08. 子供とハイポーション
そのままクレアとレオンと会話をしつつ、中庭の方へ移動する。
「今日は記念すべきリアナ嬢の仕事の日だね。これから変化していく屋敷を見るのが楽しみだよ」
「私もですわ。約束を叶えてくれるのはわかっていたけれど、この日をどれほど待っていたことか。リアナがする最初の仕事。とても期待しているわ」
「ありがとうございます。ご期待に添えられるように頑張ります」
仕事以外で三人だけで会話をするのが久しぶりのため、少し話が盛り上がる。
しかし、なにか大切なことを忘れている気がする。
少し視線を動かし、左腕にいつも着けている腕章が無いことに気付く。
そこから上着を脱いでいる理由を思い出し、リアナが振り返るより先、後ろからか細い声が聞こえた。
「ねぇ、リアナ。そろそろ思い出して…」
振り返ると、ハルは縋るような目でこちらを見ている。
クレアの行動やレオンの登場、そして話が盛り上がったことで、ハル達のことを完全に忘れてしまっていた。
か細いハルの鳴き声が聞こえたことにより、少し前を歩いていたクレアとレオンは後ろに振り向いて固まった。
その視線の先は、ハルの背中に乗る子供に向けられている。
「ねぇ、ハル。見られてる…」
「大丈夫、悪い人じゃないよ。優しい人達だから」
ふたりの会話に、自分の失態に気付く。
レオンとクレアにとって、見知らぬ子供が自身の屋敷の敷地内に許可無くいるのは、予想外である。
しかも、貸した上着の下にある傷はまだ見えていないが、全体的に汚れているため、見ていて不安な気持ちになるだろう。
「あの、二人とも…?少し頼みたいことがあるのですが、お話しさせていただいてもよろしいでしょうか……?」
リアナはこの状況を説明しようと声をかけたが、どちらからも返答はなく、無音の時間が過ぎる。
そのことに、背中に冷や汗が流れだす。
「すみません、最初に説明すべきでした!勝手に、しかも見知らぬ子供を入れてしまい申し訳ありません!これには、ちょっとした事情があるのです!」
リアナは声を大きくし、慌てて頭を下げて謝罪する。
その声が聞こえたのか、レオンとクレアは少し離れて後ろを歩いていた執事とメイドを呼び寄せ、それぞれ指示を出す。
話を終えたのか、二人はリアナに一歩近づくと、優雅に微笑んだ。
「その事情、ぜひお聞きしたいですね、クレア」
「えぇ、そうですわね、レオン様。何があったのか、しっかりきっちり説明していただきますわ。でも、まずは中庭に行きましょうか。はい、リアナ」
こちらに手を差し伸べるクレアの優雅な笑みに似合わぬその目に、リアナは少しだけ逃げたくなった。
あの目は、クレアの趣味である着せ替え人形にされる前によくしている目に似ている。
差し出されたクレアの手を掴まなければならないと頭ではわかっているのに、体は動かない。
助けを求めて隣のレオンを見るも、クレアと同様の目をしていたため、そっと目を逸らした。
これは、自分が悪い。
悪いのだが、自分は人助けをしただけでは…?
「リアナ?」
クレアの声から少し圧を感じる。
意を決して、クレアの手のひらの上に自分の手を重ねると、しっかりと手をつながれた。
「それでいいわ。では、行きましょう」
「はい…」
クレアは手をつなげていることがご満悦なようで、ご機嫌で歩いている。
その横、そのクレアの様子を見て微笑みながら、レオンはなにかを熟考している様子だ。
連行されているリアナは、遠目に人数分の机と椅子が用意されていることに気付いた。
それに、レオン付きの従者がワゴンの横で待機している。
用意された机の近くにいる父とリックは、どうしたらいいかわからず、困惑しているようだ。
「あ、あれは…」
先程より近付いて気付いたが、ワゴンの上には、紅茶の他、ハイポーションの瓶がある。
もちろん、開封済み。
「どういった事情かはわからないけど、怪我は早く治した方がいいわ」
「たしかにそうかもしれないけど。でも、そんな高価なものを」
「私が知ってる中で、あれが一番効くもの。それに、もう開けてしまっているから。使わないなら、廃棄するしかないわよ」
クレアの言う通り、ポーションやハイポーションといった類のものは、時間経過と共に効力を失うため、早めに使用しなければ廃棄するしかない。
しかし、ハイポーションは大変高価な品。
その代金は後で払うにしろ、他に謝礼を受け取るような友では無い。
「……なにか、お礼がしたいといったら?」
「まぁ!わかっているでしょう、リアナなら」
リアナの言葉に、クレアの笑顔が一段階明るくなった。
クレアが唯一、自分にだけお礼として求めるものを知っている。
だからこそ、あまり借りを作りたくないのだ。
息を吐き切ると、リアナは腹を括る。
「…えぇ、わかっております。……後日、時間を開けます」
「そう。なら、楽しみね」
自分は一体、何日着せ替え人形になれば、解放されるだろうか。
少し気が遠くなるが、とりあえず、今は子供の治療をしなければ。
「ハル、従者の方の近くまで行ってくれる?おとなしくね」
「いいよ。今日だけはね」
ハルに指示を出し、子供を従者の近くに連れて行ってもらう。
すると、子供はハルの耳を掴んで、上に引っ張った。
「うぎゃぁ〜!僕の耳が伸びちゃう〜」
「あっちはやなの。リアナと一緒がいい…」
「えぇ〜。そうは言っても」
「ハル。やなの」
「わ、わかったから!耳だけはやめて〜」
先程まで大人しくしていた子供がなぜか嫌がりだし、ハルの耳は上に引っ張られている。
困ったようにこちらを見るハルに、手をつながれたリアナはなにもしてあげることはできない。
「どうやら、不安みたいですね。リアナ嬢、その子の隣に居てあげてください。それが一番いいのでしょう」
「そうしてくださると有り難いです。ハル、おいで」
レオンの言葉に、ハルを呼び、近くに来てもらう。
「僕の耳、伸びてない?もう、うさぎの耳みたいになってるんじゃ…」
「大丈夫よ。いつも通り、とっても素敵」
「そっかぁ。なら、よかった〜」
ハルが前足で耳を触っているのを見ていると、子供に上着を掴まれた。
「……リアナ…」
「かわいい子、どうしたの?」
「リアナがいないと不安なの…。怖い…」
「じゃあ、もう大丈夫。ほら、こんなにそばにいるでしょう?」
「うん、いる。大丈夫!」
優しく抱きしめ、子供が笑ったのを確認し、リアナは体を離した。
そして、レオンとクレアが先に席に着くと、それに倣って他の人も席に着く。
もちろん、リアナはまだクレアと手をつながれたままのため、クレアの隣の席に着いた。
そのため、父からの視線が少し痛い。
だが、これは私の意思ではないのだ、どうかわかってほしい。
「クレア、そろそろ手を離しなさい。大丈夫、もうどこにも逃げられないから」
「それもそうね」
レオンが声をかけてくれたことで、リアナの手に自由が戻った。
ようやく助けてくれる気になったみたいだが、その言い様はなんなのだ。
少し抗議の目を向けるリアナの様子を確認し、少し笑ったレオンは右手を軽く上げる。
それに合わせて、ワゴンに乗っていた紅茶が用意され、机の上に並ぶ。
準備が整うと、レオンの従者以外の人間は退がった。
「目の前、失礼致します」
従者はリアナに近付き、紅茶とは別にハイポーションの瓶を机の上に置き、レオンの後ろに立つ。
机の形は長方形。レオンとクレア、リアナが並んで座り、向かいにダリアスとリックが座る。
リアナの隣、お誕生日席にハルから抱き降ろした子供を座らせると、ハルはその後ろで姿勢を正して座った。
周りの動きが落ち着いたのを確認し、レオンが口を開く。
「まず、リアナ嬢はその子の治療をして下さい。知らない人がすると、先程のように不安がるかもしれないからね」
「ありがとうございます。お礼はまた、必ず致しますので」
レオンに許可を得たので、リアナは机の上のハイポーションをハンカチに染み込ませると、子供と向き合う。
本当は飲ませるほうが一番いいのだが、ポーションの類は味が大変よろしくない。
ハイポーションは、特に。
大人でもかなり我慢して飲むことになるのに、子供に飲ませるのは酷だろう。
そのため、子供に対しては、ハンカチに染み込ませ、傷口に当てることが多い。
不思議そうにこちらを見ている子供と目を合わせ、リアナはこれからすることについて話し始める。
「この液体は、身体にとてもいいの。どんな傷もすぐに治る魔法のお薬よ。でも、傷に染みて痛いし、怖いかもしれないけど信じて欲しいの」
「痛いのはやだ」
「痛いのは嫌なのね。じゃあ、少しだけ飲んでみる?とっても苦いのだけど」
「痛くないなら、苦くても大丈夫!リアナは、そっちのほうがいいんでしょ?」
「飲んだほうが傷に染みないし、気付けていない傷も治せるから、そっちの方が嬉しいのだけど」
「じゃあ、飲む!」
リアナの言葉に、子供はハイポーションが入った瓶を持つと目の前で飲み出した。
いい飲みっぷりなのだが、あの味を思い出したリアナは、子供が吐き出さないかと心配になる。
「……うぅ…。苦い…。でも、ちゃんと飲めたよ、リアナ!」
「すごいわ。よく頑張りました」
全て飲み終えた子供が褒めて欲しそうな表情でこちらへ向いたため、リアナはその頭を撫でながら褒める。
少しすると、上着の隙間から見えていた傷が綺麗に治り、顔色も先程より良くなってきた。
これで一先ず、安心していいだろう。




