに声が大きくなったのに対し、ギルバートは楽しそうにこちらを見る。
「そうだろう。この子は代々受け継がれておる。長い時を見守ってくれているのだ」
代々ということは、シュレーゲル公爵家と血族として契約し、ずっと見守ってきたのだろう。
腕に留まる聖獣を自慢げに見せてくれるギルバートに、リアナは近くで見たい気持ちを抑える。
「図案に他に入れたいものは、お有りでしょうか?」
「では、侯爵家の紋章を。あと、本当はもう一匹居るのだが…」
「もう一匹…?」
召喚できる召喚獣は、魔力の保有量や質によって異なるが、通常は一人に対して一匹。
例外としては、王族や貴族といった魔力量や特定の家系の人には、一人に対して二匹いることがある。
先程召喚した聖獣とは別に、ギルバートには、もう一匹、契約した聖獣がいるようだ。
「何か問題が?」
「ちょっと大きいのでな。目立つのだ」
もう一匹の聖獣とは、どういったものなのだろう?
この広い中庭でも出せないとすると、かなりの大きさだ。
きっと、また自分が見たことがない聖獣である。
ぜひ見たいのだが、どうすれば見られるのだろうか?
もしかすると父は見たことがあるかもしれない。
今度聞いてみよう。
リアナがギルバートのもう一匹の聖獣に想像を膨らませていると、フーベルトはギルバートに声をかける。
「では、特徴をお教えください。なんとか描き上げましょう」
「そのようなことが出来るのか?」
「フーベルトなら出来ます。お任せください」
「そうか、あの子も喜ぶな」
リアナはハルを描いてもらったことを思い出して、自信満々で伝える。
その断言する言葉に、ギルバートは嬉しそうに空を見上げた。
もう一匹の聖獣は空を飛ぶのかもしれない。
それで大きければ、確かに目立つだろう。
ギルバートは空から視線を戻すと、フーベルトに笑いかける。
「では、フーベルト。期待しておるぞ」
「お任せいただき光栄です」
ギルバートの言葉にフーベルトは頭を下げる。
そのままギルバートに呼び出していない召喚獣の特徴について聞き取りをしていると、部屋の外から呼ばれ、少しギルバートが席を外す。
扉を閉まったのを確認すると、リアナは声を潜めてフーベルトに尋ねる。
「フーベルト、聞いてもいいですか?」
「なんでしょうか」
「ギルバート様とお知り合いなのですか?先程の感じだと、そう思ったのですが…」
「…えぇ。昔、お世話になりました」
昔とはいつのことなのだろう?
気になるが、苦笑いしているフーベルトに無理に聞こうとは思わない。
リアナは黙って笑みを返すと、フーベルトは描き始めた。
フーベルトのデザインが少し出来上がっているのを確認し、少し落ち着かない。
本当は描くのをしっかりと見たい。
しかし、それでフーベルトが描きづらくなってしまっては悪い。
リアナは遠慮しながら、時々視線を動かすと、絵が描き上がるのを静かに見守る。
リアナの様子に気付いたのか、フーベルトは顔を上げると二人の間、少し空いた場所を手で叩く。
「リアナ、ほら。もう少し近くに座って。見るのだろう?」
「え…いいんですか?」
「約束しただろう。頑張ったご褒美だ」
「じゃあ、見ます!」
羞恥心と好奇心に少しだけ悩まされたが、ご褒美という言葉にあっさりと好奇心が勝った。
お言葉に甘えて先程よりも近付いて座ると、デザインを描くのをじっくりと見させてもらう。
これを自分が子供の頃に見ていた景色なのだと思うと、覚えていないことがとても惜しい。
そのまま描き上がっていくデザインを見ながら、笑顔が溢れる。
「リアナ、フーベルトとは良き関係なのかい?」
「はい、ギルバート様。良くしていただいております」
「そうかそうか」
いつの間に戻ったのか、ギルバートに声をかけられて、そこで初めて気付いた。
完全に絵に魅入ってしまっていたようで、少し恥ずかしい。
ギルバートの嬉しそうな表情の意味はわからないが、とりあえず笑顔を作っておく。
ある程度、図案の紙が貯まったので、ギルバートに手渡す。
最初の一枚で手が止まり、驚愕で目を見開いている。
「どうですか、ギルバート様。フーベルトはとても素晴らしいでしょう」
「あぁ…あぁ。これはあの子だ」
聖獣の大きさ故にあまり会うことが出来ていないのだろう。
ギルバートは描かれた自身の聖獣を、大切そうに指先で撫でる。
その姿は昔、ハルの絵を描いてもらった自分の姿に似ていて、少し寂しくなる。
いつか、その聖獣とギルバートが一緒にいられるようになればいいのだが。
「これでお願いしよう。ガラスは誰が作るのかね?」
「その時は、私がさせて頂こうと思います」
ルイゼとフーベルトも作れるようになっているのだが、まだ大きな作品は作っていない。
今回のガラスは、かなり大きいと父からは聞いている。
それに今回のように見知った人の前でなら、魔法を使っても良いだろう。
「そうか。では、その時はエドワードを呼んでもいいか?」
「お任せします」
商会宛に届く手紙でやり取りをしているエドワードから、補助装置の経過を確かめたいと書いてあった。
今回のガラスの製作の時に、補助装置の調子も見てもらうのもいいかもしれない。
そう考えていると、ギルバートの楽しそうな目に気付く。
その目が父に向けるものに似ていて、リアナは少し苦笑いになる。
「フーベルト。エドワードは私の息子でな。リアナを気に入っているのだよ」
「そうですか。リアナは魅力的ですからね」
「私はエドワードの嫁にぜひと言っているのだが、ダリアスが首を縦に振らなくてな。フーベルトはどう思う?」
「リアナは貴族の妻よりも、建築士の方が性に合っていますからね。親方の意見を尊重します」
「そうか、残念だ」
少しも残念そうではない表情で笑うギルバートは、大変楽しそうだ。
しかし、父への冗談をフーベルトにも言うとは。
フーベルトの言う通り、貴族の妻など自分に務まるわけではない。
それよりも建築士という天職を、とことん楽しみたい。
その後、馬車に用意ができたという知らせで、ギルバートが見送ってくれる。
「リアナ」
「はい、なんでしょうか」
「今日の装いは素敵だな。よく似合っている」
「ありがとうございます?」
先程と同じようなことを言われ、頭に疑問が浮かぶ。
だが、フーベルトを待たせるのはよくない。
フーベルトにエスコートされ馬車に乗り込むと、商会への道を進み出す。
「………」
「フーベルト、どうかしました?」
「あ…いえ。気にしないでください……」
ギルバートに呼ばれて振り返ってから、フーベルトが静かだ。
そういえば、あの時、ギルバートはにやりと笑っていた気がする。
沈黙した車内で、リアナはフーベルトを確認する。
いつもと比べ、少し顔が赤い気がする。
「フーベルト、暑いですか?」
「…いえ」
もしかして、熱があるのではないか。
そう考えて、リアナは隣の席に座る。
突然隣に座ったため驚いたのか、フーベルトは固まった。
「熱はないですね。顔が赤いです、帰ったら少し休んでください」
「…そうします」
リアナはフーベルトのおでこに手を当て、熱がないかを確認する。
そのことを確認し、午後からの仕事を代わりにするために、頭の中で予定を確認する。
「では、しっかり休んでください。フーベルトの分もわかる範囲でまとめておきますから。無理はだめですよ」
「……はい。わかりました…」
商会に着き、少し休憩を挟み、リアナは仕事に戻る。
自分の机でギルバートの屋敷でのことを整理していたら、急に髪がばさりと広がった。
「え?あ、リックさん。なにするん…」
「素敵なリボンだね。この赤は、見覚えがよくある気がするんだけど?」
「あ…」
リックの手には外されたリボンがあり、そのことでフーベルトが黙り込んだ理由がわかった。
ギルバートがあそこで呼んだのは、きっとわざとだ。
そのせいで、フーベルトに見られた。
そのことにようやく気付いたリアナは、少しの間、フーベルトの顔を見ることが出来なかった。
 




