38. 甘いお菓子と花束
お腹は膨れたのだが、やはり、最後は甘いもので締めたい。
しばらくは、体重計に乗るのは怖いが、今日ぐらいは良いだろう。
「最後に、甘いもの食べたいです。フーベルトは、甘いものはいけますか?」
「あぁ、甘いのも好きだ。やはり、最後には甘いものが食べたくなるな」
「じゃあ、そうしましょう」
スイーツが多く並ぶ屋台へ移動しながら、なにを食べるか考え、少し心が躍る。
「どれも美味しそうですけど、ここまで種類があると悩みますね。フーベルトは、なにか気になるものはありますか?」
「俺も同じだ。見知ったものもいいが、新しいものに挑戦したい気持ちもある。贅沢な悩みだな」
「それなら、今回は新しいものに挑戦しましょう。きっと、どれも美味しいはずです」
「そうだな。じゃあ、あれは?」
「いいですね。そうしましょう」
フーベルトが指差したのは、これまたリアナにとって見慣れない名前のお菓子である。
きっと、ハルであればなにかわかっただろうが、自分にはそれがなにかわからない。
しかし、過去のお菓子作りの経験から、焼き菓子ということはわかる。
「いらっしゃい!」
「ニつください」
屋台の主人である恰幅の良い男性に、ニ人分を注文する。
リアナは注文した分のお金を取り出し、屋台の主人に渡そうとするのだが、屋台の主人の横にいた女性に止められた。
「待って。恋人割で半額になるけど、どうする?」
「恋人割…」
恋人がいたことがないリアナでも、恋人割を過去に使ったことがある。
この国では、結婚や恋人は割と自由恋愛なので、誰と付き合っても祝福される。
女性同士でも通用するため、学院時代にクレアと使った。
恋人割は買い物もお得になり、その分のお金を別のお菓子を楽しめるので、なかなか便利な割引である。
しかし、今回はクレアではない。
「いえ、恋人では」
「では、それでお願いします」
リアナが断ろうとする言葉とフーベルトが恋人割を頼む言葉が被った。
驚いて隣を見るが、目が合ったフーベルトは優しくうなずかれた。
少し恥ずかしい気持ちもあるが、安く済むならそれは利点だ。
恋人割のおかげで、他のお菓子も食べられそうである。
次のお菓子をなににするか、心を躍らせるリアナの耳に、楽しそうな女性の声が聞こえる。
「じゃあ、証拠を見せておくれ」
「証拠ですか?」
リアナは少し戸惑って、言葉を繰り返す。
証拠と言われても、フーベルトとは恋人ではない。
恋人割で、いつから証拠を必要とするようになったのか。
リアナは記憶をさかのぼるが、クレアとの思い出の中に似たようなことはない。
「揃いのアクセサリーやなんかあるでしょ?」
そんなものはないし、今日初めて二人きりで出掛けた。
こればかりは、どうすることもできそうにない。
ここは潔く諦めて、お金を払うほかない。
他のお菓子は我慢することになりそうだが、致し方がないだろう。
今回は諦めようと伝えるべく、フーベルトを見ると、なぜかいい笑顔で、屋台に女性と話を進める。
「では、行動でも?」
「えぇ、ぜひ!」
フーベルトは短く屋台の女性と話すと、リアナと向き合う。
行動であれば揃いのものは無くとも、恋人だと証明できるかもしれないが、一体何をすればいいのだろう。
「リアナ、手を」
フーベルトに手を差し出され、リアナは特に深く考えず、指先をのせる。
もしかして、手をつなぐのだろうか。
恥ずかしい気持ちが強いが、それなら、恋人っぽい感じがする。
しかし、考えている途中であったリアナの手の甲に、フーベルトは顔を近付ける。
「フーベルトさん!」
実際には触れてはいないのだが、リアナは混乱して、少し大きな声が出た。
リアナは羞恥心から、耳元まで真っ赤に染まる。
「あら、ありがとね!いいもの見たわ!」
屋台の女性にとっては、いいものであるかもしれないが、リアナはあまりの恥ずかしさから、顔を上げることができない。
結局、そこでの代金はフーベルトに払われ、自分の分のお金を払えていない。
目当てのお菓子の入った袋を片手に持つフーベルトは、少し悪戯に成功した子供のように笑っている。
「すみません、許可なく」
「もう!フーベルトのことなんて知りません」
フーベルトは、特に悪びれた様子もなく謝ってくる。
寧ろ、楽しそうな表情をしているではないか。
リアナは更に拗ねると、フーベルトから顔を背ける。
フーベルトは食べやすいようにと包む紙をめくると、手に持つお菓子を近付けてくる。
それに気付き、リアナは少し睨んだのだが、フーベルトは優しく微笑んでいる。
「そう言わず。ほら、リアナ」
目の前にある焼き菓子は、比較的新しく作られたようで、まだ熱を持っているようだ。
その甘そうな香りにつられて、思わず一口食べてしまう。
「…美味しい」
「それはよかった」
「フィナンシェという名前なんですね。思ったよりふわふわの食感でしっとりしてて、なんだか優しい味がしますね」
「たしかに。結構、好きな味だ」
その美味しさで少し機嫌が直ったリアナは、お菓子を受け取ると、自分で食べ始める。
その後、追加でいくつかお菓子を食べることができ、リアナはすっかりご機嫌である。
お菓子を食べ終えると、再びフーベルトの服の袖を掴み、今度は花や雑貨の屋台を見てまわる。
「この屋台の物は、国内だとあまり見ないですね。民芸品でしょうか?」
「そうかもしれないな。国外だと、このような模様もあるのか」
「珍しい模様ですよね。でも、とても綺麗です」
「あぁ、美しい」
国外の民芸品の屋台なのか、見慣れないものが置いてある。
その中で、革で作られたニ匹の猫がセットになったキーホルダーがあり、なぜか気になり手に取る。
「ふふ。なんだかふたりに似てる」
黒と白の猫に、ハルとルカを思い出した。
同じ会場で、父と一緒にふたりも花祭りを楽しんでいるだろうか。
ふと、手に持つ猫の首元に、小さな金具があることに気付く。
「すみません。この金具はなんですか?」
「そこには小さな宝石を入れます。ご希望の色を言ってくださいね」
この金具には、好きな色の小さな宝石を選んで入れるようだ。
ふと、これをフーベルトに片方を渡せば、あのような行動をされなくても、恋人割の証明になるのではないかと考えつく。
それに、酔っ払いから助けてもらったそのお礼もしていない。
これは、贈り物をする良い機会だ。
そう考えると、先程まで近くで一緒に商品を見ていたフーベルトの様子をこっそり確認する。
フーベルトは隣の屋台で店主と、なにやら話して込んでいる。
買うなら、今だ。
「黒猫には紫を、白猫には赤の宝石をお願いします」
「贈り物でしょうか?それとも、そのまま渡されますか?」
「黒猫の方をプレゼント用に」
「畏まりました。少々お待ちください」
屋台の主人は、リアナの様子から誰に渡すのかわかってくれたのか、声の大きさを抑えてくれている。
赤いリボンのついたかわいい袋と白猫の入る袋を受け取り、リアナは会釈して、フーベルトの買い物が終わるのを待つ。
「暗くなってきましたね」
「そうだな。そろそろ、帰ろう」
屋台やお祭りは、夜遅くまでやっており、これからは大人の恋人たちの時間だ。
しかし、祭りを満喫できたので、もう十分だ。
周囲が暗くなり始めたので、乗合馬車に乗り、家に帰ることにする。
「フーベルト。渡したいものが…あります」
「なんだ?」
乗合馬車から降ろしてもらい、家へ向かう道中、リアナは勇気を出して、フーベルトに伝える。
そして、鞄に入れていたリボンのついたかわいい袋をフーベルトに渡す。
「これは…いいのか?」
「えっと…今日のお礼に。気に入りませんでしたか?」
「いや、嬉しい。ありがとう、リアナ」
袋から取り出したキーホルダーを見て、少し固まったフーベルトに不安になったが、嬉しそうに笑う表情に安心する。
勇気を出して、渡してよかった。
フーベルトは、受け取ったものを大切に袋に戻し、自分の鞄に仕舞う。
その代わり、別の袋を取り出すと、リアナへ差し出した。
「では、俺からも。今日のお礼だ。受け取ってくれるか?」
袋を受け取り、中身を覗くと、紫色の何かが入っている。
「藤の花…?」
中身を取り出し指先で持ち上げると、金具に小さな藤の花が付いている。
そういえば、花によく似た、刺繍でできた作品が並んでいる屋台があった。
その時に、この藤の花があまりに細かく作られていることに感動し、じっくり見てしまった。
その時の作品であると思うのだが、フーベルトに見られていたらしい。
「リアナに似合うと思って」
少し視線をずらして、フーベルトははにかむ。
その言葉に感謝し、優しく手で包み込む。
きっと、一生の大切な思い出になるだろう。
「ありがとうございます。大切に使いますね」
「そうしてくれると嬉しい」
リアナは家が見える場所まで着くと、フーベルトと別れる時間になる。
一日中、花祭りを楽しみ、十分満足したはずなのだが、少し名残惜しい。
しかし、そうはいってられない。
リアナはフーベルトの袖を離すと、笑顔で、今日の感謝を伝える。
「今日はありがとうございました。本当に、楽しかったです」
「俺も。リアナと一緒に行けて、楽しかった」
フーベルトは嬉しそうに笑い、少し緊張した面持ちになる。
そして、なにかをリアナに差し出す。
「スズラン?」
いつの間に買ったかわからないが、スズランの小さな花束が、リアナの前にある。
花束を差し出したフーベルトは、少し照れて笑っている。
「リアナが好きだと言っていたから。受け取ってくれるか?」
「もちろんです!ありがとうございます、フーベルト」
商会に戻る途中の他愛のない雑談だったのだが、フーベルトは覚えていてくれた。
正直、嬉しい。
リアナはスズランを受け取り、花を眺める。
やはり、この花はかわいい。
今度、フーベルトが描くデザインに入れてもらえたら、どれほど美しくなるのだろう。
リアナが楽しそうに想像を膨らませていると、フーベルトは幸せそうな表情で、静かに呟く。
「喜んでもらえてよかったよ」
リアナは想像の世界にいて聞こえてないが、フーベルトは満足そうである。
「じゃあまた明日、商会で」
「あぁ、商会で」
リアナが無事に敷地の門へ入るまで、フーベルトは見守ってくれている。
自分が敷地に入ったのを確認し、フーベルトは手を振って帰路につく。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送ったリアナは、幸せな気持ちで家へ入った。
「リアナ、おかえり!」
「おかえり〜」
「ただいま。お父さんは?」
家に入り、机の上を見ると、ハルとルカが屋台で買ったであろうお菓子を並べて、眺めて楽しんでいる。
そこに父の姿がないので、尋ねると奥に部屋から出てくる。
「おかえり、リアナ。楽しか……」
父の言葉は不自然に止まり、疑問に思う。
しかし、せっかく貰ったこのスズランを、少しでも長く楽しみたい。
リアナは物置きに仕舞っていた花瓶を取り出すと、そこに花束を生ける。
「その花、誰からもらった」
「え?」
花瓶を机に置くと同時に、ダリアスはリアナの両肩をしっかりと手を置き、問いただす。
しかし、父の少し据わった目を見たリアナは、その相手が言い出しにくくて、目を伏せる。
「師匠からだよね!」
リアナの沈黙の代わり、ルカの楽しそうな声で相手の名前を出した。
急いでハルがルカの口を前足で閉じていたが、それも手遅れである。
リアナは、恐る恐る父の顔を覗く。
「ほう。いい度胸だな」
とても楽しそうな笑顔なのに、目は笑っていない。
しかし、花束ぐらいでどうしてその表情になるのかが、自分にはわからない。
花をもらったことで、一体何があるというのだろうか?
ダリアスは外行き用の上着を手に取ると、今は羽織って出る準備をしている。
「お父さんはどうしたの?」
「…リアナは知らないもんね。とりあえず、ダリアスを止めるよ」
ハルにやれやれといった感じでため息をつかれ、なんだか納得できない。
しかし、ハルの言う通り、父が出て行こうとするのを止める。
結局止められなかった父は、家を飛び出して行った。
どこに行ったのかがわからないが、すぐに帰ってくるだろう。
リアナはそう考えると、お風呂の用意をする。
父はすぐに帰ってきたのだが、大きな花束を抱えている。
「リアナ、よく見ろ。こちらの花は先程よりも大きく、花の種類も多い。色鮮やかで、見事だろう」
「もう、お父さん。なにを張り合っているの」
「受け取ってくれるよな、我が娘よ」
「当たり前じゃない。ありがとう、お父さん」
フーベルトに対抗したのか、大きな花束をリアナに差し出す。
それを喜んで受け取り、新しい花瓶を出して生ける。
「お父さん!」
しかし、フーベルトから貰った花を、どこかへ持っていこうとする父に気付き、さすがに怒った。
花祭りの期間、相手に花を渡し、それを受け取ってもらえると、末長く一緒にいれるというジンクスがある。
そのため、恋人になりたい相手へ渡すのが祭りでは流行っているのだが、それをリアナが知るのは、まだ遠い未来の話である。




