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「幸人、貴方はお父さんみたいになってはダメよ」幸人の母は事あるごとにこう言った。
「うん、わかったよ。母ちゃん」幼少期の新庄幸人は疑わずにそれを信じた。
父はネグレクトしていた。幼少期の幸人に声をかけること無く、父子で休日を過ごした記憶が乏しく、幸人が何をしようと気にかけることがない。
普段の、父は傍若無人で、短慮で癇癪を起こし、家族の食事の時間は父が一体何で機嫌を損ねるか分からない地雷原を歩いているかのような団らんの記憶しかない、過去だった。
その父が"10年前"に幸人の前から突然姿を消した。
母が言った。父は家族を見捨てたのだと。幸人は母の言うことを信じていたから疑わずに父に捨てられたと思っていた。
息子である自身に価値を認めなかった父と、父のようになるなと言う母の元で、自己に強い自信を持つ子供は育成されるのだろうか?
それから時間が流れて、詰め襟の制服に身を包んだ頃に、幸人は有る女性に出会うことになる。
今から2年前くらいの事だ。
「おい、新庄!何だこれぇ?『闇の剣士』?プッハハハハ。何だよこの下手くそな前髪バリバリの長身、日本刀持った奴とか、オリジナリティー無いやつ!!」粗暴な少年が、幸人のノートを取り上げてその中身を晒し上げる様に大声で説明しながらこき下ろしている。
「……ゃめろ」幸人は典型的ないじめられっ子だった。自己肯定感が弱く、温和と言えば聞こえは良いが、弱さを意志の弱さを言い換えたものが正確な表現だろう。
通学のバスの中で、関係のない乗客、同じ学校の乗客、それらの前で晒しのように行われるイジメの現場であった。そこに助力するものは居ない。むしろ冷ややかに、見物している傍観者も居た。
幸人は泣きながら辞めてとか、懇願するような、自分に非がないとしても、嵐が過ぎ去るまでひたすらに耐えるというような性格であった。無力であった。
調子に乗る粗暴な少年がそれを、その手に掴んだ幸人の創作ネタを書き留めたノートを放り投げるか、あるいは捨て去ろうとしたかのように持ち上げた時、"彼女"はやってきた。
「いい加減にしなさい、荒井耕造クン?」同年代の少女、その時は名前を知らなかった四ノ原早紀が仲裁に割り込んできた。これが幸人と早紀の邂逅であった。
「てめえ、四ノ原の……どういうつもりだぁ?」荒井耕造と呼ばれた少年が少女を睨み返す。
「分家の中でも、末端。その小倅が四ノ原に対する態度とは言えないわね。貴方、家ではどんな教育を受けてきたの?」少女は上から目線、もしくは血筋の、更には血の濃さで彼に何ら臆することはない、だと態度で雄弁に語った。
「うるせえ、"今の"お前には関係ないだろ!」粗暴な少年は口ではそういうものの、取り敢えずその暴力的な態度を改めていた。調子に乗っていたと言葉では言わないが、態度が如実に緩和された空気を幸人とバスの乗客は安堵のため息を漏らす。
だが、少女はそのため息を許さないという眼差しで窒息させる。
傍観者が、お前らが動いていれば、と少女の視線が刺すように場を冷やす。
しばらくしてバスが停留所に停まり、少女が降りていく。それを幸人は追いかけた。
それが、四ノ原早紀と新庄幸人のエピソードであった。
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「なるほど、そうかそうか。それでは四ノ原嬢の男前度が上がる訳だ。一目惚れと言って良いかな?」と簑笠府 卿碁は楽しそうに言った。
「一目惚れというわけでは」幸人はそんな雰囲気ではなかったと言う。
「では、どういうことかな?」と卿碁が話の続きを促す。
「……勇気の出し方を聞きたかった、ですね」幸人はその当時を思い出しながら話す。
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「礼は要りませんが。貴方には恥はないの?当事者で被害者の貴方が声を出さなければ。貴方の容貌からは苛烈さを感じません。貴方の性別でそれは大変生きづらい未来を迎えますよ?宜しいのですか?」と四ノ原早紀は言った。
「しかし、助かったのは事実です。親から厳しく言われてます」
「厳しく?それは母親よね?」
「はい。理解りますか?」
「男親は『屈辱に屈するな』と言いそうですからね。男が男を優しく育てるのは最近の風潮ですが、此れが最近の流行りとは貴方の親世代では訝しみそうです。思想が腐った女々しい性別の感情論理でしかないわ」
「感情論理?」
「女特有の、『感情で結論を出しておいて、あたかも理性で結論を出した、と厚顔無恥で後で付け加える論理』ね、実際には何一つ論理的、つまり数学的には何ら検討する価値はないクソみたいな情動よ。貴方の母の言は耳を傾ける価値はない。適当なタイミングで逃げたほうが良いわ」早紀は自身の性別を棚に上げて宣った。
「貴女にもありますか?……」幸人は此処で初めて女性に対する反抗的な姿勢を出した。これが契機となって大いなる策謀に巻き込まれるとは本人も、それを促した早紀も、バスを降りなかった耕造も未だ気づいていない。
「痛いところを付くのね、そうよ。忌々しいことにそれ自覚的になっても拭えないという宿痾にも似たもどかしさを抱えて居るわね。ふふっ、良いわね。貴方は多分そういうのに向いていないんだろうけど、口にしなくても姿勢としては反旗を翻す、みたいなノリで過ごすのをお薦めします。それが何時か、は一助になると思います。さしあたっては男親への理解を進めたほうが良いわね」
「しかし、父は家族を捨てました」
「詳しく話してくれる?」
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「捨てた、というのは母親の言い方よね?可笑しいと思わない?」
「そうですか?父は何時も僕には興味が無さそうでした。交わした言葉も少ない」
「過干渉な父親ってのは子供には良くないそうよ。好意的でも悪意的でも。そういう意味では貴方の父は理想的とも言えるわ」
「え?僕の父が理想ですか?」
「そうよ、男はいずれ親元を離れる物よ。住処に留めておくのは老婆の欲望としか言いようがない」
「しかし、にわかには信じがたい、です」
「そして、過干渉な母親ってのは悪意的には間違いなく害悪だわ。さっき言った『感情論理』って奴よ、此処で可笑しいことに君は気づかない?」
「え?」
「貴方にとって父は愛情がない。興味がない。ならば『最初から打ち捨てられている』。そうよね、生まれた事のみを男親は喜んで、其処から男親は親馬鹿になる誘惑と戦いながら稼ぎ得る戦いに身を投じることになるのだから」
「それを再認識させる言葉が出たのは?」
「母親には貴方視線でどう思っているか?ってのが無かったからの捨てた、よ。何かそう言って差し支えがない契機が在ったから普段言わない強い言葉を使った、ってのはどうかしら?普段の振る舞いは貴方がどう思っているか?ってのが想像ついていないのよ」
「とても強い確信……一体なんだろう?」
「私には理解らない。でも貴方はその内母親の態度、特に行動ね。そこから何か切っ掛けになるかも知れない。そんな感じね、では私はもう行くわね。さようなら気弱な少年君。バスの粗暴な不良少年、また絡まれないように、ね?」と言って少女はベンチから立ち上がって振り向かず去っていった。
「待ってください。貴女の名前は?」幸人は勇気を出して聞いた。
「言わないでおくわ、私と関わり合いになると碌なことにならないと思うから。私には死に別れた家族を探さなければいけないの」と早紀はバスを降りたときのように振りむかずに歩いていく。
「見つかると良いですね!!」返事はなかったが幸人は自身の心に何かの灯が点ったのを感じた。今はそれで十分だった。
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「なるほど、なるほど。女傑だな、早紀君は。君が熱を入れるのも、娘が早紀くんに嫉妬するのも、敵愾心を抱くのも理解できる。話の内容も興味深い。男親とはかくあるべき、良い話じゃないか。これじゃ娘に悪いが先が思いやられるね」と卿碁は言うがとても楽しそうだ。
「良いんですか?娘さんの味方をしなくて?」
「男親は子供には過干渉になるべきではないんだよね。そこは早紀君に同意する。そしてまあ、君の父君の本心を聞くことは適わなかったが、それに近い言動を示す証拠がある」と卿碁は懐から封筒を出してきた。
「それは一体?」
「新庄家の、君の御母堂と父君の裁判での君の親権を巡って争われた時の資料だよ。10年前に君の父は、男親が親権を得るのが難しい茨の道が待っていると知った上で彼の妻と戦っている。結果は君の先程の話が説明している。父君は負けた、そしてそれが契機になって君の母の勝利宣言が『父が家族を捨てた』だろうね。これ以来君に近づけなくなったからね」
「……父は、戦ってくれたんですね。勝てもしない裁判で。親権を得たら僕と父はどうなっていたんだろう……」
「まあ、無愛想な父親のままだったろうね、多少は態度の緩和は在ったかも知れないけどね、勝っても負けても少なくとも愚かしい男の生き方は示せた」
「……ああ、そうか僕は、父に男として認められていたんだな……父はこの後どうなったんですが?」
「寂しく一人暮らしをしていると聞いた。DeadEndを乗り越えたら会いに行くのも良い、そのときは娘を連れて行って欲しい、と言うのが父親としての欲目だね、君の母親は正直娘と君に会せたいとも思えないしね」
「それはどうしてですか?」
「それは君の母親が、結婚した長男の新居に寄生する気満々だからさ」
と、簑笠府卿碁は断言した。




