79. 学院の頃の思い出話
アドルフは姿勢を楽にすると、懐かしそうにリアナを見る。
「リアナは学院の頃から変わらないね。落ち着くよ」
「そうでしょうか。私は成長していると思うのですが…」
あの頃と比べ、ほんの少しだが背も伸びたし、髪も伸びた。
それに年齢も重ねたので、大人っぽい顔つきになっているはずだ。
リアナの考えることがわかるのか、アドルフは楽しそうに笑っている。
「それはわかっているよ。昔に比べて、リアナはさらに綺麗になったね」
「ありがとうございます。貴族独特の女性への褒め言葉は、大変ですよね」
「まぁね。これも、慣れだよ」
女性への褒め言葉は、レオンも苦労するといっていた。
褒めすぎれば、見合いの写真が届き、褒めなさすぎれば、苦情の手紙が届く。
なかなか難儀する風習を残したものだ。
「でも、綺麗になったのは本当だよ」
「ありがとうございます」
アドルフは会うたびに自分を褒めていたので、褒め言葉には一切、照れを感じない。
そういった点では、多少の褒め言葉なら笑顔で返せるようになるためのいい練習になった。
「そういえば、商会としてガラスが発表されたね。あれは、素晴らしかった」
「そういっていただけて嬉しいです」
あのガラスは、無事に発表し終えた。
もちろん、商会として。
これで、一安心である。
「婚約者の元へ嫁いだら、頼もうかな」
「ぜひ。お待ちしております」
アドルフが嫁いだ時、お祝いとしていいかもしれない。
きっと、婚約者も素敵な人だろう。
その時には、ルイゼとフーベルトが作りに行くだろうが、フーベルトがデザインを描くのなら、ぜひ見させて欲しい。
そのまま会話は学院時代の話になり、授業の話になる。
そこで気付いたのだが、アドルフの足は踏んだことがない気がする。
「アドルフ様とは、ダンスの授業は被りませんでしたよね」
「あぁ、残念だったよ。リアナとのダンスは、踊ってみたかったな」
「いえ、踊らないほうが良かったと思います…」
きっと、アドルフは自分がダンスを踊れると思っているのだろう。
その期待を裏切って悪いが、ダンスは踊れないし、医務室送りだ。
「どうしてだい?鉄の入った靴は、持っているよ」
「…ということは、私のダンスの成績を知っていますね」
「まぁ、ね。少し、有名だったから」
そんなことで、有名にはなりたくなかった。
そういえば、ダンスの授業の前は、みんな優しい言葉や応援の言葉をかけていてくれていた気がする。
自分とダンスを踊ると怪我をするというのは、周知の事実だったのかもしれない。
その事実に、リアナは少し気が遠くなる。
「でも、意外だったよ。座学も実技の成績もいいのに、ダンスになると成績がギリギリだなんて」
「なんででしょうね。でも、今は踊れますよ」
「…無理に強がらなくても」
「本当です。信じられないかもしれませんが」
「じゃあ、そういうことにしておこう」
座学は、学んだことを頭に入れるだけ。
実技の魔法学は、ルイゼの指導のおかげで成績は良かった。
だが、ダンスだけはどうにもならなかった。
きっと、ダンスが踊れるようになった現状を、学院の頃の友に説明しても、同じ反応をされるだろう。
「魔法学の授業では、魔導士コースの人とも仲良かったよね。今でも交流は?」
「彼女は他国からの留学生だったため、今はあまり。時々、手紙が届くぐらいです」
「それは、残念だね。あんなに仲が良かったのに」
「えぇ。少し寂しいですが、元気そうなので、心配はしていません」
自分の教室から、リアナの魔法学の授業を見ていたのだろう。
他国の留学生である美しい桜色の髪の彼女は、授業中なのに、教室の窓から飛び降りて、自分の元へ来た。
そのことを思い出し、少し笑ってしまう。
彼女は手紙では元気そうだが、久しぶりに会ってみたい気持ちがある。
それに、彼女は魔法をこよなく愛していた。
きっと、エドワードと話が合いそうな気がする。
「すみません。お待たせしました」
「いえ、学院の頃の思い出話に花を咲かせていましたから」
久しぶりに思い出した彼女に、手紙を送ろう。
そう考えていると、父が帰ってきた。
馬車の用意もでき、その馬車の前で振り返る。
「では、気をつけて帰ってくれ。母のために、できる限り早くお願いするよ」
「善処いたします」
アドルフと別れ、リアナは馬車に乗って商会へ戻る。
その道中、気になっていたことを父に尋ねる。
「お父さん、今日はどうしたの?途中でいなくなるから、心配したの」
「すまない。急に行きたくなってな。今度からは、飲み物は控えようと思う」
「体調に問題がないならいいの。今度、そうなった場合の対処策を聞いてみるわ」
「そうしてくれ。今後は気をつけよう」
生理現象であるのでしょうがないが、あまり知らない貴族相手では、困ってしまいそうだ。
いい対処策があるといいのだが。
馬車が商会に着き、リアナは仕事に戻る。
机で今日の調査報告書を作っていると、ルカに声をかけられた。
「ねぇ、リアナ。今日の人は、友達?」
「友達よ。アドルフ様っていうの」
「アドルフ様はどんな人?」
「優しい人よ。学院の頃の友達で、よくしていただいたわ」
「いい人?」
「大丈夫、いい人よ」
すぐにその人がいい人か聞こうとするのは、きっとハルの影響かもしれない。
ハルとは少し、話し合った方が良さそうだ。
「いつ出会ったの?」
「中等学院だから、12歳ぐらいかしら。一応、貴族と庶民の授業は分けられているのだけど、それでも困っている生徒には手を貸してあげていたわ」
中等学院の頃に出会ったアドルフは、まだ自分より背が低く、かわいらしい顔をしていた。
しかし、それに似合わず、きっちりと中身は貴族であった。
だが、貴族も庶民も関係ない。
貴族では珍しい、そういう考えを持っていたのだろう。
困っているものがいれば、自ら声をかけ、助けになっていた。
「僕も友達ができたら、楽しくなるかな」
「そうね。一緒にたくさん遊べるわ」
「早く、友達ができないかな〜」
「その時は、友達を紹介してね。一緒に遊びましょう」
「そうする!」
ルカは、同年代の知り合いがいない。
学院に行けば、きっと友達ができるだろうが、それまでは、ハルが相手をするだろう。
もし友達ができた時に、昔、ハルに教えられた、『かくれんぼ』や『おにごっこ』というのをするのもいいかもしれない。
自分が子供の頃にできなかった遊びができるほど、ルカにたくさん友達ができることを願う。
ルカとの会話が終わり、リアナは書類を書いていると、机にハルが来る。
しかし、少し困った表情をしているようだ。
リアナは手を止めると、ハルと向き合う。
「リアナ。クレアが来てるよ」
「え?なんで?」
「わからない。今は休憩室に案内したよ。なんだか、顔色が悪かった」
「今すぐ行くわ」
ハルの言葉に、リアナは席を立つと、休憩室に向かう。
確かにそこにはクレアがいるのだが、ハルの言う通り、顔色が悪い。
リアナは隣に座ると、クレアは抱きついてくる。
「リアナ!」
「ねぇ、クレア。どうしたの?レオン様と何かあった?」
クレアが自分のところへ来るのは、大抵はレオン様となにかあった時だ。
それも、学院の頃が多かったのだが、ここ最近はなかった。
少し、心配である。
「違う、違うの。リアナが…心配で」
「もう、どうしたの。クレア」
まさかの自分のことだったようだ。
しかし、クレアに何か心配されるようなことがあっただろうか。
何も思い浮かばず、頭を傾げる。
とりあえず、クレアを落ち着かせなければ。
リアナはクレアを優しく抱きしめ返し、背中をさする。
クレアは、抱き締める力を強めながら、小さく息を吐く。
「…無事なら、いいの」
「もう、クレア。話が見えないわ」
「気にしないで。勘違いだったみたい」
どうやら、クレアの中で解決したらしい。
話は見えないのだが、解決したのならよかった。
クレアは心配そうな紺の目で、こちらを見つめる。
「今日は、ジールマンに会ったのでしょう?」
「あぁ、アドルフ様?会ったわよ。仕事の打ち合わせにね」
確かに会ったが、情報が行くのが早すぎないだろうか。
本当に、どこもかしこも、話が早すぎる。
もしかして、自分にプライベートはないのだろうか。
「…リアナは、本当に警戒心がないわ」
「そうではないと思うけど。というか、レオン様にここにいることを伝えてあるの?何も言わずに、ここに来たわけじゃないわよね」
ここに突然来たのはいいが、レオンが知っているのかが気になる。
リアナの疑問に、クレアは優しく微笑む。
「外に、カイルお兄様がいるわ。大丈夫よ」
「なら、急いだ方がいいわ。ハルが気付いたら、追いかけ回されるもの」
カイルが来たのなら、ハルが気付くはずだ。
追いかけ回された姿を思い出し、リアナは苦笑いをする。
「待て〜」
どうやら、手遅れだった。
遠くからハルの追いかける声が聞こえるため、出来るだけ早く、向かった方が良さそうだ。
リアナはクレアを立たせると、一階へ向かう。
「ねぇ、リアナ。約束して。何かあったら、すぐ教えてくれると
「約束するわ」
クレアと約束し、商会の外で待つ馬車まで見送る。
カイルを追いかけているハルを止め、リアナはクレアとカイルへ別れを告げる。
馬車が見えなくなるまで見送り、商会へ戻ろうとするのだが、なぜか視線を感じた。
後ろに振り向くが、どこにもその視線の正体を見つけることができない。
リアナは少し不気味に思いながら、少し溜まっている事務仕事をするために、商会へ戻った。




