64. 優しさと密かな願い
シュレーゲル侯爵家所有の馬車から降り、見慣れた商会の入口に立つ。
午前中しか出向いていないのだが、疲労をかなり感じている。
もちろん、精神的な意味で。
玄関の扉を開けて商会へ入ると、自分達が戻ったのに気付いたのか、ハルとルカが待っていた。
「リアナ、おとーさん、おかえり!」
「お疲れ様〜」
「ありがとう、ふたりとも」
「ただいま。ハル、ルカ」
リアナは先程までの緊張したやり取りではなく、いつもの気にすることがないやり取りができることに感謝して、ふたりを抱きしめる。
癒しはここにあったのか。
リアナは心行くまで、この癒しの存在を抱きしめる。
抱きしめ終えると、父の方へ向き、今日のことを感謝する。
「今日は休みなのに、わざわざ来てくれてありがとう。本当に助かった」
「俺が紹介したからな。必ず着いて行くさ」
「ありがとう、お父さん」
ダリアスの言う通り、ギルバートと知り合ったのは父のおかげである。
そのおかげで、補助装置も手にすることができ、これからは安心して仕事ができそうだ。
ギルバートは優しいのだが、一人で行くのは避けた方がいいとレオンからは学んでいる。
見知った貴族の家に行くとしても、父を連れて行った方が無難であろう。
「俺は休みだが、少し商会長室にいるつもりだ。その後は人と出かける。リアナも着替えて、少し休みなさい。午後からのことはリックがまた指示を出す」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
さすがに今の格好では、午後からの仕事には着いていけないし、相手にも少し緊張させてしまいそうだ。
クレアと共に選んだこのセットアップの服は気に入っているのだが、なにせ貴族用に仕立ててもらったもの。
デザインもなのだが、その質感にもこだわっており、なかなかいい値段がする。
そのため、汚れがつくようなことは避けたい。
リアナはふたりと二階に上がると、商会へ持参していた着替えを事務机まで取りに行き、そのまま休憩室へ向かった。
しかし、その休憩室の扉には、使用中の看板が出ている。
「誰か使ってるみたい。誰だろう?」
「師匠だよ!」
「あ、こら〜。内緒って言われたでしょ」
ルカはハルに怒られたのがわかったのか、両手で自分の口を隠している。
しかし、聞き間違いでなければフーベルトがここにいるということになるのだが、何かあったのだろうか。
心配になり扉の向こうへ声をかけたいのだが、今のフーベルトの状態がわからず、リアナは少し戸惑う。
その姿を見たハルは、リアナをトイレの方向へ誘導する。
「心配しなくて、大丈夫だから。まずは、着替えてくること。わかった?」
「わ、わかった…」
ハルに諭され、リアナはトイレに篭り、着替えることにする。
リアナは脱いだ服を鞄に入れると、トイレの個室から出た。
そして、ハルとルカが待っていた休憩室の前に行くと、ルカがリアナの手を繋ぐ。
「じゃあ、行こう!」
「どこに?」
ルカはリアナに声をかけると、リアナの問いかけに答えるより先に、休憩室の扉を開けた。
休憩室にいると聞くと、なにか怪我でもしているのかと思ったが、リアナの目に映るフーベルトはいたって元気そうである。
しかし、それならばどうしてここにいるのかがわからない。
それに、いつもの仕事着ではなく、前に一緒に出かけた時と、よく似た格好をしている。
リアナの疑問が表情に表れていたのか、フーベルトは優しく微笑んでくれる。
「お疲れ様です、リアナ。軽食と紅茶を用意しましたよ。午後まで、ゆっくり休んでいてください」
「えっと。ありがとうございます…?」
机の上には、軽食と紅茶が置いてある。
しかし、それをなぜフーベルトが用意しているかがわからない。
「なぜ、フーベルトが用意を…?」
「今日、私は休みです。この後、プライベートで親方と出かける予定があるので、商会に来ていたのですが、ルカさんに手伝うように頼まれまして」
「リアナ、お疲れ様!疲れ、とれた?」
「前回の時、すごい顔して帰ってきたから、ルカは心配してたんだよ。僕も手伝ったから、感謝してよね」
前回、初めて父と共にギルバートの本邸に行った時は、相手が侯爵家とわかったあたりから、猛烈な胃の痛みに襲われて、お昼になにも食べることができなかった。
しかし、今回はかなり心の準備はしていったのでましだが、相変わらず胃は痛い。
そのため、今日も昼食を抜こうと考えていたのだが、その考えはお見通しだったようである。
心配して、色々と考えてしてくれたことがとても嬉しい。
ハルとルカを抱きしめると、感謝を伝える。
「ありがとう。疲れはとれたわ」
「よかった!」
リアナに抱きしめられているハルは満足げに笑うと、リアナの頬に擦り付く。
ルカはにこにこ笑って、ご機嫌そうである。
ふたりから体を離すと、フーベルトの方へ向く。
「フーベルトも、休みなのにわざわざありがとうございます。美味しく食べようと思います」
「それはよかった。俺は休みの日にも、リアナに会えて嬉しいよ」
その言葉に、少し照れてしまう。
あれだけ練習したのだが、なぜか気を抜いたら出てしまうみたいで、少し恥ずかしい。
「それじゃあ、また」
「ありがとうございます。また」
そのリアナを見て笑うフーベルトは、そのまま部屋を出て行く。
そして、リアナは軽食を食べながら、ふたりに今日あったことを簡単に話しながら、軽食をつまんでいく。
「へ〜。息子ね〜」
「そうなの。わざわざ会わせるために呼ぶなんて、申し訳ないわ」
「ギルバート様はいい人?」
「良い人よ。優しくしてくれるし、お父さんの友達よ」
「じゃあ、良い人だね!」
ルカにギルバートのことを教えたのだが、いつの間にか敬称をつけ呼べるようになったようだ。
そういえば、リアナが休憩時間の時には、休憩しているリアナの横に座り、積極的にレオンやカイルに色々教えを受けている。
そのおかげで話し方も少し変化が出ており、成長を感じる。
リアナはルカの成長に嬉しくて微笑んでいると、ハルは少しジト目になって、何やら考え込んでいる様子である。
「リアナは気に入られているって聞いていたけど、相当だね」
「お父さんの娘だからよ」
「そうかな〜。さっき聞いた婚姻話も、冗談じゃない気がするけど」
ギルバートに気に入られているかもしれないが、それも父の娘だからだろう。
ギルバートは父と仲が良いのは、見ていてもよくわかる。
そのため、ギルバートの冗談である婚姻話を否定して、リアナは楽観的に考える。
「冗談に決まっているじゃない。家格がこれだけ違うのだから」
レオンの授業で、貴族では家格の差が小さい場合において、婚姻を結ぶことが多いと学んだ。
ましてや、自分のような庶民と貴族が結婚などするはずがない。
そんなリアナに大きくため息をつくと、ハルはやれやれと首を左右に振っている。
「エドワードだっけ。きっとリアナのこと、好きになっちゃうよ。危ない」
「大丈夫よ。きっとあの年齢なら、婚約者もいるでしょうし」
「こんやくしゃ?」
「将来、家族になる人よ」
ハルの言うことに少し苦笑いしながら、リアナはルカの質問に答える。
しかし、よく伝わっていないのか、首を傾げている。
先程の説明では、難しかったのかもしれない。
ルカは頭の中で考えているのか、少し部屋が静かになる。
なにか思い浮かんだのか、ルカは首を傾げたままリアナに尋ねる。
「僕、家族になったけど、それとは違うの?」
「そうね。それとは違うわ」
簡単に説明しすぎたことで悩ましてしまったようだ。
ルカとは家族になっているため、その違いを説明する。
「いつかルカにも好きな人ができるわ。その人とずっと一緒にいたいって思える時が来たら、相手にお願いするの。一緒にいてくださいって」
きっと、ルカも大きくなれば好きな人ができるだろう。
そのときには、リアナは傍にいないかもしれないが、ルカが幸せに暮らしているならそれだけで十分である。
リアナはルカの将来について、思いを馳せていると、ルカに抱きつかれる。
「まだ難しくてわかんない。でも、僕も、リアナが好きだよ!」
「ありがとう、ルカ」
「ちなみに僕もだよ〜」
「ふふ、ハルもありがとう」
ルカとハルの言葉に、笑みが溢れる。
きっと、自分にもいつかは、そのような存在ができるかもしれない。
出来ることならば、そのときにルカとハルにも祝ってもらえたら幸せだろう。
リアナはふたりを優しく抱きしめながら、今のような幸せな時を、共に過ごすことができる相手と出会えるように、密かに願った。




