53. なぜ、人はダンスを踊るのか
昼休憩。
授業の復習と、レオンから渡された本を読み返していると、机の横に、誰かが立っている影があることに気付いた。
それを確認すべく、顔を上げて、リアナは目を見開く。
「リアナ、師匠連れてきたよ!」
「え?どうして…」
「リアナが無駄な足掻きをしないようにだよ。もう諦めて、フーベルトに頼みなよ」
話そうとは思っていたが、今ではない。
できれば、もう少し、猶予が欲しかった。
いい言い訳も、説得できる言葉も用意していない。
「リアナさん、なにか急ぎでしょうか?ルカさんには、急ぐように言われたのですが」
「そうだよ、師匠。大切なお話が、リアナからあります!」
「大切な話?」
ルカ、やめて。
大切ではあるけど、ハードルを上げないで…。
だが、休憩時間もいつまでもあるわけではない。
午後からは外の仕事に出る予定があるため、頼むのなら今だろう。
リアナは諦めて本を閉じると、席を立つ。
「あの、フーベルト…」
「はい、なんでしょう」
「ちょっと、ここだと言いづらいので、場所を変えても?休憩室に行きましょう」
「わかりました」
できれば、傷は浅いほうがいい。
断られる姿も、その原因も、周りの人には知られたくない。
休憩室に入ると、ソファーに座って向かい合う。
「それで、お話というのは?」
「あの…」
いざお願いしようとすると、申し訳なさでいっぱいになる。
せっかく築いてきた友好関係に亀裂が入る、危機である。
もう、フーベルトに絵を見せてもらえないかもしれない。
それだけは、どうしても避けたい。
どう考えても、悪い結果しか思い浮かばず、リアナは黙り込む。
「リアナ、勇気を出して。約束したでしょ?」
「そうだよ。フーベルトなら、絶対大丈夫だから」
ルカとハルに、優しく諭される。
約束はしたが、一生、フーベルトの絵を見られなくなるのは嫌なのだ。
だが、フーベルトは話を聞くために、ここまで来てくれた。
「リアナ。どうしたんだ?」
心配してくれている優しい友のために、ちゃんと説明しなければ。
リアナはフーベルトの目を見ると、諦めて話し始めた。
「高等学院の頃、ダンスの授業がありましたよね。男女、ペアになって、練習をする」
あの頃は、授業があると、憂鬱だった。
クレアになんとか励まされ授業に出ても、先生の足を踏みまくった。
ステップの足も間違え、ターンのタイミングも間違える。
自分にダンスの才能は、一切なかった。
「そこで、私は初めてのパートナーを泣かせました」
初めての授業、なにも知らなかった自分は、授業でパートナーになった友とダンスを踊り、足を踏みまくった。
途中で中断されたダンスは、再開されることなく、その友は立ち上がることはなかった。
先生に立たされ、涙に濡れる友を、見送ることしかできなかった。
「最初のパートナーがダンスの経験がないと聞いて。先生はその人の評価を落としました。…あれは、かわいそうなことをしました」
彼の授業での評価は、その後に正しく変えられたが、かわいそうなことをした。
その彼を医務室に連れて行った先生は授業を再開させ、リアナに新しいパートナーをあてがった。
「他の人ともダンスをしました。でも、みんな、悶絶していて。私、リズム感がおかしいのかもしれません…」
優しい友も、爵位持ちの友も、全員最後までダンスを終了させることはなかった。
だが、先生は違った。
「だけど、先生は鉄の入った靴を履いているじゃないですか。だから、先生としか踊ったことがないです」
さすが、ダンスの講師である。
鉄入りの靴は、痛みを通さず、最後まで踊ることができる。
だが、その時の先生の顔は、少し引きつっていた気がする。
「ダンスの授業の評価は、ギリギリでした。先生もお手上げと言われ、それ以降は避けてきました」
人並みに踊れるぐらいに、と目標を立て、先生と授業の時は努力した。
だが、卒業を迎えた時、自分はまだ踊れなかった。
ダンスをする機会はなくなると思っていたのだが、今回、授業ですることになった。
そういえば、パートナーになった人たちは、次の授業には普通に参加していた。
だとすれば、まだ軽傷で済む可能性もある。
その安心をしてもらうため、リアナは笑顔を向ける。
「大丈夫です、まだ相手の足の骨は折ったことがありません。……多分」
言い切ることができず、語尾を濁す。
ふと、貴族は表情に出してはいけないと、レオンから教えられたのを思い出した。
もしかして、本当は折れていたが、治療済みだったのかもしれない。
「そういえば、最初のパートナーになった人からは避けられていた気がします…。でも、できれば」
「リアナ、もう喋らないの。これ以上は、フーベルトがかわいそうだよ」
できれば、フーベルトに避けられたくはない。
その言葉は、ハルの大きな肉球で止められた。
だが、かわいそうなのは、自分である。
被害者を生み出す存在が、またダンスを踊ろうなど、なにか罪に問われてしまいそうだ。
「師匠、待っててね。話してくるから」
「は、はい、ルカさん」
フーベルトは疑問と不安が入り混じった表情で、こちらを見ている。
そのフーベルトのことも、いつまで見られるのだろうか。
気が遠くなりかけているリアナの手を握ると、ルカは優しく言葉をかけてくれる。
「リアナ、大丈夫だよ。師匠は、なんでもできるから」
「でも、歩けなければ仕事にも影響が出るでしょう。私がダンスをするということは、そんなひどいことをするということなの」
「大丈夫だよ。リアナも大人なんだから、踊れるようになってるって」
「それは…難しいんじゃ…」
「大丈夫。リアナは踊れるから。ね?」
「うーん。…そうかな…」
確かに、卒業してから三年経った。
大人になったかと言われると、実感はないが、年齢は立派な大人である。
もしかすると、仕事をしたことで、体の動きが滑らかになっているかもしれない。
そのことに賭けることにし、リアナは本題をきりだす。
「フーベルト。お願いがあります」
「なんでしょうか」
「…私とダンスの授業を受けてもらえませんか?」
「いいですよ」
「そうですよね、いいんです。リックさんか、父に頼んでみま…す?」
今、聞き間違いでなければ、了承された気がする。
恐る恐るフーベルトを見ると、優しい目を向けられていた。
「他の人に頼まないでください、俺が、リアナとダンスを踊ります」
「でも、私、ダンスが苦手なんです。無傷で帰ることができませんよ」
「大丈夫です。一緒に頑張りましょう」
「…頑張ります」
なんと、優しいのだろう。
無傷では帰れないかもしれないが、歩いて帰れるぐらいにはしてあげたい。
リアナがそう考えていると、フーベルトはこちらに楽しそうな表情を向けている。
「正直、もっと大切な用事かと思いました」
「十分、大切な話ですよ。私とダンスを踊るのは、罰みたいなものでしたから…」
「俺は嬉しいよ。リアナとなら、何度でもそのチャンスをいただきたい」
「フーベルト、ありがとうございます。お礼はなんでも言ってください。言われたこと、全て叶えます」
自分とダンスを踊る、罰を受けるのだ。
対価は、なんでも払うつもりである。
リアナは心の準備をしていると、フーベルトは少し考え込む。
「では、公の場で俺以外とは三回以上、ダンスを踊らないでください。それだけでいいですよ」
「そのようなことでいいのなら」
公の場とは、夜会とか、そういったものだろうか?
ならば、踊ることを避けよう。
一回ですら、踊れることはないだろうが。
ふと、頭に浮かんだ疑問をフーベルトにぶつけることにする。
「どうして、人は踊ろうと思ったのでしょう…。神に捧げる舞はわかりますが、他の人は踊らなくても…」
「きっと、喜びを分かち合いたいのかもしれない。あと、見せびらかしたいのかもしれないな」
「見せびらかしたい?」
一体、なにを?
自分にとっては、ただの公開処刑である。
しかし、フーベルトのこちらを見る青の瞳は、熱を帯びているように感じる。
「愛する人を見せびらかしたい。自分の愛する人は、こんなに素敵なのだと。俺はそう考えるよ」
「…フーベルトは、素敵な考えを持っているんですね」
なかなかロマンのある考え方である。
自分にとっては関係ない話かもしれないが、その考えは素敵だと思う。
とりあえず、今はダンスが踊れるようになるしかない。
犠牲者を出さないための練習をしよう。
「一緒に頑張りましょうね。私、先生以外とダンスを踊りきってみたいです」
「任せてくれ。最初のパートナーになろう」
「お願いします」
優しく笑ってくれるフーベルトに、リアナは笑みを返す。
フーベルトとなら、踊りきれそうな気がする。
かすかな希望が見え始めた。
無事にフーベルトに頼み終え、リアナは仕事に戻った。




