04. 迷子の男の子
一度聞こえたあの物音はそれ以降聞こえず、ふたりが発する物音しかしない。
周囲の状況を確認していたリアナは、あることに気付いた。
「今日の山、静かな気がする」
「僕もそう思う。なにもいないし、少し寂しいね」
普段の山は小鳥のさえずりが聞こえ、リスやウサギといった小動物が走り回っており、のどかな雰囲気である。
しかし、現在の山には生物の活動が一切感じられない。
そのことに、リアナは一抹の不安を覚える。
しかし、黙っているよりは、話している方が気が紛れるため、ハルとの雑談を再開する。
「今日の予定だと、到着したらまず、最初に挨拶よね。だとすれば、やっぱりワンピースの方がよかったかも」
「いつも通りならそうだろうね。でも、もしワンピースにしてたら、速度出すと羽ばたくでしょ。それは、さすがにやめた方がいいよ」
「うーん、そうね。速度が出ないときは、ワンピースで行こうと思うわ」
少し、沈黙が流れた。
次の話題を話そうと口を開きかけたとき、今度は、霧の向こうから、物音とは違うものがリアナの耳に聞こえた。
「…マ……。どこ……?」
リアナの耳に届いたものは、聞き逃してしまいそうなほどか弱く、か細いものであった。
しかし、聞き間違いでなければ、人間、しかも子供の声である。
もしかすると、先程の物音の正体だったのかもしれない。
そう仮定して、リアナはハルに声をかける。
「ハル。今、子供の声がしたの。もしかしたら、この霧のせいで迷子になったのかもしれないわ。保護したいのだけど、場所はわかる?」
「…え?…子供の…声?」
「えぇ。子供の声が、ちゃんと聞こえたわ」
「僕には、なにも聞こえてないけど…」
どうやら、ハルには聞こえなかったみたいだ。
それは珍しいことなのだが、周囲や自分の安全に気をつけてもらっているので、そこまで気が回らなかったのだろう。
「多分、あっちの方から聞こえた気がする。行ってみて」
「う〜ん。…わかったけど、勝手に降りないでね?」
「約束する」
ハルと約束を交わし、声が聞こえた方向へ行ってもらう。
こちらの方で間違いはないと思うのだが、視界が悪いため、どこにもその姿は見えない。
「ねぇ、迷子なの?出ておいで、街へ一緒に行こう」
リアナは少しだけ声を張り、周囲に話しかける。
たが、それに対して、一切なんの反応もない。
「おかしい…。ハルはなにか感じない?」
「なにも。全然だよ」
ハルは耳を澄ませて探してくれているが、どこにも気配を感じられないようだ。
「ねぇ。僕にはなにも聞こえなかったし、気配も感じないけど?」
「でも、私の耳には聞こえたから…」
「本当?空耳とかじゃない?」
「本当よ。子供の声だった」
「そっか。じゃあ、もしかすると幽霊かもね」
ハルの言葉で、リアナの体が固まる。
幽霊といった目に見えないものは苦手なので、本当にやめてほしい。
しかし、リアナはある事実を確かめるために、ご機嫌で周りを見ているハルに静かに尋ねる。
「……幽霊は話せる…の……?」
「幽霊も元は生きていたんだよ?話せるよ、きっと」
ハルは少し呆れた表情をしながら答えてくれたが、リアナはその回答に気が遠くなる。
一度、この世から去ったのだから、幽霊として戻ることなく、大人しくしていてほしい。
ましてや、話しかけようとしてこなくてもいい。
大丈夫、この世には幽霊は存在しない。
リアナはハルの温もりを感じながら、そう信じることにした。
・・・・・・・・・・
結局、リアナにしか聞こえなかったあの声は、それ以降一度たりとも聞こえることはなかった。
そのまま捜索を続けているのだが、ハルは弾んだ声を出している。
「リアナは幽霊ってどんな形をしていると思う?僕はね、人型だと思うんだけど」
「そう…」
「あ、でも、動物の形ってのも捨てがたいよね。そうすれば、言葉がわかる気がするし」
「え…わかるものなの…?」
「まぁ、多少は。でもさ、僕、実際、幽霊はいると思ってるんだよね。じゃなきゃ、夜中に聞こえるあの声に、納得はいかないし」
「声とは…?」
自分はそのような声を聞いたことがないのだが、どういうことなのだ。
これは、真剣に聞いてはいけない気がする。
意気揚々と話し続けているハルの話を横に受け流しつつ、前へ進んでいってもらう。
街の方角へ進むにつれて、霧に包まれた視界は少しずつ晴れ始める。
そのおかげで、周りの状況を徐々に確認できるようになってきた。
「視界は少し良くなったけど、まだ完全には晴なさそうね」
「そうだね。このまま歩いて行くけど、いい?」
「お願いします」
この霧がもし、各国を混乱の渦に巻き込んでいる、あの例の霧であるとするのならば、この道がどこまで続くかわからない。
それに例の霧であった場合、霧から無事に出られる保証もない。
だが、ハルがいれば大丈夫だろう。
そのまま安心して任せていたのだが、そのハルは、先程から落ち着きを見せず、段々と急ぎ足になっている。
それに、体の毛も膨らんで、しっぽも大きく揺らし始めた。
「どうしたの、ハル。焦ってるように見えるけど」
「なんだか急に、気味が悪く感じて。早く、ここから出たいよ」
「私も出たいけど、霧が晴れなければ難しそうだし…」
「それはわかってるよ。でも、なんだか背中がゾワゾワしちゃって…」
「ハルの気持ちもわかるけど。一度だけだとしても、子供の声が聞こえたから心配なの。もうちょっと、ね?」
もし本当に子供がいるなら、一人でとても心細いだろう。
なんとかハルの協力を得ようとするリアナの言葉に、ハルはプイッと顔を逸らした。
「このお人好し!」
どうやら、ハルを拗ねさせてしまったようだ。
自分を心配して言ってくれているのはわかるので、少し罪悪感を覚える。
それに、霧に入る前の山の中腹辺りからなら、遅くとも10分で街に到着する位置であったのに、霧に入ってから20分以上は経っていることを腕時計が示している。
このままでは打ち合わせどころか、仕事に遅れる可能性がある。
「そろそろ、切り上げたほうがいいかも…」
自分達が探すより、街の詰め所に寄って事情を話し、捜索してもらう方が早いかもしれない。
それに、ハルの機嫌が悪いままでは、大変よろしくない。
「ハル…」
「…………」
リアナ呼びかけに対し、ハルは耳を飛ばしただけで、こちらを振り向くことはない。
そのハルの様子に、リアナは目を伏せ、お菓子のレシピを頭の中で考え始めた。
ハルは機嫌を直すために、いつもお菓子を所望する。
最初は良かったのだ。
ハルが教えてくれた通りにお菓子を作り、喜んで食べてくれる姿を見るのも、仲直りの証として、はんぶんこにするのも自分は好きだった。
ただ、自分が成長するにつれて、お菓子の難易度も上がり、聞いたこともない名前のお菓子を所望するようになった。
そして、難易度が上がることに比例して、材料費も高くなり、財布が一気に軽くなった。
そのため、ハルの機嫌が悪くなることはできる限り避けたい。
それに、なによりもーーハルと仲良くできないのは寂しい。
「ごめんね、ハル。私、ハルとなら、なんでもできるって思っちゃって。でも、ハルは心配してくれてるんだよね。だから、もうわがままは言わない」
「…………それはずるいよ」
「え?」
先程まで機嫌が悪かったハルは、こちらを振り向き、少し困ったような表情で笑っている。
再び前を向くと、大きくため息をついた。
「はぁ〜。そういうところだよね。僕のご主人は、悪い人だ」
「どうしてそうなるの?」
「はいはい。いつかわかるといいね」
なんだか、適当にあしらわれている。
そのことに、少し納得できない。
ハルの背中で揺れながら、霧が少し晴れたことによって確認できる景色を見つめる。
山の中腹からの大体の道のりを考え、残りは半分くらいの所になってきているようだ。
そう考えたところで、背後で急に声が聞こえた。
「ママ…?」
先程聴いた声よりはっきりとした声が、リアナとハルの耳に届いた。
ハルと共に振り返ると、5歳ぐらいの男の子が不安そうに立っている。
灰色の髪に、暗い黄色の瞳。
この国ではかなり珍しい見た目なのだが、とりあえず出会えたことに、リアナは安堵する。
「あれは…」
「ほら、ハル。いたでしょう!今から行くからね!」
先程まで気配もなかったため、急に現れた気配に驚いたのだろう。
固まったまま動かないハルから飛び降り、怖がらせないように気をつけながら、子供の方へゆっくりと近付く。
今までは問題なかったが、これからはわからない。
陰るところには、獣の他に魔物も集まるとされている。
……もちろん、幽霊も。
そのため、可能であるならここを早く出たい。
「ママ!」
保護するために近付いていたが、子供が全速力で走ってきたため、急いで膝をつき抱き止めた。
ちなみに、自分にはまだ子供はいない。
恋人も、残念ながら、今まで縁がなかった。
きっと、山で迷子になったので、混乱しているのだろう。
「ママとここに来たの?どっちから来たかわかる?」
「ママじゃないの…?ぼくのママ、どこ?」
「とりあえず、山から出よう?そこにママがいるかもしれないよ?」
「じゃあ、行く!」
元気に反応してくれているが、体は傷だらけで、痛々しい。
転けたような怪我が多いが、獣にでも襲われて逃げたのだろうか。
怪我をして、ひとりで心細かったのに、本当に強い子だ。
街に着いたら、最初に仕事先でポーションをもらって、事情を話し、午前の仕事を休もう。
ポーションを飲ませた後は、一応、病院にも連れて行った方がいいかもしれない。
で、その後に、この子の親を探すために衛兵の詰め所に行けば、大丈夫なはず。
これからすることや今日の仕事の予定を立て直しつつ、頭の中で整理していく。
「抱き上げてもいい?」
「いいよ!」
許可が出たので、抱きついている子供を抱き上げ、ハルの元に戻る。
「あぁ…そう…?そんな…でも…」
ハルがなにか呟いているが、今はそんな暇はない。
今日の仕事は、三年前からの大事な約束である。
絶対に遅れてはならないし、仕事を始める前に、他の仲間と今日の予定を話し合いたい。
そして、自分がいない間にも、仕事を進めてもらわなければ。
事情を話せば、少しこの仕事から抜けることを許してくれるが、今日は自分が受けた仕事なのだ。
出来る限り、妥協したくない。
それに、自分が仕事を抜けるのを良い口実と捉えて、貸しという名の着せ替え人形になることは避けたい。
しかし、その着せ替え人形の時代を過ごしたことで、服装や化粧に対するセンスは磨かれた。
他にも、立ち振る舞いや食事マナー等を身につけることが出来たため、大いに役に立っている。
………感謝すべきことではあるのだが、学院の頃から変わらぬその趣味は、ぜひ遠慮したい。
「ハル、子供を保護したから、山から出よう。まず、仕事先によろしくね」
「あ…わかりました…。行きます…」
ハルの様子がまだおかしいが、今は子供の手当てが優先なので、仕事先への道を急いでもらいたい。
まだ晴れぬ霧の中を、ひとり増えた一行は、ゆっくりと歩み出した。




