01. 聖獣に愛された子
山には一人で入ってはいけない。
その約束を破り、黒髪の少女は一歩踏み出した。
「おとーさんのうそつき」
そう呟いた少女は、頬から落ちる涙を拭うことなく、どんどん山に入っていく。
「なおるって、言ったのに。元気になったら、おかーさんが抱きしめてくれるって」
大好きなおかーさんは、ずっと風邪をひいていた。
元気になれば、そばにいてもいいっておとーさんは約束してくれた。
それなのに、そのおかーさんは眠ったまま、起きなくなってしまった。
「おかーさんのこと、起こさなきゃ」
この世界のどこかに、なんでも叶えてくれる聖獣がいる。
昔、おかーさんから聞いた。
真っ白で美しい姿をしていて、会える人は限られていると。
「きっと、その聖獣に会えたら、おかーさんも起きるはず」
おかーさんを起こすために、聖獣に会いたい。
その気持ちだけで、両親と交わした約束を破って、山に入ることを決意した。
「ふぅ……。つ、つかれた。少しきゅうけい…」
しかし、手足も短く、5歳になったばかりの少女には、山を登り続けるのは困難だった。
その場に座り込み、少し休憩していると、目の前に一匹のウサギが現れる。
「ウサギさんだ。かわいい」
「あれ?どうして人の子がいるの?」
「え?」
今、目の前のウサギが喋った気がする。
その驚きから紫の瞳からこぼれ落ちていた涙は止まり、少女はゆっくりと周囲を見回す。
だが、他に人間の姿はなく、ウサギと自分のふたりきり。
再びウサギを見ると、とても驚いた様子だった。
「言葉が…わかるの?」
「たぶん…」
「えー!じゃあ、ここで待ってて。友達、連れてくるから」
「あ、うん」
ウサギは飛び上がると、一瞬で姿を消した。
「消えた…」
先程までウサギがいた場所には、もうなにもいない。
もしかして、転移魔法というものだろうか。
おとーさんの聖獣が消える時とよく似ている気がする。
「あのウサギさん、聖獣なんだ。でも、どれくらいでかえってくるんだろう」
それに、友達を連れてくると言っていた。
一体どんな聖獣を連れてくるのだろう?
少しその場で待っていると、ウサギが白いもふもふを連れて戻ってきた。
「この子が話せた子?本当に?」
「本当なの。ほら、なにか話しかけてみて!」
ウサギと共に現れたのは、白い犬。
ふわふわな毛並みは、触ったらきっと気持ちよさそうだ。
「えー。じゃあ、こんにちは。僕の好物は干し肉です。君の好きなものは?」
「こんにちは。えっと、シュークリームかな」
「ほら、やっぱり違う……。えっ!わかってるーっ!?」
「ふふ」
目を見開いて驚いている犬の姿に、少女はつい笑ってしまう。
「え、じゃあ、この子が…?」
「そうみたい。私が案内するから、先に伝えてきて」
「わかった!」
目の前でふたりは会話をすると、犬が姿を消した。
しかし、案内とはどういうことだろう?
「ねぇ、名前は?」
「リアナ。ウサギさんは?」
「私はウサギさんでいいよ。さて、リアナはここで、なにをしていたの?」
「えっと…白い聖獣をさがしにきたの。おねがいしたいことがあるから」
「そうなの。なら、ちょうどよかった。今から連れて行ってあげる」
そういうと、ウサギは前を進んでいく。
「ま、まって!」
それに置いていかれないように歩いていくと、強い風が吹いて、リアナは目を閉じる。
風がおさまったのを感じ、ゆっくりと目を開けると、景色が変わっていた。
「わぁ!きれい!」
先程までの木々が生い茂っていた山の景色ではなく、キラキラと輝く大きな湖のほとりに、白い花畑が広がっている。
「綺麗でしょう。ほら、行こう」
「うん!」
ウサギの後ろに続いて、花畑の中を進む。
しかし、ウサギも真っ白なので、その姿を見失ってしまいそうだ。
「ねぇ、まって。ウサギさん、お花と同じ色だから、どこにいるかわからないよ」
「大丈夫。まっすぐ進んで、湖まで行けばいいから」
その言葉を信じ、ひたすらに前に進んでいく。
リアナは湖の前に立つと、隣にウサギの姿を見つけた。
「いた!」
「はい、いました。じゃあ、少し待ってて。今、起こすから」
「おこす?」
起こすとは、一体何をだろうか?
リアナは不思議に思いながら、ウサギのことを見守る。
「じゃあ、見ててねー」
その場でウサギが何かを呟くと、湖が大きな樹に姿を変えた。
「え、なんで!?」
「特別なの。ここも、リアナも」
「とくべつ?」
特別とは、どういうことだろう?
少し考えていると、ウサギは樹の下ある隙間に入っていく。
「まって。暗いとおばけが出るんだよ!」
「大丈夫。白い聖獣はこの先よ。ついてきて」
中を覗いてみるが、暗くてなにも明かりがなくて怖い。
だが、おかーさんを起こすためなのだ。
ここは我慢して、行かなければ。
「だいじょうぶ。おかーさんはわたしが助けるの」
リアナはそう呟き、意を決して、ウサギの後ろをついていく。
細く暗い道をしばらく歩くと、広い空間に出た。
「ここ、白い聖獣のお家…?」
木の実や果物。
他にも、美味しそうな食べ物が置いてある。
真っ白なふわふわのベッドは、雲みたいで気持ちよさそうだ。
だが、肝心の白い聖獣の姿がない。
「ウサギさん、白い聖獣は?」
「この奥にいるよ。ここからは一緒に行けないから、頑張ってね」
「そっか。ここまで、ありがとう」
「いーえ。かわいいリアナのためだからね」
案内はここまでらしく、見送ってくれたウサギに手を振ると、リアナはまっすぐと歩いていく。
再び暗くなり、怖くなる。
でも、その暗闇の中から唄が聞こえた。
「たぶん、こっち」
声がした方を頼りに、もっと奥に進んでいく。
一番奥、草花に囲まれた空間に、大きな白い動物がいた。
「きれい…」
唄声の正体は、この大きな白い猫だったのか。
リアナが呟いた言葉で唄は止まり、黄金に輝く瞳が向けられた。
「人の子。どうして、ここに来たの?」
「おかーさんを起こしてほしくて。なんでも叶えてくれる白い聖獣がいるって、昔、おかーさんから聞いたから。さがしにきたの」
「そう。よくここまで来たわね」
この大きな白い猫が、おかーさんが言っていた聖獣なのだろうか。
リアナがじっと見つめていると、白い猫はこちらにゆっくりと近づいてくる。
「名前を教えてくれる?」
「リアナ。リアナ・フォルスターっていうの」
「ふふ、素敵な名前ね。私の名前は、ーーー」
「ーーー」
「そうよ。よく覚えておいてね」
「わかった」
教えられた名前を何度も口ずさみ、リアナはしっかりと覚える。
「ねぇ、リアナ。お母様はどうして眠っているの?」
「外に出ると風邪になるんだって。だから、おかーさんもずっと風邪をひいてて。……今日の朝、起きてくれなくなっちゃった」
家を出る時、目を瞑ったままの大好きなおかーさんを、おとーさんは涙を流しながら、ずっと抱きしめていた。
その姿を思い出し、リアナの頬に涙が伝う。
「お空に、行ったって。おとーさんは、そう言ってたの…」
「それは……」
視線をそらしたーーーは、しばらくそのまま考え込む。
少しすると、しっかりとリアナの目を見つめ直した。
「リアナ、ごめんなさい。私にはお母様のことを起こしてあげることはできないみたい」
「そっか…」
おかーさんを起こすことはできない。
それは、幼いリアナの頭でも、なんとなくわかっていた。
寂しそうに笑うリアナを包んで、ーーーは頬に擦り付く。
「でも代わりに、外に出ても風邪にならないようにしてあげる」
「…そうすれば、もう誰もいなくならない…?」
いつも遊んでくれたおじちゃんも、仲良くしてくれたおねーさんも、優しいおかーさんも。
みんなみんな、風邪のせいでお空に行った。
もう、誰もいなくなってほしくない。
「えぇ、大丈夫。約束するわ」
「ーーー。ありがとう」
「いいの。リアナは私達の愛し子だから」
「いとしご?」
初めて聞く単語に、リアナは反芻する。
「そうね。私達はリアナを愛しているわ。だから、なんでも叶えてあげたいの」
「ありがとう。じゃあ、わたしもーーーがだいすき」
リアナはーーーに抱きつき、感謝を伝える。
それに対して、ーーーは嬉しそうに笑った。
「ありがとう。ねぇ、リアナ。この風邪を終わらせる代わりに、ひとつだけお願いがあるの」
「なんでも言って!」
「まぁ、ありがとう。あのねーーーーー」