先生の日記帳
ふたりはびっくりしました。
見つからないようにしっかりとかくれていたのもありますが、ココロ先生が、強い口調で、はっきりと「いけないわ」と、しかったのです。
ココロ先生は、めったなことではおこりません。
トムや聞き分けの悪い生徒をしかるときも、「だめですよ~」と、にこにこしたままか、「こまりました……」と、悲しい顔で言うくらいです。
それでおさまらないときは、サイディアさんが少しきびしめに言うのが、“かぜはなの家”のやりかたなのです。
「出てきなさい」
フラハは、ぼけっとしゃがんだままでしたが、横を見るとクローディアはもう立ち上がっていました。
クローディアは何も言わずに、早足で先生の前まで行きました。フラハも、そのあとに続きます。
「ココロ先生。わたしは、あなたやサイディアさんに、ベンやアンナがいなくなったことの責任があるとは思えませんでした。大人の立場があっても、じっさいのところ、どうしようもなかったと思います。それに、それをいうなら、ベンのお父さんの責任は、もっと重いものだったでしょう」
クローディアはひと息に言いました。
「クローディアさんは、わたしたちのためにおこってくれたのね」
「半分は。残りは、わたし自身のためで、ベンのお父さんのためもほんの少しだけありました」
「そう……。ありがとう、クローディア。あなたはきっと、正しいのでしょう。でもね、どんなに正しくても、言って良いことと、悪いことがあるのです」
ココロ先生は、ほんのいっしゅんだけほほ笑みました。
「では、ベンのお父さんが先生たちに言ったことは、言って良いことでしたか? 大人なら、がまんすべきだったんじゃないんですか?」
クローディアはかみつくように問いかけます。
「先生は悲しくなかったの? あんなふうに言われて!」
「とても悲しかったわ。でも、わたしは、ベンのお父さんは言うべきだったと思っています」
「どうして!?」
「ほかに、だれにも言う相手がいないからです。あのおいかりはね……ベンのお父さん自身に対するものでもあったの。サイディアさんも、分かっていたのよ」
クローディアは聞き分けたようで、結んだ髪をしゅんとさせました。
「わたし、ココロ先生みたいになれる自信、ない……」
フラハは、ココロ先生がおこったことにまだおどろいていて、話の半分も分かっていませんでした。
でも、「クローディアはココロ先生みたいになりたいの。わたしもよ」と言って、クローディアの腕を取りました。
「ありがとう。ふたりがそう言ってくれて、うれしいわ。でも、全部が同じにできる必要はないの」
「どうして!?」
また、どうしてです。
「だって、わたしも失敗ばかりですもの」
ココロ先生は、くすりと笑って言いました。
あのココロ先生が失敗ばかりとは、どういうことでしょう。
先生はしばらく「うーん」となやんだあと、「ついていらっしゃい」と、“かぜはなの家”へと入りました。
ふたりはココロ先生の部屋へと案内され、ベッドに腰かけるように言われます。
先生は、おじいさん机から日記帳を取ると、ふたりのあいだに腰かけました。
「この日記帳はね。ただ、その日にあったことを書いているだけではないの。あなたたちみんなの様子や、わたしの、先生としてよくできたところや、できなかったところを記しているの。言ってみれば、わたしの妖精の教科書。本当は見せるべきものではないのだけれど、ふたりには特別に……」
先生は膝の上で日記帳を開こうとしました。
ところが、クローディアの手がそれを止めてしまいます。
かのじょは、青ざめた顔をしていました。
「見なくていいの? ここには、わたしの失敗や、教訓が書かれているのですよ? これを見て学べば、わたしよりも正しい先生になれるかもしれないのよ?」
ココロ先生は首をかしげます。
「こわい……!」
クローディアは、本当におそろしいものを見るようでした。
日記を開くのを止めた手さえもひっこめて、すわったまま、逃げるように腰から上を日記からはなそうとしています。
「フラハさんは、見なくてもだいじょうぶ?」
「だいじょうぶです」
フラハは「いける、いける」と続ける自信はありませんでした。
ココロ先生のような妖精になるのは、とてもむずかしいことだと分かっています。
でも、これを読んでも、だめなどころか、かえって遠ざかるかもしれないと感じたのです。
そして、「いける」の代わりに、「教科書は、自分で書きます」と続けました。
「そうね。自分で書くのがいちばん!」
先生は元気よく言うと、もう一度机にもどり、日記帳を置きました。
それから、引き出しを開けると、同じ表紙の――花がらのとても可愛らしい表紙の――日記帳を二冊持ってきます。
「これは予備の日記帳。フラハさんにも一冊あげるわ」
「ありがとうございます」
フラハはすてきな表紙をめくってみます。
もちろん、何も書いてない、まっさらな、先生のドレスのような、フラハの春のワンピースのような白一色です。
なでると、指先にさらさらとくすぐったい感じがしました。
「クローディアさんは、どう?」
「わたしも書きます」
クローディアも日記を受け取ると、フラハと同じように、表紙をめくって最初のページをなでようとしました。
「あれ?」
クローディアは首をかしげます。
どうしたのかと日記を見てみると、一文字だけ何か書きかけていて、それはぬりつぶしてありました。
「ああっ! しまった! それは、わたしが初めて日記を書こうとしたときに、最初の一文字をまちがっちゃったから、使うのをあと回しにした日記帳です!」
ココロ先生の顔が見る見るうちに赤くなっていきます。
「や、やっぱり最初はね!? きれいに書きたいと思ってましたから! すぐに、別の新しい日記を持ってきますね!」
先生が書き損じの日記帳へ手を伸ばすと、日記帳は「ひょい」と逃げてしまいました。
「わたし、これが良い!」
クローディアは日記帳を高くかかげて、笑顔です。
さっきまでの、おこった感じや「こわい」もどこかへと消えてしまっていました。
「これを持って、おばさんとおじさんのところに行くわ」
「はあ……。しかたないなあ」
ココロ先生はぶつくさ言いましたが、手を引っこめてすわり直します。
「へへ。じゃあ、もらいます。その代わり、わたしが何かやらかして逃げ帰ってきたら、話を聞いてね」
クローディアはそう言うと、ココロ先生の胸に飛びこみました!
「もちろんですよ。そのときには、日記を見せなかったぶん、わたしの口からわたしの失敗を話しましょう。……はずかしいですけど」
ココロ先生も目を閉じて、クローディアの背中をゆっくりと叩いています。
フラハは、またもびっくりして目を丸くしていました。
あのお姉さん気取りが、自分からこんな子どもっぽいことをするなんて!
でも、なんとなく、「いいかも」と思ったのです。
ふたりはとても幸せそうに見えましたから。
もしも、自分にマルティンのような画家の才能があったら、この場面をスケッチしたくなるくらいです。
「さて。あとひとつ、すっきりさせなきゃいけないことがあるわ」
クローディアは「がばり」とココロ先生からはなれました。
ココロ先生は「あれ?」とか言いながら空中をなでています。
「わたし、今からベンのパパのところに行って、文句とおわびの両方を言ってくる!」
「えっ、ちょっと!」
「止めても聞かないわ。先生ならしないでしょうけど、わたしはするの。ベンのパパに会えるチャンスも、もうないかもしれないし!」
クローディアはそう言うと、どたどたと足音を立てて出て行ってしまいました。
ココロ先生は、とびらのほうに向かって手を伸ばしたまま「うーん」とうなっています。
「先生」
フラハはココロ先生の肩に手をかけました。
「しょうがないのよ」
「そうね、しょうがないわね」
先生は、にこりと笑います。ちょっとだけ、苦いような、すっぱいような感じでしたけど。
さて、フラハはココロ先生とふたりきりになりました。
じつはフラハもココロ先生に、ベンの話とは別のことで、聞いてほしいことがあります。
「あのね、先生」
「なあに? フラハさん。フラハさんも、ぎゅってする?」
ココロ先生はもう両腕を伸ばしています。
というかもう、「させてくれ」と言ってる気がします。
……が、フラハは「けっこうです」と言うと、黄色の丘についての考えを話し始めました。
砂漠でくらしていたときにやっていた……いいえ、やらされていたおてつだいは、まちがいだったと思うこと。
もう、黄色の丘にもどってくらしたくはない、先生さえめいわくでなければ、この“かぜはなの家”にずっと置いてほしいということ。
それでも、砂漠の仲間がどうしているのか気になっていることと、自分がいなくなってこまっていたら、「ざまあみろだわと思うけど、やっぱり手伝ってあげる」ことを話しました。
「そう……。フラハさんのいかりは、もっともね」
ココロ先生は静かにうなずきます。
「……“黄色の国”」
先生が何か口にしました。
「いいえ、今は名前を変えた“黄金の国”という場所があります」
「黄金の国?」
「フラハさんのくらしていた黄色の丘は、その黄金の国の中にある黄色の丘です。港から、黄金の国行きへの船が出ています」
「ココロ先生、知っていたの!?」
「知っていました。ですが、あなたが自分から黄色の丘にもどると言い出すまで、ふせておいたのです」
おどろきです。でも、フラハはそれで良かったと思いました。
「黄金の国に行けば、あなたは知るべきでないことを知り、見ずべきでないものを見、すべきでないことをするかもしれません」
先生の瞳が、まっすぐとフラハの瞳を見つめます。
「行かないほうが、いいってこと?」
「分かりません。何も知らずに、ずっとここでくらしてもいいのでしょうけど……。個人的には、わたしがすごくさびしいからともいえますけど……」
「わたしも、必ず帰るわ」
フラハはしょんぼりした先生の手を、ぎゅっとにぎりました。
本当にもどってくるつもりでしたし、「ずっとここでくらしてもいい」と言われて、とてもうれしい気持ちです。
先生がさびしがるので、やっぱり手だけでなく、身体もぎゅっとしてあげました。
ココロ先生は、温かくて、やわらかくて、甘いミルクのような良い香りがします。
いっしょにいると、とても安心できます。
ところが、どうしてでしょうか……。
もう、もどってこられる気がしなかったのです。
たとえ、帰って来ても、もうここが、今の緑の丘とはちがうものになるような……いいえ、自分自身が別のものに変わってしまっているような、そういう予感がしたのでした。
でも……。
だからこそ。
「いかなくてはいけないの。ごめんね、先生……」
「分かっています。あなたの行きつく先が、幸せな場所であることを、願っていますよ」
「わたしも、ココロ先生が幸せでいられるように願っているわ」
――――!
ふいに、部屋中が光りました。
まるで急に朝になったかのように、まばゆい光でいっぱいになります。
ふたりはおどろいて身をはなし、辺りを見回します。
それから、光がおさまると……「ある変化」に気がつきました。
「フラハさん、羽が……!」
急いで背中を確かめると、小さくてけちくさかった羽が、少し大きくなっていました。
フラハはまた大人へ近づいたのです。
「あら? その頭はどうしたの?」
今度は、ココロ先生はフラハの頭を見ています。背中じゃなくて、頭をです。
フラハは「まさか、カルヴィーツィエさんが!?」と青ざめてあわてて頭をさわります。
よかった……髪の毛はちゃんとあります。
む? 髪の毛どころか、何か「別のもの」まで生えていますよ!?
フラハはココロ先生から手鏡を受け取ると、自分の頭のてっぺんを確認しました。
すると、何やら可愛らしい二枚の葉っぱをつけた芽が「にょきり」と顔を出しているではありませんか!
「あはは! 変な頭!」
フラハは爆笑しました。
「いやいや、フラハさん。あなたの頭ですよ……。でも、一体なぜ、“ふたば”なんかが生えてきたのでしょう?」
ココロ先生もちょっと口のはしっこが笑っていましたが、首をかしげます。
「妖精の羽がのびるのといっしょに、芽が出たのだとすれば……」
先生はしばらく考えたあと、衝撃的な予測を立てました。
「フラハさん、あなたはもしかして、砂の妖精ではないのかもしれません」
「そ、そんな……! じゃあ、わたしは、なんの妖精なの?」
「わたしにもはっきりとは分かりませんが……。芽が生えてきたということは、お花とか木とか、何か植物に関係のあるものの妖精かもしれません。何か、心当たりはありませんか?」
たずねられて、フラハはあることを思い出しました。
「そうだわ! わたし、たまにお花や木の声が聞こえるの。種を遠くにうめてきてって、お願いをされたことがあるわ。先生のドレスのモデルのスノードロップともお話ができたのよ! でも、みんなは植物と話なんかできないって……。ココロ先生は?」
「わたしも、お話はできない。それに、あのスノードロップはまだ、かれていないのよ」
先生の部屋のまどぎわに、水の入った花びんにさして置いてあります。
ココロ先生はこれを、だれかのお祝いのときだけドレスの胸にさすことにしていたのですが、まだ静かに咲きほこっているようです。
そのうえ、フラハがスノードロップを折り取っていたものの、残った球根からも、また別の花が咲いていましたし、分球といって、球根を分けて増やす手法で、今ではもう、かのじょの仲間がたくさん増えて、お花畑までができているのです。
夏どころか、秋になっても咲き続けているそのお花畑には、“えいえんのスノードロップ”という名前が付けられています。
「フラハさん。大変なことになったわ」
先生の顔はしんこくそうです。
「あなたには、もしかしたら、お父さんとお母さんがいるのかも知れない」
「わたしに、お父さんとお母さんが……?」
「そうです。砂のように、“初めからあるものの妖精”や、迷子のような“ものごとの妖精”は、ひとりでに生まれてくることが多いのです。ですが、草や木、くだもののような植物の妖精には必ず両親がいます」
フラハは、カルヴィーツィエさんに髪をむしられたくらいのショックを受けました。
さっきからおどろきの連続で、もうふらふらです。
「そんなはずないわ。だって、砂漠では、妖精はわたしひとりだったし、お父さんやお母さんの思い出なんて、まったくないのに……!」
「魔法が使えなかったのも、本来とはちがう妖精だと思っていたからでしょう。あなたは、まだまだ、あなた自身の知らないことを、知っていかなくてはいけないのです」
フラハの心を、もっとおそろしい気持ちがおそいます。
何もかもの飲みこむ、巨大で底なしの暗闇に落とされたようになりました。
「……こわい! わたし、やっぱり行くのをやめる!」
フラハはココロ先生に抱きつこうとしました。
でも、先生は両手をうしろへかくして、かべまで下がり、首をふります。
「本当は、あなたの望むとおりにしたい。たとえ、まちがってても、抱きしめたい。でも、わたしには勇気が足りない……」
先生は背中にかくしたうでを、力いっぱいかべに押し付けています。きれいな羽も苦しそうです。
「あなたは、行かなくてはならないのです」
「どうして!?」
「フラハさん、聞いて。わたしは……わたしも、自分がなんの妖精なのか知らないの。魔法も、何ひとつ使えないのよ」
「ココロ先生が……?」
フラハはこおりつきました。
「だから、子どものころ、羽が生えて妖精だとはっきりしたとき、旅に出たの。けっきょく、その旅では何も分からなかったけど、この緑の丘に帰って来てから、“かぜはなの家”を始めたの……」
「そうだったの……」
「本当は、わたしもついていきたい。これは、教師としてとか、親心としてだけでなく、妖精の仲間としてもそうです。でも……だめ! きっと、あなたには本物の……」
こんなに苦しそうなココロ先生を見たのは初めてでした。
フラハも本当は、先生がどんなにいやがっても、抱きつきたかったのですが、その気持ちを、思いっ切りけとばしてやりました。
「わたし、ひとりでも、ちゃんとやれるわ。だいじょうぶ、いける、いける! 心配しないで、必ず帰ってくるから。もし、何も分からなかったら、クローディアの百倍、ぎゅっとして!」
フラハが力強く言い切ると、ココロ先生は、春色の髪を散らしながらくずれおち、顔をおおって泣き始めました……。
どうして先生が泣かなくてはならないのか、フラハには分かりませんでした。
ただ、ココロ先生が何かとてつもなく悲しくてつらいということと、それをなぐさめるために抱きしめにいってはいけないということだけは分かります。
緑の丘で風が吹きます。
がたがたとまどをゆらして、こがらしが吹きます。
まどのすき間から、冬の気配がのぞき見をしているようです。
クローディアとフラハに旅立たれるココロ先生の心には、この風はきっと、とても残酷なものとなるでしょう。
そして、フラハはこのこがらしに負けないように、心のおく底で、真っ赤な太陽のように、いかりを燃やしていました。
それは、砂漠のガラガラヘビやサソリを、じりじりとこがすほどに照らし、自分をひとりぼっちにしたかもしれない、まだ見ぬ両親までをも焼こうとしていました。
ただ、頭から生えたふたばだけはのんきで、どこか間のぬけた感じにゆれています。
フラハは、これから先、どうなってしまうのでしょうか?
ここで、おはなしは一区切りです。
フラハはこのあと、クローディアよりも早く、このこがらしの吹く丘を旅立つことになります。
もちろん、クローディアも、ベンとその家族も、緑の丘を去ります。
都会に行ったクローディアが、おばさん夫婦とうまくやれるのか、大きな学校や孤児院について何を学ぶのかも気になります。
ベンが向こうで友達を作れるのかとか、ベンのお父さんは再婚をするのかとか、リーデルくんやムギちゃんが親友を失って元気をなくしたとき、みんなはどうやって元気づけたのかとか……。
同じように、ココロ先生の心に開いたすき間を、緑の丘のみんなはどうやってなぐさめたのかとか、気になることはたくさんあるでしょう。
でも、わたしたちは妖精フラハのことを追いかけて、かのじょの生まれこきょうである、“黄金の国”へと足を向けることにしましょう。
さあ、準備は良いですか?
少し、きゅうけいをしたほうが良いかも知れません。
わたしも、ここから先はどうも、少しいやな予感がするのです……。
* * * *
* * * *
☆妖精の世界のひみつ、その二十六☆
「妖精はたいてい、自分の役目に誇りを持っているので、自分からなんの妖精なのか語るものなんです」




