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05. 素敵な名前



「視界も良好。これなら、すぐに晴れそうね」



 街の方へ進むにつれ、自分達を包み込んでいた霧が、だんだんと綺麗に晴れはじめた。


 この霧は、たまたま発生したものだったのだろう。


 昨夜は、雲ひとつない綺麗な星空だった。

 雲の無い夜空の次の日には、山に霧がかかりやすいと、昔、父から聞いたことがある。


 それに、山の天気は変わりやすいというし、これが例の霧とするならば、自分の意識がある方がおかしい。


 これが意識を失っている間の夢であるならば、どうしようもないことだが、ハルの体温も子供の体温も感じ、ハルが歩く際の振動も子供が揺れるのを支える腕の感触もある。


 これは夢ではない。

 やはり、自分の思い違いであったのだろう。


 先程まで心を占めていた不安な気持ちは跡形も無く消え、心の底より安堵する。



「ねぇ、この声は?」

「これは、小鳥の声。木の上の方にいるのかもね」

「へ〜。あ、あれ?」

「そうよ。よく見つけられたわね」



 完全に霧を抜けてからは、普段の山と変わりなく、鳥のさえずりも聞こえるようになった。


 先程まで隠れていた暖かな太陽も、今では地上を照らしてくれている。



「あれ、小鳥じゃないよ。走ってる」

「あれはリスよ。しっぽが丸まっているでしょう」

「リス!かわいい!」



 ハルの背中、リアナの前に座る子供は、楽しそうな声をあげている。


 時折、山の中で小動物が姿を見せる様になった。

 あまり小動物などと縁がなかったのか、その姿を見つけると嬉しそうに声を上げ、一生懸命眺めている。

 その姿は、本当に微笑ましい。



「あれもリス!」

「あ、ちょっと。危ないわ」



 再び現れた先程とは別のリスにつられて、体が傾いた子供を落ちない様に支える。


 明るい空間に出たので、子供の怪我の様子や見た目をもう一度、目視で簡単に確認する。


 幸い、怪我の状態も、深いものや緊急性の高いものはないように見える。

 傷口から今も血が流れ続けているものも、見当たらない。


 しかし、全体的に、転けたときに出来たであろう土汚れが目立つ。


 一応見た目だけではなく、どこか痛いところがないか、子供の口から確認したい。



「あのね」

「ん?なに?」



 子供の名前を呼ぼうとして、不意に言葉に詰まった。


 そういえば、ハルの背に乗り、色々と会話をしてきたが、名前については聞いていなかった。

 


「ねぇ、名前を聞いてもいいかな?」

「なまえ?」

「そう。ママからはいつも、なんて呼ばれていたの?」

「わたしのかわいい子!」



 子供はこちらを振り向き、元気よく答えた。

 大変いい笑顔であるのだが、その答えがくるとは思わなかった。


 この子の母親にとっては、世界で一番、かわいい子であったのだろう。

 そのため、よくそのように話しかけていたことは良いことだ。


 母親に可愛がられて育てられていたことがよく伝わる、微笑ましい話である。

 


「私のかわいい子…」

「そう!」



 ふと、その呼び名で思い出したのは、小さな頃のハルのことである。


 今のハルは、霧が無事に晴れて、視界が良好になったことで、先程までよりは速度を早めて歩いている。


 相変わらず、いつもよりは静かに歩いているが、時折、こちらに耳を傾けて、会話に反応する余裕も出てきた。



「かわいい子、ね。素敵な呼び名ね」

「うん、気にいってる!」



 素敵な呼び名であり、昔のハルも気に入っていた呼び名である。


 まだ自分がこの子供と歳が変わらない頃、ハルとは別に、『かわいい子』という呼び方をしていた。


 ハルにだけ特別に言っていたわけではなく、自分が可愛いと思っていた動物に対しても呼びかけていたのだが、あの頃は他の動物は周りにいなかった。


 リアナが街で見かけた動物に対し、『かわいい子』と話しかけていた時、その横でハルは不思議そうな困ったような表情(かお)をしていたのを思い出した。



「ふふ」

「どうしたの?」

「気にしないで。素敵な記憶を思い出しただけだから」

「そっか。いいことだね」


 

 リアナの返事に、子供は楽しそうに笑う。

 だが、リアナが何に対して笑っているのかがわかったのか、ハルは耳を飛ばして、少し足音をたてて歩き始めた。

 素敵な思い出なのだから、許して欲しい。


 しかし、子供の名前がわからないままでは、親を探すにしても難儀しそうだ。

 街の詰め所に連れて行くとはいえ、そこでこの子の名前を言わなければならない。


 案外、その場には母親がおり、『かわいい子』で通じる可能性もあるが、実際に伝えるのは自分である。

 きっと、そう伝えても許してもらえるだろうが、周りの生温かい目を向けられることを考え、それは避けたい。



「名前。名前の教え方か…」



 もしかして、いつも母親に呼ばれ方を聞いたのが、問題だったのだろうか。

 だが、名前という単語を聞いて、いまいちピンと来ていない様子であった。


 もしくは、母親に呼ばれるのが、こちらで呼ばれている方が多かったために、自分の名前がわからない…とか?

 

……それも考えすぎか。


 まずは、名前というものがなにかわかりやすく、説明することができるといいのだけど。



「うーん…。ん?」



 そこで、ふと思い出した。

 そういえば、自分とハルの名前を、子供に教えていない。

 ここは自己紹介も兼ねて、先程とは別の聞き方にしてみるのもいいだろう。



「あのね。私の名前は、リアナっていうの。今、乗せてもらっているこの子は、ハルっていう名前よ」



 子供にハルの名前を教えた瞬間、少し揺れた。

 なにかつまずいてしまったのだろうか?

 しかし、何事もなく、ハルはおとなしく歩いている。


 もしかすると、自分で自己紹介をしたかったのかもしれない。それなら、少し悪いことをしてしまった。



「リアナとハル、覚えたよ!」



 子供は元気よく、自分達の名前を覚えてくれたようだ。


 最も大事な点である、名前がどういうものかどうかを、子供が理解したかはわからない。


 だが、ほんの少しの期待を込めて、もう一度、子供に名前を尋ねる。



「私もハルも、名前で呼ばれることが多いの。ママに、私のかわいい子以外で呼ばれていたのはある?」

「ちっちゃなかわいいこ!」



 これまた、先程の返答のときに見せた笑顔に負けず劣らず、大変素晴らしい笑顔をしている。


 これはもう、この子供から直接、名前を聞くのは難しいかもしれない。

 多分、他の方法で名前を聞こうとしても、似たような呼び方が返ってきそうだ。



「私のかわいい子とちっちゃなかわいい子、か」

「そうだよ!ママはそう呼んでた!」

「ふふ。素敵な名前ね」

「うん!そう呼ばれると、うれしい!」



 あまりの可愛さに抱きしめたくなるが、今は不安定なのでそれはできない。

 少しだけ恥ずかしさはあるが、この笑顔が見られるのならば、その呼び方がいいのだろう。



「ハル。この子のこと、かわいい子って呼ぼうと思うんだけど」

「それでいいんじゃない?あと、僕はかわいい子じゃなくて、かっこいい子だからね」

「ふふ、そうね。じゃあ、私達もかわいい子って呼んでもいい?」

「うん!たくさん呼んで!」



 嬉しそうに笑っている子供の頭を、リアナは優しく撫でながら尋ねる。



「かわいい子は、どこか痛いところはない?」

「うーん。大丈夫!」

「一番痛いってところは?」

「ないよ!」



 どこか特別、痛いところもないようだ。

 そのことに安堵から小さく息を吐く。



「じゃあ、街に着くまで、時間があるから色々話そう。かわいい子の好きな物は?」

「えっとねーーー」



 そこからは、お互いの好きな物や子供が話してくれる母親との思い出について会話を弾ませる。


 そのまま山を抜け、リアナとハル、そしてかわいい子は無事に街へ着いたのであった。



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