17. ハルの活躍
中庭にある木陰に敷物を敷き、ハルとルカと並んで、持ってきていたサンドウィッチを食べる。
午前中に見た職人達の仕事ぶりを熱弁するルカの会話に相槌を打ちながら、リアナも少し休憩する。
休憩時間が僅かになったところで、リアナは午後の予定を決めるために、リックの元へ向かった。
「リックさん。今、いいですか?」
「あぁ、大丈夫。午後の予定だね」
「はい。私は、建具の職人について回ろうと思います」
「では、私は床の職人に。無理はだめだよ」
「わかっています。なにかあったら、頼りますね」
「よろしい」
リックは笑いながらリアナの頭を撫でて、屋敷の中へ移動していく。
再び髪を整えながら、リアナはふたりを迎えに行き、屋敷の前で待っていたフーベルトと合流する。
「フーベルト、いまからはぼくがいるよ!」
「ありがとうございます、ルカさん。頼もしいですね」
「たのもしい…!」
頼もしいと言われたことが嬉しいのか、ご機嫌でハルの背中に乗っている。
その様子に微笑みながら顔を上げると、フーベルトと目が合った。
「他の職人達には、朝の段階で全て指示を出しているため、もう作業中です。午後から窓の建具の調整に入れるように、午前中に窓を全て外してあります」
「そうですか。ルイゼさん達の施工は済んでいますので、気をつけていただけたらと思います。もし傷がついた場合は報告を。私が直します」
「そうならないようにしますが、もしそうなった場合は頼みます」
職人達の確認をしながら、二階へ上がり、まっすぐと廊下を歩いていく。
一番奥にある扉の前に立ち、フーベルトは手を当てた。
「ここが、依頼された扉ですね」
「そうです。お願いします」
リアナの声に反応し、フーベルトは道具を用意する。
その横、ルカは不思議そうに扉を見ている。
「このへやは?なにがあるの?」
「ここはねー。中におば」
「ハルの言うことは聞かなくていいわ。なにがあるかはわからないけど、クレアが子供の頃に秘密の部屋として使っていたって聞いたわ」
「ひみつのへや!」
秘密の部屋を聞き、ルカはキラキラした目で扉を見ている。
それを見ながら、ハルのほっぺを横に引っ張りながら、声を潜めて会話をする。
「いふぁい…。ひふぉいよ〜」
「痛くもないし、ひどくもないわ。ハルが変なことを言おうとするからでしょ」
「ちぇ〜。冗談じゃんか〜」
リアナが手を離すと、ハルはほっぺを両前足で揉んでいる。
その横で、満面の笑みのルカは、弾んだ声を出す。
「ぼく、へやのなか、みてみたい!」
「それは少し待ってくれる?今からフーベルトさんが開けてくれるから」
「いまはあかないの?」
「そうね。昔は開いてたんだけど、ある日突然、開かなくなったらしいわ」
ここに住んでいた時はよく使っていたが、王都に戻ってからは長期休暇の時にしか使用していなかった。
そのため、気付いたら開かなくなったそうだ。
開かなくて困ることはないのだが、クレアの思い出が詰まっているため、開けて欲しいと今回依頼された。
「突然開かなくなった場合、ドアノブに問題があるか、扉を取り付けている金具に問題がありそうですね。では、開けてみましょう」
「フーベルト、がんばって!ぼく、たのしみにしてる!」
「はい、わかりました。リアナさんと一緒に離れていてくださいね、ルカさん」
「わかった!」
フーベルトは道具を使いながら試行錯誤しているが、一向に開く気配がない。
調整等ではなく、扉に体をぶつけて少しでも動かそうとするが、変化は見られない。
「これは調整でどうにかなりそうにはなさそうです。なので、この扉の一部を壊してもいいですか?」
「その場合、扉の再利用はできますか?扉の注文までは受けていませんので」
「大丈夫です。綺麗に直せます」
フーベルトがいうのならば、問題はなさそうだ。
「なら、任せます」
「ありがとうございます。では、専用の道具を取りに行ってきますね」
「わかりました。待っています」
フーベルトが屋敷の外へ向かうのを見送り、ルカと共に扉の近くで待機する。
「ぼくも、フーベルトをてつだう!」
「そう。無理はしないでね」
自分もなにかしたくなったのか、ルカも扉を開けようと引っ張っている。
フーベルトがどれだけやっても、動かなかったのだ。
ルカがなにかしても、動くことはないだろう。
「あれ?」
そんなリアナの楽観的な考えとは裏腹に、扉はゆっくりとルカの方へ倒れ始めた。
なんで、倒れ始めたのか。
フーベルトがなにをやっても動かなかったのに、ルカが少し引っ張っただけで動くなんて。
このままでは、ルカが扉に潰されてしまう。
リアナは風魔法で速度を上げ、一気に移動する。
「ごめん!」
扉を背にし、ルカを少し強引に前に突き飛ばした。
ハルが受け止めてくれたので怪我はなさそうだが、そのふたりの表情を見て気付く。
今度は、自分が危ないのではないのだろうか。
「リアナ!」
「ルカ、来ないで!」
こちらに来るルカを止めるため、少し語気を強めた。
それに対して、ルカは固まってくれた。
倒れてくることは頭ではわかっているのに、腰が抜けたのか、体が動かない。
頼りの魔法も上手く発動せず、この窮地から自力で脱することは出来なさそうだ。
もうじき来る痛みに耐えるため、腕で頭を守り、ぎゅっと強く目を閉じた。
扉が倒れるとともに、大きな音が屋敷内を響き渡った。
「リアナ、無事!?」
いつまで経っても重さや痛みはなく、すぐ近くにハルの声が聞こえた気がする。
目を開けると、ゆっくりと頭を守っていた腕を下ろした。
そして、首を左右に動かして周りを確認すると、自分の周囲や廊下には、なにかが木っ端微塵になって散らばっている。
何が起きたのか、まだ理解が追いつかないリアナは、放心状態のまま固まった。
「リアナ!なにがありましたの!」
突然の音に驚き、部屋を出て走ってきたのだろう。
クレアは少し髪が乱れ、息が上がっている。
リアナの周囲の状況をみて、混乱しているようだ。
「リアナちゃん、怪我はない?説明はできる?」
「リアナ嬢、この破片の山は?」
リックはリアナの前に片膝をつき、視線を合わせて、現状を確認しようとしている。
屋敷内とは言っても、離れたところにいたであろうリックとオリバーは、作業を切り上げてきてくれたらしい。
「リアナさん、無事ですか!」
屋敷の外へ道具を取りに行っていたフーベルトは、かなり無理して走ってきたのだろう。
息が上がって少し苦しそうにしており、リアナの現状を目の当たりにして顔色も悪くなっている。
「リアナ…。ごめんなさい……」
ルカが勢いよく抱きついたことで、リアナの頭は正常に動き出す。
「ほんとうに…ごめんなさい…。きらわないで……」
悲しそうに、弱々しく言葉を口にしているルカに気づき、しっかりと抱き締め返した。
「大丈夫よ。ルカ、ごめんね。少し、キツく言っちゃったわね。絶対に嫌いになったりしないわ」
「ほんと…?」
「えぇ、大好きよ。ルカは怪我はない?」
ずっと黙り込んでいたリアナの声が聞けたルカは、安心からか涙が頬を一滴流れる。
そこから、大粒の涙が留め度もなく雨のようにポロポロ落ちていく。
「うぅ…。けが、ない…。リアナ……」
「よしよし。もう、泣かないで」
ルカをさらにしっかり抱きしめて、あやしながら背中を優しくポンポンと叩く。
自分の隣、守ってくれたであろうハルに、リアナは微笑んだ。
「ハル、ありがとう。本当に助かった。本当に…」
「バカバカバカ!リアナのバカ!怪我したらどうするの!そのために僕がいるんでしょ!」
「ごめんね。咄嗟に体が動いちゃって。ハルがいてくれて本当によかった」
ハルのやわらかい肉球で叩かれながら、説教を受ける。
怒りは納まったのか、不機嫌になったのか見当がつかないが、ハルは一旦落ち着いてくれたようだ。
そのため、リアナは集まってきてくれた人達の方へ向く。
「お騒がせして申し訳ありません」
「いや、いいんだ。リアナちゃん。なにがあったか話せるかい?」
「はい。まず、この扉を開けようとしていたフーベルトを手伝おうと、ルカが扉を引っ張っていたら、急に倒れてきまして。ルカを助けたのはいいんですが、今度私が動けなくなり、ハルが自分を助けるために扉を破壊しました。本当に申し訳ありません」
ルカを抱きしめたまま、リアナは頭を下げる。
それに対して、フーベルトは息を小さく吐いた。
「…すみません。私が離れている間にこのようなことになるとは…」
「こちらこそすみません。再利用できる扉が無くなってしまって…」
「いえ、それはどうにかします。それよりも、リアナさんが無事でよかったです…」
リアナの説明にまだ顔色のすぐれないフーベルトは、少し落ち込んでいるようだ。
しかし、今回のことは自分の甘い考えが招いた。
責任は自分にある。
「リアナが無事で本当によかった。ここの扉はもう随分と開かないままだったの。諦めていたのを直してもらうように頼んだこちらが悪かったわ」
「謝らないで、クレア。考えが甘かった私が悪いの。それより、扉が木っ端微塵になってしまって申し訳ないわ…」
少し気まずそうにしているクレアを抱きしめてあげたいのだが、今は難しい。
既製品になるが、扉を急遽調達しなければーーーそう頭の中で考えていると、クレアから提案される。
「では、木製の木彫り細工をしてある扉を追加になるのだけど。頼んでもいいかしら」
「ええ、もちろん。フーベルトさんの彫刻は繊細で美しいの。だから、期待しておいて」
「ご希望のデザインがありましたら、なんでもお答えします」
「では、後でメイドに届けさせます。デザインは全て、お任せでいいかしら」
「畏まりました」
扉の件は、どうにかなりそうだ。
クレアはリアナの様子を心配そうに見ていたが、メイドが呼びに来たため、部屋に戻っていった。
まずは、自分の周り散らばる扉であった木片を掃除しなければ。
立ち上がろうとして、リアナの体は思い通りに動かなかった。
「リアナちゃん、ちょっと」
思いの外、近くにいたリックに声をかけられ、驚いて動きが止まる。
しかし、目が合ったリックは心配そうな目つきをしていた。
「本当に怪我はない?擦り傷でもなんでもだよ」
「大丈夫です。ハルが守ってくれましたから」
「本当に?リアナちゃんは我慢して黙ってることが多いからね。あんまり信用ならないよ。あ、ほら、こことかは?」
「平気ですよ。ふふ、今のはただ、撫でたかっただけですね」
「あぁ、ちょっとね」
髪をぐしゃぐしゃにしながら、いつもより強く撫でるリックに、リアナは笑う。
それに対して、リックはリアナの髪を整えながら、安心したような笑みを浮かべる。
「やっと、笑ったね。じゃあ最後に、少し手を出して」
「手ですか?」
リアナはルカを抱きしめていた手を緩め、リックに素直に左手を差し出す。
リックは差し出された左手を優しく両手で包み込むと、リアナにだけ聞こえるような小さな声で囁いた。
「大丈夫、リアナちゃん。よく頑張りました」
気付かぬ内に、恐怖を感じていたのだろう。
リックの手に優しく包み込まれたことで、落ち着きを取り戻し、手の震えも止まった。
「リックさん、ありがとう」
小さくお礼を言ったリアナの言葉に、リックは笑うと立ち上がる。
その代わり、心配そうな目をしているオリバーが、しゃがみこんだ。
「リアナ嬢、本当に怪我はないか?」
「無いです。すみません、心配かけて」
「無事ならいい。無理はするなよ?何かあれば、リックにな」
「ありがとうございます」
念を押され、苦笑いをしてしまう。
リアナが感謝を伝えると、二人はその場から去っていった。
リアナの正面、フーベルトは片膝をついて、視線を合わせる。
その表情は辛そうに歪められていたが、今は少し安堵しているのが見てとれる。
「リアナさん、無事でよかったです。本当に、怪我はどこにもないですか?」
「はい。みなさん心配性ですね。ハルがいれば、私が怪我することはないですから」
「たしかにそうかもしれませんね。ハルさん、ありがとうございます」
「…別に〜。当たり前のことをしただけだし…」
ハルはそういうと、顔を逸らした。
それに微笑みながらフーベルトは立ち上がると、周囲を確認する。
「まずは、掃除が必要ですね。枠の調整もこのまま行うので、少し休んできてください」
「しかし、掃除も結構大変だと…」
「これぐらい、すぐ終わりますよ。それに…ルカさんもハルさんも疲れているでしょうから。少しだけでも休んでください。ここが終わったら、そちらに向かいますから」
抱きついたままであるルカを見ると、泣き疲れて寝てしまっているようだ。
フーベルトの言葉に甘え、リアナはルカを抱き上げて、立ちあがろうとして固まる。
「あの…フーベルトさん。お願いがあるのですが…」
「なんでしょうか?もしかして、どこか痛めましたか?」
「いえ、ちょっと足が痺れているみたいで。立ち上がれないので、ルカをお願いしてもいいですか?」
「そんなことでいいのなら」
変な形で座り込んだままルカを乗せたことで、血流が悪くなったようだ。
フーベルトはルカを抱き上げると、ハルの背中に乗せてくれた。
そして、こちらに遠慮がちに、手を差し出してくれる。
「嫌かもしれませんが、私の手を掴んでください。立ち上がるのに、手が必要でしょう」
「大丈夫です。これ以上、迷惑はかけられません…」
「しかし、このまま座り込んでいるよりは、ましだと思うのですが…」
たしかに、そうかもしれない。
周りに散らばる破片の掃除もだが、ここに自分が座り込んだままだと、邪魔になってしまう。
リアナは少し勇気を出すと、フーベルトの手を掴み、立ち上がった。
「リアナさん?」
「あ、いえ。ありがとうございました」
「痺れはどうですか?念の為、中庭まで送りましょうか?」
「大丈夫です!私、歩けますから!」
フーベルトの手を掴んだ自分の手を見たまま固まっていたら、心配させてしまったようだ。
異性の友人はいたが、恋人などできたこともなければ、告白されたこともない。
そんな自分にとって、異性に触れること自体、なかなかハードルが高い。
だが、フーベルトはなにも気にしていないのだ。
平常心を保たなければ。
「そうですか、よかったです。では、後で迎えに行きますね」
「はい。お願いします」
頭を下げ、早足でその場から中庭に移動する。
中庭に出ると、休憩スペースのクッションの上にルカを寝かせ、ハルと並んで座った。
「ありがとう、ハル」
「…別に。無事ならいいんじゃない…?」
「心配させてごめんね。守ってくれてありがとう」
まだ怒っているのか、ハルは口数も少なく、黙っている。
これは当分、許してもらえないかもしれない。
少し寂しさで顔を歪ませるリアナを見たハルは、静かに話し始める。
「このお礼は、なかなか高くつくよ。…覚えといてね」
「任せて、ハル。なんでも作るから!」
「約束だからね…!」
ハルと約束をし、リアナは嬉しくてハルを抱きしめる。
その後、フーベルトは作業が終わったのか、約束通り迎えに来てくれた。
ハルにルカを頼み、リアナはフーベルトと共に、建具の職人の確認をする。
ちなみに、ハルの言っていた高いお礼となるお菓子の難易度は、過去一番の高さだった。




