71. お姉様との顔合わせ
朝晩はまだ肌寒く薄手の上着が必要だが、日中は上着が必要ではない季節になってきた。
湿気が少なく、太陽の日差しが気持ちのよい穏やかな気候である。
そのため、リアナは少し薄い生地のネイビーブルーのワンピースを着ている。
現在、リアナはクレアのメイドであるソフィアに化粧を施されているのだが、いつも通りに別人の如く変化する自分の顔に慣れない。
化粧が終わり、ソフィアは満足そうにしている。
「本日も楽し…お任せいただきましてありがとうございます。いかがでしょうか」
「ありがとうございます」
今、楽しかったと言いかけた気がする。
クレアとよく似た表情で笑うソフィアは、楽しそうに部屋を出ていく。
毎回わざわざ来てもらうには悪いと思い、屋敷まで伺おうとしたのだが、今日は断られた。
本日は、クレアの従姉妹であるお姉様との約束の日。
お姉様にできれば会うのを避けたいというクレアの言葉で、それは叶わず、少しだけ胃が痛んだ気がした。
「よし。頑張ろう」
リアナは化粧を施されていた休憩室から出ると、一度服のシワを伸ばす。
事務室へ戻って今日持っていく鞄を手に持つと、ルカが走って近づいて来た。
「リアナ、緊張してる?」
「ちょっとね。でも、今までたくさん練習したから大丈夫よ」
「じゃあ、おまじないしてあげる」
「あら、なにかしら」
「ここに座って」
ルカの言葉に、リアナは少し緊張が和らぐ。
言われた通りに椅子に腰掛けると、ルカはリアナの頭に手を置き、二度優しくぽんぽんする。
「大丈夫、リアナならできるよ」
「ふふ。ありがとう、ルカ」
ルカの優しさで緊張は完全に和らぎ、リアナは自然な笑みを浮かべた。
「おとーさんも大丈夫。とってもかっこいいよ」
「そうか。ありがとう、ルカ」
ルカの言葉に、ダリアスは少し笑った。
父も今日は身だしなみが整えられているが、緊張した面持ちをしている。
公爵家との仕事のやり取りは、そうそうない。
あっても、侯爵家までだったのなのだが、今回ばかりはお互い頑張るしかない。
玄関で待機していると、外から馬車が近づく音が聞こえてきた。
「…来たようだ。リアナ、行くぞ」
「はい、商会長」
リアナは表情を引き締めると、商会の前に停まっている家紋の入りの馬車に乗り込んだ。
本来は商会の所有する馬車で向かうべきなのだが、初めて取引をする公爵家に向かうと、目立ってしまう。
それに、商会としてガラスの発表をするのは、もう少し先。
他に情報が漏れてはいけないので、気を利かせて馬車を手配してくれたのだが、座っているだけで、緊張で体が固まっていきそうだ。
屋敷に着き、馬車を降りると、リアナは小さく息を吐く。
「ご案内いたします」
「お願いいたします」
二階建てで全体的に白い壁面、そして緑の屋根。
横長な大きな屋敷は、中も広く、これは迷子になる可能性が高い。
案内してくれる執事に置いていかれぬようについて歩くと、部屋の前で立ち止まった。
「フォルスター商会の方々を、お連れしました」
「どうぞ」
執事の言葉に対して、優しげな女性の声が返ってきた。
この声の主が、クレアのお姉様であろう。
緊張して引き攣りそうになる頬に気をつけながら、一度息を吐くと、気を引き締める。
扉が開かれると、美しい女性が優雅に座っていた。
「名前は聞いていましたが、初めてお会いしますわね。私、アイリス・リーゼンフェルトですわ。ダリアス、リアナ」
真夜中の色をした髪色は美しく結われており、こちらを見る天空の色の瞳には吸い込まれそうなほど透き通っている。
「御目にかかれて光栄です、リーゼンフェルト公爵夫人。私はフォルスター商会の商会長、ダリアス・フォルスターと申します」
「同じくフォルスター商会に所属、リアナ・フォルスターと申します」
アイリスと名乗った女性に、リアナはクレアの授業の厳しさに納得する。
手の角度や目の動き、どの仕草にも品があり洗練された動きとなっている。
そのせいで、自分の動きが気になりだしてしまうが、今は堂々とするしかない。
お互い自己紹介を終えると、リアナの名前を聞いたアイリスは目を輝かせた。
「貴女がクレアの…。若き才能は喜ばしいことですわね」
「勿体なきお言葉、謹んでお受けいたします」
クレアからなんと聞いているのか気になるが、リアナは笑顔で感謝を伝える。
そのリアナの様子をまじまじと観察していたアイリスは、嬉しそうに一度うなずくと、言葉を続ける。
「私のことはアイリスと。難しいなら、先程の呼び方で結構」
「アイリス様。お言葉に甘えさせていただきます」
恐れ多いのだが、名前を呼ばせていただくことになった。
リアナは緊張で背中に冷や汗が流れるが、表情を崩さず感謝を伝える。
クレアのおかげで自分の表情筋も鍛えられたようで、上手く隠せているようだ。
「あのガラスを作ったのはリアナ、貴女だそうね。まだ、商会からガラスの発表がないけど、依頼して良かったかしら」
「問題ありません。アイリス様は実物をご覧になっておりますし、クレア様の大切なお姉様ですので」
「まぁ、ふふ。この屋敷の応接室にも、あの作品が飾られる日を楽しみにしているわ」
「お任せいただきましてありがとうございます。この屋敷に似合う、美しいガラスにしてみせます」
クレアの部屋に取り付けたガラスを見たと聞いていたが、相当気に入っていただけたようである。
まだ補助装置を使ってのガラスは数枚しか作っていないため、もう少し練習をして精度を上げよう。
この公爵家の窓の一枚に自分の作ったガラスが入るのだから、もっと美しく仕上げられるようにならなければ。
「デザインは、次回にしましょう。デザインの才能があるものがいると、聞いているわ。次は、連れてきて」
「承知しました、連れてまいります」
クレアはいったい、どこまで伝えてしまったのか。
ガラスのデザインを作るために、フーベルトも連れてくることになった。
だが、次回はデザインの打ち合わせになりそうなので、自分は来なくて済みそうだ。
「今回はリアナを指名するわ。良いかしら」
「…謹んでお受けします」
楽観的な考えが、一瞬で崩れ去った。
今までよく効いていた胃薬が役目を果たさず、一気に胃が痛くなった気がする。
「では、これから頼むわね。製作の時には、是非立ち会いたいわ」
「承知しました。その時はお知らせします」
製作の時に立ち会うということは、一連の魔法を見られるということだ。
本当は見られるのは良くないのだが、これはクレアに相談させてもらうことにする。
別れの挨拶をして、用意された馬車に乗り込み、深く腰掛ける。
緊張の糸が切れたリアナは、深く息を吐いた。
「リアナ、大丈夫か?」
「…えぇ、喜ばしいことです。次までに、もっと効く胃薬を探します…」
結局、途中までしか効かなかった胃薬のおかげで、昼食は入りそうにない。
しかし、これも良き経験になるはずだ。
そう信じることにし、新しく良く効く胃薬を探すことにする。
「…午後からの仕事の打ち合わせには、リックに行ってもらう。書類作りが忙しいと伝えよう」
「その必要はないわ。どの仕事も、大切な仕事なのだから」
ダリアスの心配そうな表情に、リアナは安心させるように笑顔を作る。
「だが…」
「任された仕事はどんな状況になっても、責任を持って自分でやりきる。そう決めてるの」
これは仕事をする時に決めた、自分の目標だ。
胃が痛いぐらいで、仕事を休むわけにはいかない。
リアナの自信に満ちた笑顔に、ダリアスは満足そうに笑顔を作り一度うなずくと、小さく呟く。
「立派な建築士の顔になったな」
「え?なにか言った?」
「いや、なんでもないよ。建築士リアナ」
馬車の音でよく聞こえなかったのだが、父の満足そうな表情につられて笑顔になる。
建築士として呼ばれた自分の名前が、少しむず痒い。
しかし、いつか堂々と言えるようになりたいのだ。
建築士ダリアス・フォルスターの自慢の弟子であるリアナ・フォルスターは、自分であると。
そのためには、もっと頑張らなければ。
そう決意し、商会に戻ったリアナは、午後からもしっかりと仕事に出た。




