73. お姉様の聖獣とお願い
リアナは前回とは違う正装に身を包み、リーゼンフェルト公爵家の広い中庭に立っている。
風に揺れる水色のワンピースに、靴はヒールを低くし、夜空のような紺色。
この正装は、応援の品としてクレアから商会に届けさせられたものである。
なかなか上等な生地を使ってあるワンピースに、袖を通して驚いた。
自分の体にしっかりと合わせられており、動きやすい。
前回、ダンスの授業の後で計られたのは、このためだったらしい。
「ふふ。今日はとってもかわいらしい格好ね、リアナ」
「はい。どちらも誇らしい色合いです」
身につけているワンピースも靴も、両方クレアの色。
クレアの応援の気持ちがよく伝わり、心強い。
「お時間を取っていただきありがとうございます、アイリス様」
「こちらが頼んだことだから気にしないで。それで、貴方がフーベルトね」
「お初にお目にかかります、公爵夫人。私、フォルスター商会所属、フーベルト・ウィーズと申します」
フーベルトの自己紹介が済むと、アイリスは楽しそうな目で笑う。
その目がクレアに似ていて、少し緊張が和らいだ。
「では、ここで少し待っていて」
「かしこまりました」
その言葉に従い、リアナとフーベルトはその場で待機する。
アイリスが前に両手を差し出しながら詠唱をすると、柔らかい風と共に白い雲のようなものが出現した。
「中庭に来てもらった理由を説明するわね。この子をモデルとしたデザインを考えて欲しいのだけど」
アイリスは抱きしとめた自身の召喚獣を見せてくれる。
どうやら雲だと思ったものは羊型の聖獣だったようで、とてもかわいらしい。
こちらを向く聖獣の目は、アイリスと同じ天空の色の瞳をしている。
「机を用意してくださり、ありがとうございます。助かります」
「いい作品を描いてもらうためだから、気にしないで」
用意してもらった机まで移動すると、フーベルトは椅子に座り、鞄から紙と色鉛筆を用意する。
その横にリアナは立つと、アイリスに声をかける。
「では、幾つかここで描きあげますので、なにか気に入ったものがあればおっしゃってください」
「えぇ」
リアナの声に反応し、アイリスの召喚獣は花壇の前に行くと美しく座った。
高貴な方の聖獣も、上品な姿勢をするようだ。
それに微笑みながら、横目でフーベルトを確認する。
描き始めて少ししか経っていないのだが、もう何枚か描き上がっている。
今日もフーベルトの美しいデザインに惚れ惚れしながら、リアナは表情が緩まないように気をつける。
その後も描き上げて、ある程度枚数が集まったところで、フーベルトは一度手を止めた。
それを確認し、リアナはアイリスの方に顔を向けると、デザインを食い入るように見ている。
「どれも悩むわね。一つ、我儘言ってもいいかしら?」
「お聞かせください」
一体、どのような我儘がくるのか。
デザイン自体は気に入っているようではあるが、なにが返ってくるか想像つかず、リアナは少し緊張する。
「もう一匹、呼んでも良いかしら。夫の召喚獣なのだけど、屋敷の中を歩いているはずだから」
「お任せください」
フーベルトの返答にアイリスは嬉しそうに笑うと、近くに待機するメイドに声をかける。
屋敷へ戻ったメイドは程なくして、聖獣を連れて帰ってきた。
「わぁ…」
想像もしなかったその聖獣の姿に、思わず声が漏れてしまった。
美しい桔梗色の長い毛色に、青緑色の鋭い目つき。口から覗く牙は大変立派である。
礼儀正しくこちらに一礼する聖獣に、リアナも一礼を返す。
リアナは高なる鼓動を抑えきれない。
しかし、なんとしてでも耐えねばならない。
クレアと自分のために。
リアナの目の前にいるのは、人生で初めて見る狼型の聖獣である。
「よく来てくれたわ、ノーブル。私のシュニーと並んで座ってくれる?デザインのモデルになって欲しいの」
アイリスは目線を合わせると、狼型の聖獣にお願いする。
その願いに一度うなずくと、アイリスの聖獣の横に座った。
狼と羊。
現実的に考えて、追う側と追われる側が並んで座る姿は少し違和感を覚える。
しかし、仲良くくっついて座るニ匹の聖獣に、リアナは顔の緩みを我慢できなかった。
「リアナ」
リアナが嬉しそうに聖獣達を見ていると、フーベルトに小さな声で名前を呼ばれ、なんとかもう一度表情を作る。
急いでアイリスを確認すると、まだ聖獣達と会話をしていたようで、自分の表情の変化には気付いていないようだ。
そのことに安堵しつつ、アイリスのことを待つ。
少しして、聖獣のポーズが決まったのか、アイリスが机の方へ戻ってきた。
「では、お願いするわ」
再び、フーベルトが集中して描き進めている横で、アイリスはリアナに笑みを向ける。
「リアナ、聞きたいのだけど」
「なんなりとおっしゃってください」
「その所作はクレアに教えられたでしょう。クレアによく似た仕草になっているわ」
まだ二度しか会ってないのだが、誰に教えられたのか、わかったというのだろうか。
しかし、クレアの貴族の先生は目の前のアイリスだったと聞いている。
クレアにずっと教えてきたからこそ、リアナの先生がクレアだとわかるのだろう。
クレアの仕草と似ているとはなんのことかはわからないが、アイリスが笑顔であるということは良き点なのだろう。
クレアがそばにいてくれるような気がして、リアナは少し自然な笑みが溢れる。
「良き先生に教わりました。これもクレア様のおかげです」
「全て美しいわ、合格よ。クレアに褒美をあげましょう」
「そうしていただけたら、嬉しい限りです」
クレアの従姉妹であっても、今、目の前に立つお方は公爵夫人である。
クレアの話では、一切の妥協は許さないと聞いている。
至らぬところがあるのなら、必ず指摘されると言われていたのだが、合格点をいただけたようだ。
リアナは心の内で安堵しながら、アイリスの提案に嬉しく思う。
良い生徒として、次に会うことができそうだ。
「クレアとは長いわね。あの子は、学院ではどうだったの」
アイリスは声を潜めて、リアナに尋ねてきた。
しかし、先程までの凜とした表情から、少し困ったような表情になっている。
「皆の見本として、頑張っておられました。そして、縁あって、クレア様とは親しくさせていただき、今でも良くしてもらっております」
「そう。あの子、頑張っていたのね」
リアナの返答に、心底安心した表情をしているアイリスに少し親近感を抱く。
カイルと同じようにアイリスもきっと、クレアがかわいくて仕方がないのだろう。
素敵なお姉様の表情になっている。
そこからクレアとの学院時代の思い出話をいくつか話しながら、描き上げるのを待つ。
「ふふ。話していれば、クレアがリアナを気にいる理由はよくわかるわ。今後とも、クレアをよろしくね」
「今後とも、親しくさせていただきたいと思っております」
アイリスの言葉に、リアナは笑みを浮かべた。
今後ともクレアとは仲良くさせていただきたいので、認めてもらえて嬉しい。
フーベルトがある程度描き終えたのか、アイリスとリアナは談笑をやめ、紙を受け取る。
全てを確認したのか、アイリスは一枚の紙を机の中央に置き、満足そうにうなずいた。
「この図案、気に入ったわ。これで進めてくれるかしら」
「承知いたしました」
デザインが決まり、今度は色の確認を行う。
「色違いで複数用意しました。いかがでしょうか?」
「では、これを。ふたりが嬉しそうにしている感じがするから」
「承知いたしました。ガラスの設置予定場所を教えていただけますか?」
「わかったわ。ついて来て」
それもすぐに決まり、ガラスを設置する予定の場所へ移動する。
この広さはきっと何度来ても迷子になるだろう。
ギルバートの屋敷も広いが、アイリスの屋敷はそれを超えて広い。
ハルが昔教えてくれた“かくれんぼ“という遊びをできそうだ。
「ここにガラスを入れて欲しいのだけど、良いかしら」
「採寸させていただいてもよろしいでしょうか?それに合わせて、材料を用意いたします」
「えぇ、好きにして」
案内された部屋は少し広めの応接室のようで、広い部屋の窓の前に立つ。
アイリスに許可を取り、フーベルトが採寸する横で、リアナは次の予定を話す。
「材料が揃い次第、連絡いたします」
「えぇ、その時はルカも連れてきていいわ」
「お心遣いありがとうございます」
ルカに話をどこから聞いたのかはわからないが、聞く必要はない。
貴族とはそういうものだと、レオンとギルバートで知っている。
深入りは禁物であると、クレアには念を押された。
そのため、リアナは笑みを作り、感謝を伝える。
採寸が終わり、今日の予定は全て終わった。
帰りの馬車の用意もできたため、リアナはアイリスに別れの挨拶をする。
「では、失礼致します」
「次は、夫も立ち会うそうなの。よろしくね」
「承知いたしました」
次のガラスの製作の時は、公爵家当主が立ち会うことになった。
その事実に、リアナは笑みが崩れそうになる。
公爵家のニ人に見守られながら、作業をするのは自分だ。
ハルがいるとはいえ、魔力が揺れないか心配だ。
馬車に乗り込み、扉が閉まるまでリアナは笑顔を浮かべる。
閉まった途端、リアナは背もたれにもたれかかると、どちらからともなく深く息を吐いた。
「フーベルト、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、問題ない。リアナこそ大丈夫か?」
「えぇ。今日の胃薬はよく効きました」
前回から今日までに探した新しい胃薬は、よく効いたようだ。
フーベルトはそれに対して、困ったように笑うと片手でお腹をさする。
「俺も貰えばよかった。昼食は難しそうだ」
「そんなフーベルトに、今日は軽食を作ってきています。後で、一緒に食べましょう」
前回のお礼に、今日は朝から軽食をルカと作っていた。
きっとフーベルトも、前回の自分と同じように胃が痛くなると思っていたので、胃に優しいスープも作ってきている。
「ありがとう、リアナ。では、これを」
「フーベルト、ありがとうございます!」
リアナの言葉にフーベルトは嬉しそうな表情をして、先程の図案をリアナに渡す。
リアナはフーベルトの新しいデザインを見られて、ご満悦であった。




