56. ダンスの犠牲者
商会へ着くと、ダンスの授業で指摘されたことを紙にまとめる。
今回は着替えもあったため、戻るのが遅くなった。
あと少しすると、昼食の時間である。
リアナが紙に書き込んでいると、誰かが机に近付いてきた。
「リアナ、今日はダンスの授業だったそうだな。私とも、ダンスをしてみるか?」
「お父さん、出来るの?」
ダンスをしている父の姿が思い浮かばず、リアナは尋ねる。
「出来るさ、ギルに仕込まれたからな。おかげで、リリーと一緒によく踊ったよ」
「そう。じゃあ、休憩時間に頼もうかな」
ギルバート様に教えられたのなら、それなりに踊れそうだ。
母と一緒に踊っていたのを見たことがないが、きっと私が生まれる前だったのかもしれない。
…ちょっとだけ、その姿を見てみたかった。
ダリアスに約束を取り付け、リアナは紙に書き込むのを再開させる。
ご飯を食べ終えてから、一番広い応接室の家具を端に寄せ、空間を作る。
「これぐらい広さがあればいいね」
「そうだな」
応接室には、他にルイゼとフーベルトはいるが、ハル達の姿はない。
そのことに不思議に思いながら、父と向き合い、一度礼をする。
周りの手拍子でリズムを作ってもらい、今日の練習のように踊り始めたのだがーーー
「お父さん…大丈夫?」
「リアナ、すまない。私では、難しいようだ…」
「あの、ごめんなさい。今、救急箱を取ってくるから」
ダリアスは端に寄せたソファーに腰掛け、痛みに耐えている。
そこにちょうどよく、ハルとルカが現れた。
「大丈夫、そんなことだろうと思って、用意してるよ!」
「ハルと一緒に、おとーさんを治す!」
手当はルカがするらしく、なにもできることはなくなり、更に申し訳なくなる。
ルイゼはルカの手伝いをしながら、リアナの方へ意外そうな表情を向ける。
「リアナはなんでも器用にこなすからね。少し意外だったよ。ダンスは苦手かい?」
「ダンスの授業は、いつも憂鬱でした…」
期待を裏切って悪いが、それとは程遠いのが現実である。
ダンスの授業で、先生の足を踏み続けたことを思い出し、少し気が遠くなった。
手当てを受けたダリアスは、心配そうな目をフーベルトに向ける。
「その…フーベルト。足は、大丈夫か」
父がフーベルトを気遣うのはわかる。
ダンス中に何度踏んだかもうわからないが、あれだけ踏まれていたのだから、心配するであろう。
しかし、それにフーベルトは余裕の笑みを返す。
「大丈夫ですよ、リアナはちゃんと踊れていましたから」
「…私の前だからと、強がらなくていい。すまない、私の娘が…」
「お父さん、本当よ!私は、フーベルトの足は、一度しか踏んでないわ!」
フーベルトに謝る父に、リアナは抗議する。
今日の授業では、確かに踊れていた。
それは事実で、一度しか踏んでいない。
それに、フーベルトは靴のおかげで、無傷である。
「…では、踊ってみてくれ」
言葉では、信用できないらしい。
それならば、今日のダンスの授業の成果を父に見せつけよう。
フーベルトと向かい合い、曲が始まる前に一礼する。
「リアナ、よろしくお願いします」
「こちらこそ、お願いします」
笑みを浮かべ、リアナはフーベルトと距離が近くなる。
手拍子が始まると、順調に踊り出す。
危ういところも、一度も足を踏むことなく、無事に綺麗に踊り終えた。
「ほら、言ったでしょ」
リアナが得意げな表情をして見てきたことで、ダリアスは悔しそうにしている。
「…どうしてだ。どうして私の足は踏むのに、フーベルトは踏まない」
「わざとじゃないわ。フーベルトとなら、上手く踊れるみたい」
本当に、わざとではないのだ。
足を踏むことはできればしたくないのだが、体が勝手にしてしまうだけで…。
父とフーベルトとダンスをしてみて、リアナは確信する。
自分は、よくわからないがダンスが踊れる。
しかし、フーベルトとなら。
踊れることはいいことなのだが、もしこの仮説が本当にそうなのなら、今後問題がありそうな気がする。
リアナが少し不安げな表情になったのに気付いたダリアスは、ソファーから立ち上がった。
「リアナ、私とも踊れるようになるぞ。鉄の板は、作業部屋にあったな」
「…次は踏まないわ、信じて」
作業部屋に鉄の板を取りに行こうとする父に、リアナは声をかける。
先程はきっと、タイミングがどこかずれていただけ。
本当なら、フーベルトと同じように、父とも踊れるはずなのだ。
しかし、父はその言葉に困った表情のまま愛想笑いを浮かべた。
「…すまない、リアナ。お前の言葉であっても、それは難しい…」
そのまま部屋を出ようとするダリアスの前に、リックが立ちはだかり、動きが止まる。
部屋に入ってきたリックは不思議そうな表情をして、ダリアスを見る。
「この部屋でなにをしているんだい?こんなに広い空間を作って」
「リック、お前もリアナと踊ってもいい。許可する」
ダリアスは楽しそうにリックに笑いかけ提案すると、部屋を出ていく。
リックはどうしてダンスの許可が出たのか、理由がわからないため、少しきょとんとする。
「ダリアスが許可を出したから、いいんだよね?」
「まぁ、いいだろうね」
ルイゼの言葉に従い、リックはリアナと向き合うと、笑顔で手を差し出してくれる。
「では、お言葉に甘えて」
「リックさん…ごめんなさい…」
一応、謝罪はしたので、許してほしい。
手拍子が始まると、タイミングを合わせ、リックと踊り始めた。
「そういう意味の謝罪だったのか。すまない、私では役に立てなさそうだ」
「本当にごめんなさい。手当てはあそこで行われているわ」
なんとか踊り終えたが、終わるまでにリックの足を何度も踏んでしまった。
そのため、かなり痛いはずなのになんとか表情を保つリックに手当ての場所を教える。
リックが移動すると、離れたソファーに腰掛け、無音でため息をつく。
その隣にフーベルトが並んで座ったため、リアナは沈んだ表情で尋ねる。
「どうして、フーベルトとは踊れるのに、他の人ではあんなに足を踏んでしまうのでしょうか?」
「それは、難しい質問ですね。きっと、親方もリックさんも、ダンスの経験は豊富ですから」
ダリアスもリックも、商会の関連で夜会に招待されたことはある。
父に至っては、ギルバート様が教えてくれているのだ。
決して二人が、ダンスが下手なわけではない。
それならば、どう考えても、原因は自分だ。
リアナは眉尻を下げると、気になったことを尋ねてみる。
「私のダンスに、なにか特徴があるんですか?」
「少し、踊る時に癖がありますね。それが無くなれば、誰とでも踊れると思います」
フーベルトの言葉により、一時的なことかもしれないと希望を持つ。
そうすれば、もう誰の足も踏むこともなくなり、被害者はいなくなる。
フーベルトのおかげで、元気を取り戻したリアナは、少し安堵する。
次の練習も、なんとか頑張れそうだ。
「それを改善すれば、きっと大丈夫なんですね。とても安心しました」
「大丈夫です。リアナは誰とでも踊れるようになれますよ」
「それを期待します。でも、どうしてフーベルトは私の癖があっても、踊れるんですか?」
フーベルトはレオンにダンスが上手いと褒められていたが、きっと父もリックも上手い方であるはず。
それなのに、ここまで差ができることに疑問が生まれる。
フーベルトが耳元へ近付くので、それに合わせてリアナも少し体を傾ける。
「それは、俺とリアナと相性がいいからかもな」
耳元で聞こえた低く甘い声に、慌てて離れる。
突然の言葉に、油断していたリアナは耳元まで真っ赤だ。
しかし、そのリアナの様子にフーベルトは楽しそうに笑うと、席を立つ。
「ほら、リアナ。休憩時間がそろそろ終わるぞ。事務室に帰ろう」
「ま、待ってください!」
いつの間にか誰もいなくなった部屋に、少し呆然とする。
しかし、すぐにフーベルトの後ろを追いかけて、仕事へ戻る。
作業部屋では、ダリアスが自分の分の靴を鉄の板で補強し終えており、次に踊れるのを楽しみにしていた。
家に帰り、それを履いて父とダンスをしたのが、踏む度に音が鳴るため、リアナは自分が情けなくなる。
これだけ迷惑をかけるのならば、しばらくはフーベルトとだけ踊ろう。
そして、癖が直ってから、父とリックにもう一度挑戦してもらおうと心に決めた。
 




