35. 民家の修繕と花の香り
「お待たせいたしました。フォルスター商会のリアナです」
「はーい。今行くよ」
家の玄関の扉を叩き、扉越しでも聞き取れるように少し大きな声で話しかける。
扉の向こうから、遠くの方で住民の声が聞こえ、コツ、コツという音が近付いてくる。
「本日はよろしくお願いします。私がリアナです」
「私はフーベルトと言います」
「丁寧にどうも。私は、ザラ。よろしくお願いします」
扉を開けた先には、杖をついて立っている優しい雰囲気のお婆さんがいた。
リアナとフーベルトは自己紹介をすると、家の中へ入らせてもらう。
「今回の依頼は、建具から隙間風が入るという相談でしたね。どちらの場所でしょうか?」
「寝室です。窓は閉めているんだけど、風が入ってくるんだよ」
「では、部屋に案内していただきたいです」
「わかりました」
部屋に案内してもらい、問題の箇所をフーベルトに確認してもらう。
「フーベルトさん、どうですか?」
「そうですね。これなら、今日中に直せそうです」
「では、お願いしてもいいかい?隙間から風が入ると、膝が痛くてね」
「お任せください」
建具の状態はそんなにひどくなく、このまま直せそうなので、フーベルトには作業してもらう。
その間、お婆さんの話を聞きながら、リアナは他にも困り事はないか聞き、できる範囲は手伝う。
「本当に、ありがとね」
「いえ。お気になさらず」
膝が痛かったということは、あまり歩くこともなく、家事も溜まっているだろう。
しかし、ここに住むには、お婆さん一人で頼れる人はいないと言う。
そのため、こういった仕事の時は、誰か手伝える人を追加で連れて行くことになっている。
仕事で結果を出すことも大事だが、こういった人助けも仕事につながる。
フォルスター商会が設立した当初は、こういった庶民に支えられて仕事ができていた。
そのことを忘れぬように、各自しっかりと胸に刻んで、仕事をしている。
「終わりました。他には、何かありますか?」
「いや、ないよ。ありがとう」
手伝えることがなくなってからは、お婆さんの話し相手になり、フーベルトがなんの作業をしているのかを教えたり、話を聞かせてもらう。
「いや、しかし、あんたは器用に作業をするね」
「ありがとうございます」
フーベルトは、仕事を褒められて少し嬉しそうな笑みを浮かべている。
フーベルトが褒められたことは、同じ商会に所属する者として、とても嬉しい。
「リアナさん、と言ったね。ここまで親切にしてくれるとは思わなかったよ、ありがとね」
「いえ、お役に立ててよかったです」
感謝されたことで、リアナは顔が緩みすぎないように気を付ける。
建築士は実際に作業をするより、打ち合わせや責任者としていることが多いため、あまり感謝されることはない。
そのため、緩みそうになる頬に気をつける。
しばらくすると、フーベルトは終わったのか、手を止めた。
「どうでしょうか?なにか、気になることはありますか?」
「いや、ありがとね。これでもう膝は痛くならないね」
「それは良かったです。お任せいただき、ありがとうございます」
フーベルトの作業が完了し、依頼主であるお婆さんにも建具の隙間風を確認してもらう。
お婆さんが嬉しそうに笑うその表情に、リアナも嬉しくなる。
フーベルトは作業の完了を確認し、作業した場所とその周辺の掃除をし、家を出る準備をする。
「それでは、これで失礼します」
「また、なにかあったら頼むよ」
リアナとフーベルトが頭を下げて家から出ると、外はもう夕方になっていた。
仕事の時間は、もうすぐで終わり。
学生や仕事を終えた人は、そろそろ帰路に着く時間である。
「今日だけで、直せてよかったですね」
「そうですね。寒さが関節にくると言っていましたし」
「これで少しは和らぐといいのですが」
フーベルトと仕事の話をしながら、商会への道をゆっくり歩いて戻る。
ふと、鼻を掠めた花の香りで周囲の様子に気付き、リアナは笑みが溢れる。
「花で街が賑わってきましたね」
「そろそろ近いですからね。用意が忙しそうです」
花祭りが今週末に迫り、至る所で花の設置が進められている。
そのため、いつもの街に比べて、少し賑やかだ。
花祭り当日には、街はいまよりも花で溢れかえり、美しい景色になる。
今から、とても楽しみである。
花を見ながら歩いているリアナに、フーベルトは尋ねる。
「花といえば、リアナさんは好きな花はありますか?やはり、藤の花ですかね?」
「藤の花は特別ですから。母の色ですし」
好きな花と言われて最初に浮かぶのは、鮮やかな藤色の髪をした母の姿だ。
その母の髪色に近い藤の花は、ダリアスもリアナも一番好きな花である。
「他に、好きな花はありますか?」
「そうですね…。他に好きと言えば、スズランですかね。花の形がかわいいです」
「確かに、スズランは独特ですね」
藤の花以外に好きな花と言われれば、スズランである。
あの鈴のような小さな花がたくさん付いているのは、いつ見てもかわいらしい。
藤の花の話で、昼にルカと話したことを思い出した。
「そういえば、今日、フーベルトさんに子供の頃に描いてもらった絵の話になったのですけど」
「あれですか?リアナさん、まだ持っているのですか?」
「はい、大切に保管しています」
「それは…ありがとうございます」
リアナの話に、フーベルトは少し照れたように頬をかく。
子供の頃にもらったものではあるが、あれはフーベルトが描いたもの。
なので、許可を得てルカには見せたい。
「ルカが見たいと言っているんですけど、見せてもいいですか?」
「あれをですか?!さすがに、描き直させてください。今の方が、上手く描けますから!」
「私は、とても嬉しかったですよ」
あの頃、フーベルトが描いてくれたあの絵は、リアナにとっては一生の宝物である。
描き直さなくても、十分綺麗に描けていたと思うのだが、フーベルトは難色を示す。
「それでもです。今度、描き直したものを渡しますから。ルカさんには、それを見せてください」
「では、楽しみにしています」
フーベルトに絵を描いてもらえることに少し心が躍り、嬉しくて声が大きくなりそうになるが、なんとか耐える。
いつ、描いてもらえるかわからないが、今から楽しみでしょうがない。
商会に戻り、リアナは今日の仕事の書類を作るためにペンを動かす。
少しするとフーベルトは書き終えたのか、リアナが書き上げるのを横で待つ。
リアナはフーベルトから受け取った紙の束を、自分の書いた紙束とを一つにまとめた。
そして今まとめたものと一緒に、午前中にまとめたクレアの別荘宅の書類をダリアスの机の上に提出する。
「これで、以上ですかね」
「そうですね。では帰りましょうか」
リアナは、ふたりに仕事が終わったことを伝える。
すると、ルカが一枚の紙を持ってリアナの元へ来た。
「リアナ、ハル描けた!」
「まぁ、ありがとう」
「ルカさん、前より上手になりましたね」
ルカの描いた絵は、最初に描いたものよりも上達しており、ハルの生き生きとした感じが伝わってくる。
そして、柔らかそうなほっぺたも。
ルカは、リアナとフーベルトに褒められたことが嬉しくて、ハルに顔を埋めて恥ずかしがっている。
「では、ルカさん、先に出ていましょうか」
「うん!ほら、ハル!」
「はいはい」
リアナが絵を持ってソワソワしているのを確認したフーベルトはふたりを誘い、共に部屋を先に出て行く。
そのフーベルトに心の中で感謝し、ルカから貰ったハルの絵を一度指でなぞる。
フーベルトとふたりが先に部屋を出たのをしっかりと確認すると、自分の作業机の下にある箱を取り出し、蓋を開けた。
その中にルカから貰った紙をしまうと、一度箱を抱きしめる。
「リアナ、帰るよ〜」
「待って、今行く!」
ハルの声でリアナは箱を元の場所へ戻し、作業をしている他の人に挨拶をして部屋を出る。
「では、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした。気をつけて帰ってくださいね」
「師匠、また明日!」
「はい。また明日です」
商会を出た後は、フーベルトと別れ、ふたりと一緒にお店で食料を買い、家に帰る。
お風呂に入った後は、父の帰りを待ち、美味しいご飯を一緒に食べて、食後のお茶の時間を楽しんだ後、寝るために部屋に戻る。
サイドテーブルに置いている卓上ランプに光を灯し、ルカを寝かしつける。
ふたりの寝息を確認すると、リアナは自分にベッドの下にある古びた箱を取り出す。
その中から一枚の絵を取り出し、指先で優しく撫でる。
「ふふ。これも、とても素敵だと思うけど。新しいのも、楽しみ」
リアナは静かに元の場所に戻すと、幸せな心地のまま、夢の世界に飛び立った。




