69. 授業『ダンスと失言』
商会の仕事も順調にいき、責任者として様々な職種についてまわる生活にも慣れてきた。
唯一、慣れないことといえば、ダンスの授業だろう。
苦手なダンスに、本当に必要なのかと問いただしたくなる気持ちを抑えて、今日も授業を受けに行く。
リアナはため息をつきそうになるのを耐え、吐き出そうとした息を飲み込む。
いつもなら遠慮なく吐き出すのだが、目の前の人物の前では極力避けたい。
その目の前に座るフーベルトは、優しい表情で励ましてくれる。
「リアナ。大丈夫、確実に上手くなっているから」
「でも、それはフーベルトとのダンスだけは、ですよね?」
「大丈夫だから。一緒に頑張ろう」
あれから、フーベルトが練習できる時はよく教えてくれ、自分の癖も改善したらしい。
しかし、他の人とは踊っていないため、確認のしようがない。
「ハル。踏んだらどうしよう…」
「いいよ。あんなやつ、踏んでも」
「カイル様もレオン様も踏みたくないわ…」
「レオンの時は頑張って、カイルは踏めばいい」
そんな器用なことができたら、苦労していない。
乗っている馬車が止まり、目的地に着いたことを知らせる。
「リアナ、手を」
「ありがとうございます、フーベルト」
フーベルトのエスコートで馬車を降りると、その後ろに待つルカとハルも降りる。
屋敷の入口で待っていた執事とメイドに案内され、リアナはフーベルト達と別れた。
着替え終えたリアナは、メイドの案内に従い、前回ダンスの練習をした部屋を目指す。
しかし、その足取りは少し遅い。
「リアナ、今日も頑張りましょうね」
「頑張るわ…」
部屋の扉を開けられ、先に部屋で待っていたクレアに話しかけられた。
その笑みは今日も楽しそうな目をしているが、今日の予定を知っているリアナは楽しく思えない。
「大丈夫。レオン様もカイルお兄様もダンスは上手よ」
「それはそうでしょう。二人とも、貴族だから…」
「フーベルトとダンスをし続けるわけにはいかない。それは、リアナもわかっているでしょう?」
「…ちゃんとわかっているわ」
一人と踊る回数は二回まで。
三回目以降は、婚約者や結婚する相手だと教えられた。
前に、フーベルトに願われた理由がわかり、少し納得した。
そのため、フーベルトに頼り続けることもできず、他の人にも慣れた方がいいと言われたのだが、リアナは憂鬱である。
隣室の楽しそうな声に、リアナは惹かれて歩いていく。
「リアナ」
「…わかってる」
それに気付いたクレアは、しっかりとリアナの手を掴むと離してはくれない。
少し前に部屋に来たレオンは、リアナの澱んだ空気を感じて苦笑いをしている。
「リアナ、大丈夫だよ。前回は、踊れていたじゃないか」
「あれは、フーベルトだからです…。あの後、父もリックさんも、踏み尽くしました」
「それは…そうかい。大丈夫。今日も、鉄の靴だからね」
「それはありがたいです…」
どうやら、物理的に怪我をさせる心配はないようだ。
そのことに少し安心した。
授業の予定時間が近付き、本日の犠牲者が姿を現す。
「リアナ嬢、本日も美しいです。ダンスの相手になれることを、心より楽しみにしておりました」
「ありがとうございます、カイル様」
カイルの美しい笑みを見ながら、これを崩してしまうのが自分なのかと思うと、更に申し訳なく思う。
心の中でカイルに謝罪しながら、リアナは美しい笑みを作った。
カイルと共に来たフーベルトはリアナに近付き、声を潜める。
「リアナ、俺を信じて。頑張れば、なんでも願いを叶えてあげますから」
「……では、今度。絵を描くのを、隣で見ていてもいいですか」
「そのようなことで、いいのなら」
フーベルトは優しく笑うと、リアナと約束してくれる。
断られる前提で聞いてみたのだが、了承された。
ということは、いつかはわからないが、フーベルトが絵を描くのを見られる。
しかも、隣でじっくりと、心行くまで。
「私、とっても頑張れそうです。約束ですからね!」
「あぁ。約束しよう」
フーベルトの言質はとれた。
リアナは美しい笑みを浮かべると、犠牲者一号であるカイルと向き合う。
「では、一曲やってみようか」
レオンの言葉で、流れるような挨拶の後、リアナはカイルと距離が近くなる。
ヴァイオリンの音楽に合わせて、踊り始めた。
一曲踊り終え、リアナは表情を作る余裕はない。
それに対して、レオンとクレアは驚きと喜びが混ざった表情をしている。
「リアナ、練習を頑張ったのだね。足を全く踏んでないじゃないか」
「そうですわ。寧ろ、完璧です!」
「ありがとう、ございます?」
リアナはまだ、不思議な心地が抜けない。
父とリックの足を踏みながら踊っていた自分が、一切踏むことなく、しかもクレアに完璧を言わしめるほどのダンスの腕前になっている。
今回のは偶然なのか、それとも本当にフーベルトの言う通り、癖がなくなっているのか。
リアナは頭が追いつかないまま、次はレオンと踊る。
「では、リアナ。よろしく頼むよ」
「お願いします」
レオンに声をかけられ、固まっていたリアナは動き始める。
そして、レオンとも一曲踊ったのだが、足を踏むことなく、ダンスが終わった。
最後に一礼したリアナを、クレアが抱きしめる。
「どうしたの、リアナ。あなた、ダンスができるのね。相手がいなくて、先生しか相手がいなかったリアナが!」
「ちょっとクレア、それは言わないで」
クレアの言葉に、カイルが少し目を見張る。
そのことは、さすがに内緒にしていたかった。
しかし、踊れるようになっているのならば、そんなことは気にしなくてよさそうだ。
その後、レオンとカイルと何度か踊ったが、リアナは綺麗に踊れている。
これなら、ダンスの授業も順調に終われそうだ。
休憩を挟んで、今はフーベルトと向き合っている。
「リアナ。言ったでしょう、上手くなっていると」
「全然実感がなくて…。でも、フーベルトの言う通りでしたね」
自分を励ますための言葉なのかと思ったが、事実だったようだ。
リアナは、その事実が嬉しくて、笑みが溢れる。
「では、リアナ。一曲、踊っていただけますか」
「お願いします、フーベルト」
フーベルトとのダンスが始まると、少し違和感を覚えた。
カイルもレオンもダンスが上手く、リアナをリードしてくれていたのだが、フーベルトとのダンスは他の人よりも踊りやすい。
これは、フーベルトのダンスのスキルが高いことが、原因なのだろうか。
「リアナ、考え事か?」
「えぇ、ちょっと。フーベルトとのダンスが一番踊りやすいから、どうしてかと思って」
「それは……光栄だな」
言葉の間に疑問を持ち、リアナは顔を上げると、フーベルトは少し頬が染まっている。
なにか、そうなるようなことを言ってしまっただろうか?
先程の発言を思い返し、気付いたリアナは焦ってしまう。
貴族の言葉を勉強していたが、相手がフーベルトであることで、素直に話してしまった。
『あなたとのダンスが踊りやすい』
これを貴族の言い回し的に言い換えると、
『私はあなたのパートナーになりたい』
と言う意味になる。
これでは、自分が口説いているようになっているではないか。
恥ずかしさのあまり逃げ出したいが、ダンスはまだ終わらない。
「リアナ、落ち着いて。頑張れば、絵を描くのを隣で見られますよ」
優しく諭され、本日のご褒美を思い出す。
そのためになら、この状況も乗り越えなければ。
そこからはどうにか落ち着いて踊ることができ、最後に一礼した。
「リアナ、どうしたの?顔が真っ赤よ」
「これはなんでもないの、気にしないで」
リアナは取り戻しきれなかった平常心を、なんとか取り戻そうと頑張る。
しかし、その様子にクレアは大変楽しそうな表情をしている。
「ねぇ、リアナ。あなた、フーベルトが相手だと、そんなに顔色が変わるってことは…」
「違う、違うわ。貴族の言い回しを口走ってしまっただけなの」
クレアの続く言葉に焦り、リアナは否定する。
しかし、否定の仕方が悪かった。
リアナは言い直そうとクレアを見るが、更に楽しそうな表情で、手を掴んで離さない。
「どんなことを言ったのか、私、とても興味があるわ。もちろん、教えてくれるわよね」
「えっと…。はい…」
「なんと言ってしまったの?」
「フーベルトとのダンスが一番踊りやすいと、言いました…」
リアナの言葉を聞いたクレアは、額に手を当て、小さくため息をつく。
「今回は、フーベルトだから問題はなかったけど、貴族相手だと難しいわよ。思い込みが激しい方なら、特に」
「気をつけます…」
「リアナは昔からそういったところがあるから、あまり信用ならないけど。フーベルトがそばにいれば、大丈夫でしょう」
「そうだね。そして、リアナ。本を読み直して、徹底的に頭に入れ直してください。今度の授業は、そのことを重点的にします」
「はい…。お願いします、レオン先生…」
フーベルトがそばにいれば、大丈夫とは?
そういえば、なぜ、フーベルトに貴族の言い回しが通じたのだろう。
それも気になるが、それよりも、あの分厚い本をもう一度読むのかと思うと、少し気が遠くなる。
しかし、今回のようなことを、貴族に言ってしまうのは避けたい。
少し落ち込んでいるリアナに、フーベルトは声をかける。
「リアナ、頑張ってくれ。他の人に、あれは言ってほしくない」
「言いませんよ、絶対に」
フーベルトはリアナの言葉に嬉しそうに笑っているが、リアナは考える余裕はない。
その二人のやり取りにクレアは微笑みながら、レオンに囁く。
「リアナ、いつになったら気付くかしら」
「あの調子では、気付かないでしょう。フーベルトも苦労しますね」
嬉しそうに笑うフーベルトと考え込んでいるリアナを見て、クレアは満足そうに笑う。
まだ来ぬ友の春の兆しに期待しながら、クレアは授業を再開させた。




