退屈
「お願い許して……‼」
私の目の前に縛られている女は悲痛に叫んだ。コンクリートでできているこの部屋は壁の内側に防音マットが貼ってある。だから女の悲鳴も反響せず、明瞭に聞こえる。女の手左上には血を抜くために左腕だけを固定してなるべく自由に動けるように配慮した。この女はかれこれ三十分は血を抜き続けていが諦めずに藻掻き続けている。私の横に設置しているタンクには先ほどからポタポタと血が滴り落ちて溜まっている。
「これ外して……‼」
「それは叶えてあげられないお願いだな」
「じゃあもう殺してよ…こんなの耐えられない………‼」
「すまないがそれも出来ないな。私は『血が苦手』なんだ。」
「じゃあなんでこんなことをするの…?私たち赤の他人じゃない…!」
何回話したであろうこの話をまたしなければならない。これはいつものルーティーンだ。しかたない。これも行っていることへの性だ。
私は背もたれからゆっくり離れて血が流れているチューブを摘みながらしゃべり始めた。
「私はね、血をみるのは苦手だけど人が死ぬ瞬間には興味があるんだ。わかるかい?でもねそれが自分が生きているのか死んでいるのかも理解できていない年老いた老人だったり、ピーピー泣き喚くだけのガキだとなんにも面白くない。『自分は今殺される』と完全に理解できて『自分の世界が消滅している』と感じれる奴じゃないと意味がないんだ。だから君が赤の他人かどうかなんて私にとっては関係のないことだし、殺した後もしっかりと利用方法はあるから気にしなくて良い。むしろ〝我々〟にとってはそっちがメインだ。だから普通はこんなことはしないよ。ただ単純に私の趣味さ」
そう、これは私の趣味に過ぎない。というかこの趣味は〝我々〟にとっては珍しい話でもないのだ。人間にも一定の割合で殺人鬼や異常者がいるように〝我々〟にもそんな連中が一定数いる。ただ私のように生きたまま攫ったりするまで手間を掛ける奴は聞いたことがないし、大抵そのような連中は話の通じない者ばかりだ。
私の話を聞いた女はまだ懲りずに喚き続けている。うるさい女だ。
「本当にお願いよ!死ぬこと以外ならなんでもするわ!見逃して、娘が家で待ってるの‼」
「何度言ったらわかるんだ。それはできない」
物事には優先順位がある。この女はそんなことも理解できないのか。
「あんたなんてすぐ保安局に見つかって殺されるわ!」
「————なんだって?」
私は自分の毛が猫の様に逆立っていくのを感じた。
「私はね。基本的に寛容だが、許せないことがたった二つある。一つはさっきも言ったように『血』だ。自分が流すのも他人のを見るのも嫌いだ。汚いし臭いし、服に付いたら取れないからね。なにより、私はそういったグロテスクなことは趣味に合わない」
私はもう一度ゆっくり息を吸って鼻から出した。
「そしてもう一つ。それは『私に理解できないことを言うことだ』。この前道端でしょうもないごろつきに絡まれてね。少し遊んでやったら彼は言ったんだ。『お前なんてきっとあの人が殺してくれる』って。結局彼が言った人とは合えていないんだけどね。私、ないし〝我々〟はね『死なないし死ねないんだよ』だから君が今私に向かって言って、君自身にもあと数十分もしないうちに訪れるであろう『死』を理解することができない。私はね理解できないことがとにかく嫌いだ。」
私はそこまで話すと喋るのを止めた。
この女は用済みだ。機嫌を損ねる害悪でしかない。こいつの死に顔を拝むのなんてまっぴらごめんだ。
「お前はもういらない————せいぜい〝肥料〟にでもなるがいい」
私はそう言うと席を立ち部屋を出た。女はまだ後ろで叫んでいる。
「おい、ダット。あれはもういい。肥料になんでもお前の好きにしろ」
「いつもありがとうございます。ハイデッガー」
「気にするな、ただの残り物だ」
「いえ、非力でいつも〝献上者〟を確保できない私にとってこの上なくありがたいことです」
「弱者は弱者なりに賢く生きる。あの女も見習ってほしいものだ。私は自宅に戻る。二週間は帰らない予定だからそのつもりでいろ」
ダットはそれを聞くとわかりましたと少し不安そうに返事をした。私が不在の間、あいつは一人で〝献上者〟を確保しなければならないからだろう。
「ハイデッカー一つ言いたいことが————」「ではまたな」
何か言いかけているダットを遮って私は歩き出した。
あいつが私に言いたいことなんてどうせろくでもないことだ。聞かないに限る。
自宅に帰ってしばらくはゆっくりとリラックスしよう。
飛び立った夜空は雲がかかって月が見えなかった。




