75. 自分の甘え
リアナは普段の仕事着ではなく、いつもより濃い化粧と上品な装いに身を包み、王都を歩く。
「…緊張する」
小さく深呼吸を繰り返しながら、まっすぐと歩き続ける。
本日の目的地は、王都の貴族街に近く、貴族相手の商売が多いため格式も高い。
「リックさんは私がいなかったらどうするつもりだったんだろう…」
目指している店舗は、本来はリックが打ち合わせに行く予定だった。
しかし、リックが担当する仕事で問題が発生し、その対応をしなければならなくなったため、商会にちょうど帰ってきたらリアナが急遽引き継ぎを受けた。
幸い、フォルスター商会の者が行くとしか言っていなかったので、自分が行っても問題はないらしい。
「この服装でおかしくないはず。だって、クレアのおすすめだもの」
今日の装いは、黒みがかった青のワンピースに、白いカーディガン。少しヒールのある同色のパンプスを履いている。
クレアに勧められた通り、商会に正装一式を置いといてよかった。
「…頑張りますか」
小さく呟き、リアナは笑みを作る。
たどり着いた店舗の扉を開けて一歩踏み出すと、リアナは姿勢を正した。
「いらっしゃいませ。本日はどういったご用件でしょうか?」
さすが、貴族相手に商売するだけある。
どの店員が着ているものも上等で、その所作さえも洗練されている。
だが、自分もクレアに鍛えられているので、気後れしないはずだ。
「お世話になります。フォルスター商会のリアナ・フォルスターと申します。本日、打ち合わせの予定を組ませていただき、ありがとうございます」
「あぁ、商会の方でしたか。話は通しておりますので、そのまま奥の部屋にどうぞ。そこに責任者がいますので」
「わかりました。奥の部屋ですね」
店舗の奥方へ歩みを進めると、ひまわりによく似た花の彫刻が施された木製のドアの前に立ち、4回ノックする。
「はい、どうぞ」
「失礼致します」
その部屋には、シルバーグレーの髪の上品な女性が座っていた。
歳は、父より一回り以上は上だろう。
「お座りください」
「ありがとうございます」
その言葉に従い、リアナは会釈をすると向かいの席に座る。
「店舗まで出向いていただいて、ありがとうございます。私、この店舗の責任者、ジゼルです」
「フォルスター商会のリアナです。本日は、ご依頼いただきありがとうございます」
互いに自己紹介を交わし、ジゼルの表情を見る。
作られた笑顔に、自分を値踏みする緑の目。
きっと、自分はここに来るには若すぎた。
あまり、期待されていないのだろう。
ジゼルは太ももの上で手を組むと、話し始める。
「まず、うちの店舗をご存知ですか?貴族向けの宝石店で、アクセサリーを主に展開しています」
「存じております。こちらは美しい宝石のカットが評判で、貴族で人気のお店だと」
「えぇ、そうですね」
クレアが身につけているアクセサリーは、この宝石店で購入したと聞いた。
前にアクセサリーを見せてもらったが、本当に美しい宝石であった。
「しかし、庶民でも買えるような値段のものも展開しているため、この店舗の婚約の腕輪が人気ですよね。私もいつかは、ここで婚約の腕輪に入れる宝石を買いたいと思っております」
「嬉しい話です、お待ちしております」
少し嬉しげに細められた緑の瞳に、リアナは少し緊張を解く。
それに対して、ジゼルは姿勢を正した。
「それで、貴女はこの店をどのように変えるべきだと思いますか?」
「床の木目を暗い色にし、壁も綺麗に補修します。店舗のガラスは衝撃に強いものに交換します」
リックに渡された書類には、そう書かれていた。
今あるものを大切に、そして昔からある姿を残すべきだと。
ガラスもルイゼの考えた割れにくい丈夫なガラスを使えば、防犯的にも強くなるだろう。
「ガラスの件はいいでしょう。でも…」
リックが考えた案は、悪いものではないはずだ。
なにか、気にかかることがあるのだろうか。
リアナが少し考えていると、ジゼルに鋭い目で見られた。
「それは、誰が考えられたのですか?貴女ではないですよね」
説明した案が自分のものでないことを、すぐに見抜かれた。
表情も作れていたし、声も気をつけていた。
それでも、わかるということは、ジゼルには誤魔化しは効かない。
リアナはまっすぐと見返すと、深く頭を下げる。
「申し訳ありません。先程、急遽引き継ぎましたので、その者が考えた物になります」
「そうですか。それでは、貴女の考えはどうですか?」
自分の考え。
リックに渡された書類を頭に入れることに精一杯で、そんなことを考える余裕などなかった。
そんな受け身な自分に気付き、リアナはスカートに皺を作り、更に頭を下げる。
「本当に申し訳ありません。言われたことを素直に受け入れ、具体的な案までは考えていませんでした」
これは自分が悪い。
商会からこの店舗に着くまでに、一応考えてみたものはあるが、淡く考えていただけで、本格的に説明できるものではない。
頭を下げたままのリアナに、ジゼルの穏やかな声が耳に入る。
「貴女は素直な性格なのですね。では、その誠実さに免じて、後日、時間をとりましょう。そこで、貴女の案を教えてください。そこからどうするのかを決めます」
「…ありがとうございます。お時間、いただきます」
ジゼルの言葉に席を立ち、リアナは店舗を出る。
そして、商会への道を全速力で走った。
「最低だ。…本当に、こんな自分が情けない」
どうして店舗に着くまでの間に、しっかりと考え込まなかったのか。
そんな過ぎたことを後悔しても遅いことはわかってはいるが、それでも考えてしまう。
商会へ着くと、二階に駆け上がり、事務室へ行く。
「あれ、おかえり。どうし」
ハルの声が聞こえた気がしたが、リアナは自分の机から紙とペンを持ち、事務室を出る。
そして、二階の隅、あまり使われていない資料室へ駆け込むと、本を何冊も引っ張り出す。
すると、資料室のドアが開き、ハルが入ってきた。
「リアナ、無視は良くな…え、どうしたの?」
頬から落ちる涙を我慢することはできず、本を手当たり次第に机に置く。
その自分を止めるため、ハルは大きくなり、自分を包み込んだ。
「…どこの、誰?仕留めてくるから、教えて」
他の人に何かされたと思ったらしい。
凍えた声を出すハルに気付き、少しきつめに抱きしめる。
「これは、自分の情けなさから。私、受け身で仕事をしてた。よくないことだわ」
なんの疑いもなく受け入れていた自分に、情けなくて涙が出る。
そんな自分の悔しげな声に気付き、ハルは頬にすりつく。
「よく自分で気付けたね。えらいよ」
「…なにもえらくないわ」
「そうかな?大抵の人は受け身で仕事をしていることが多いよ。だって、その方が楽だからね。でも、リアナはそんな自分に気付いた。僕はえらいと思う」
ハルは自分が泣くと、いつもそれを隠してくれ、優しい口調で慰めてくれる。
それに頼っているばかりでは、よくない。
リアナは涙を拭うと、笑顔でハルを見た。
「ありがとう。私、頑張るわ」
「よし、もう大丈夫だね。さぁ、僕にも教えて。何をしようとしていたの?」
ハルは体を小さくすると、机に乗る。
リアナは椅子に座ると、本を何冊か開いていく。
「今日、リックさんの代わりに宝石店に打ち合わせに行ったの。でも、説明した提案が他人の物だと見抜かれて。そこで自分の案を聞かれたのに、なにも話せなかった」
「それはそうでしょう。リックが何日もかけて作った案でしょ?急にリアナが話せって言われても難しいよ」
難しいのはわかっているが、それでも大切な仕事だったのだ。
自分の甘さに、涙が込み上げそうになる。
「もう。泣き虫は卒業したんでしょ?ほら、泣かないの」
「…そうね。今は頑張りどころ。成長するチャンスよね」
「その通り。さて、どんな案を考えていたの?」
ハルの言葉に、リアナは本を指差しながら話す。
「宝石店の改装をするにあたって、お母さんの国にある教会が浮かんだの。えっと、そう、これ」
「あぁ、これね。とっても素敵だよね」
宝石店と聞いて思い浮かんだのは、婚約の腕輪、そして母の出身国の教会。
その教会は、身分に関係なく、自由に結婚式を挙げることができ、人気だと聞いたことがある。
「宝石店ってことは、宝石、貴族?あ、婚約の腕輪のイメージもあるかな」
「私も婚約の腕輪が浮かんだの。だから、この教会もすぐに浮かんだわ」
「それはいい考えだね。じゃあさ、少しずつ考えていこうか」
「そうする。ありがとう、ハル」
「い〜え。僕は優秀なリアナの相棒だからね」
自慢げに笑うハルの頭を撫で、話し合いながらペンを動かす。
家に帰ってから、ルカも加わって続いたその話し合いは、夜遅くまで続いた。
 




