どうして病
フラハがそよ風の吹く緑の丘にやってきてから、ひと月あまりが過ぎました。
春はほとんど過ぎ去り、草木はあおあおとした光を放ち、いくつかの木がすっぱい香りのする実を付けました。
太陽が元気になるにつれ、“かぜはなの家”の頭に乗っている大きな風車の作る影が、濃くはっきりと伸び、まるで時計の針のようになります。
フラハの故郷の黄色の丘については、ココロ先生のおてつだいでいっしょに港まで買い出しに行くたびにたずねて回っているのですが、どの話も聞いているうちに、フラハの知らない、ほかの黄色の丘のことのように聞こえてきて、なかなか見つからないのでした。
フラハは黄色の丘の知り合いたちはどうしているかな、砂の妖精の自分がおてつだいをしなくても平気なのかな、と心配をしました。
けれど、緑の丘でのくらしは、楽しいもので、季節が移ろうように、かのじょの風色の髪や季節色の瞳も、夏色にそまり、心は少しだけ、ふるさとの黄色の丘からはなれていきました。
フラハは、“かぜはなの家”にくらす子どもや、通う子ども、多くの妖精たちとお友達になりました。
とりわけ、いっしょに住んでいる子では子どもたちのお姉さん役のクローディア、通いの子ではパンカフェのむすめのムギちゃんと仲良しです。
クローディアはおてつだいをするのが得意で、フラハと協力してほかの子どもたちや、大人たちのことを助けています。
ムギちゃんも、お父さんがいなくなったために、パンカフェがいそがしくて、パンを作ったり配達をしたりしなくてはいけないので、フラハもよく手伝っています。
こうしてふたりのことを助けることで、遊ぶための時間も増えて、おたがいに幸せなのでした。
フラハは親切者で、こまってる人を放っておけません。
それに、お友達や大切に想っている人を助けるのは、もっと好きなのです。
何より、かのじょも妖精でしたし、この世界の妖精は誰かのためになるのが役目というものですから。
でも、やっぱり……ここへ連れて来てくれたココロ先生のことが、いちばん大好きなのでした。
もちろん、ほかのみんなもココロ先生のことが大好きです。
ココロ先生はとってもやさしい妖精で、いつもにこにこしています。
子どもたちに勉強を教えたり、いっしょに遊んだり、おはなしを聞いたりしてくれます。
もちろん、おこったりはしません。
どちらかというと、居眠りをして、サイディアさんにしかられたり、子どもたちに「しょうがないなー」と笑われたりする側です。
じつは、子どもたちだけでなく、そのお父さんやお母さん、“かぜはなの家”に全く関係の無い人や、ほかの妖精たちも、ココロ先生をたよりにしています。
ココロ先生が親切で、よくたのまれごとをしているからでもあるのですが、かのじょと付き合うと、いやなことがあって苦い草をかんだときのような顔になっていても、ふっ、とほどけて、そよ風の吹くお部屋でお昼寝をしているような気持ちになれるからです。
ココロ先生がそばにいれば、みんなは少しづつゆっくりと、ときには、「ぱっ!」と幸せでやさしくなれるのでした。
「どうしてなのかしら?」
フラハは、古ぼけたつくえで頬杖をつきながら考えます。
ここは“かぜはなの家”にある、かのじょのお部屋です。
みんなが、フラハのために使っていないお部屋を掃除して、つくえやベッド、タンスを置いてくれたのです。
家具は「昔にだれかが使っていた」という古い品でしたが、フラハはそのあせてしまった色味や、鼻の奥をくすぐるようなにおいが気に入りました。
特に、このつくえが好きで、考えごとをするときにはいつも使っているのですが、じつは天板のうらに、ポピーの花の落書きがしてあって、前の持ちぬしと自分だけが知っているひみつのようで、ときどきつくえの下にもぐりこんではそのお花をながめてにっこりするのでした。
かのじょの考えごとのほとんどは、「ふたつのもののちがい」がテーマになります。
たとえば、妖精はふつうは背中にトンボとチョウチョのあいの子のような羽が生えているものですが、フラハにはありません。
ココロ先生や、ほかの妖精いわく、「大人になるにつれて生えてくる」とのことですが、本当に生えてくるかどうか心配です。
妖精の魔法についてもそうです。
妖精はふつう、ふしぎな魔法を使えるもの(リンゴの妖精はいつでもリンゴを赤く実らせたり、ダンスの妖精はみんなのおどりを上手にしたりです)なのですが、フラハには魔法がありません。
ほかには、フラハのくらしていた黄色の丘と、この緑の丘のちがいもよく考えます。
同じ「丘」とよばれる場所でも、太陽のかんかんと照りつける砂だらけの砂漠と、植物や動物のたくさんくらす森や草原とでは大ちがいです。
どちらでくらしているときでも、みんなのおてつだいを欠かさなかったのですが、緑の丘ではおてつだいを断られたり、お礼の品をもらったりすることがあります。
一方で、黄色の丘ではみんながフラハに「お願い」をしてきましたし、お礼はありませんし、おてつだいに失敗すると、だれしもがおこって、フラハに罰を与えたり、上手くやってもいじわるをしたりするのでした。
もしも「ありがとう」の数で背比べをしたとすれば、ガラガラヘビと風車くらいの差が出るでしょう。
フラハは最近どうも、その両手でかかえきれないほどの「ありがとう」がこぼれて、お尻をむずむずさせているような気がして、幸せなのにちょっとだけ居心地が悪くなっていて、それもなやみのひとつなのでした。
フラハはため息をついて、部屋を出ました。考えても、分からないことだらけです。
胸や頭の中も、くもり空です。
こういうときは、外でお友達を見つけていっしょに遊ぶか、妖精や大人のひとの仕事を見学させてもらうのがよいでしょう。
身体を動かせばすっきりしますし、見学をすれば考えごとについての新しいひらめきがでてくるかもしれませんからね。
ろうかを歩いていると、マルティンが目の前を通り過ぎました。
外から帰って自室にもどるようでしたが、何やら早足です。
「マルティン、何をそんなにいそいでるの?」
「しーっ!」
マルティンはフラハの口の前に人差し指を立てました。
それから、ひょいと玄関のほうをのぞくと、質問には答えないでさっさと部屋にもどってしまいました。
取り残されたフラハは首をかしげます。
外で何かあるのかと、表へと出てみました。
ふむ。ポーチでは、ココロ先生がいすにすわって、むずかしそうな本を持っています。
読んでいるのではなく、持っています。
先生の目は閉じられていて、口のはしでは何やらきらきらしたものが光っています。
マルティンはだから「しーっ!」としたのでしょうか。
ポーチの外、つまりはお庭では、クローディアが花だんのお花にじょうろで水をやっています。
小さなトムがそのあとに、ちょこちょこと、くっ付いて回っているようですね。
「平和だわ」
フラハは胸の前で腕を組んで、深くゆっくりとうなずきました。
かのじょの“こまっている人センサー”に反応無し、です。
「ああもう、うっとうしい!」
クローディアが大きな声を出しました。平和じゃなかったようです。
「どうしたの? クローディア」
「フラハさん!」
クローディアは水やりの手を止めて笑顔になりました。
「ちょうどいいところに来てくれたわ! 今、平気?」
「うん、いける」
「じゃあ、お願い! わたしの代わりにトムの面倒を見てください!」
めずらしいこともあるものです。
クローディアはフラハとはココロ先生の助手役を取り合って競争になることもあるのですが、そのクローディアがフラハに「手伝って」と言ったのです!
フラハはもちろん、「いけるわ」と答えました。
「ありがとう。わたし、水やりのほかにもやりたいことがたくさんあったから、トムの相手をしていられなかったの!」
クローディアはそう言うと、じょうろをスコップやバケツなどのならべてある園芸道具のたなにかたづけ、走ってどこかへと行ってしまいました。
「それじゃあトム、わたしと遊ぼうね」
フラハは少しかがみ、小さなトムと目線を合わせます。
「あのね、フラハお姉ちゃん、フラハお姉ちゃん」
「なあに?」
フラハはほっぺたが痛くなりました。
この小さな男の子トムは、可愛いやつなのです。
フラハのことを「フラハお姉ちゃん」とよぶのですが、よばれるたびにフラハはひとりでに笑ってしまい、ほっぺたが、ぎゅっ、と耳のほうまで引っぱられてしまうのです。
「フラハお姉ちゃんは、どうして“かぜはなの家”に来たの?」
「迷子になったのをココロ先生に助けてもらったからよ」
「どうして、迷子になったの?」
「砂金さがしのおじさんたちと知らないところに行って、はぐれてしまったからよ」
「砂金ってなあに?」
「砂金は……」
なんでしょう? 砂金は、砂や小石のような大きさの黄金のことですが、フラハは見たことがありません。
おじさんたちとさがし歩いたときも、見つからずじまいでしたし。
「分からない……」
「ふうん……。じゃあ、どうして、おじさんたちからはぐれたの?」
トムは首をかしげます。
「それはね。おじさんたちがけんかしてこわかったからなの」
「そっかあ」
トムはなっとくすると、フラハの風色の髪をなでて「こわかったねえ」と言ってくれました。
フラハのほっぺたは爆発寸前です。これだから、トムは可愛いやつなのです。
「じゃあね、じゃあね」
トムはもっと質問があるようです。
「うん、なあに?」
「フラハお姉ちゃんは、どうして迷子になったの?」
「それは、さっき言ったわ」
「あのね、ココロ先生が、迷子になったら、だれかに道を聞きましょうって言ってたよ。お姉ちゃんは、聞かなかったの?」
「えっと……」
迷子になったときのことを思い返します。
おじさんたちからはなれたときには、すでに知らない場所だったわけですし、あのときはこわくなっていて、先のことを考えていませんでした。
それに、ようやく人に道を聞いたときには、もっと知らない場所になっていましたし、すっかりお手上げだったわけで……。
フラハは「うーん」とうなって、そうなった原因を考えます。
やったこともない砂金さがしを引き受けたこと、森をずんずんとつき進んだことや、海も知らないのに船を乗ったこと……。
つまりは……。
「いける、いけるって、思ったからかな……」
「ふうん。どうして、いけると思ったの?」
フラハの胸に、剣が「ぐさっ!」とささった気がしました。
ごっこ遊びの、にせものの剣や、演技力がものをいう見えない剣ですらないのに、この剣はやたらと痛い気がしました。
「えっーと、そうだ! ねえ、トム。お散歩に行かない?」
とっさにフラハが提案をすると、トムは「行く!」と、こぶしをつき上げて笑いました。
“かぜはなの家”の周りは、草原や芝生になっていて、見晴らしも風通しも最高です。
小川の流れる“チョウチョのねどこ”や、木々の生いしげった“フクロウのねどこ”はもちろん、遠くの落ち着いてすわった山や、大きく育った入道雲も見えます。
ながめる方角を変えれば、バケリおばさんのパンカフェや、村が小さく見えます。
港町は見えませんが、海も少しだけ……朝露にぬれて光るクモの糸のようにだけ、見ることができました。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なあに?」
「チョウチョはどうして、飛ぶのかな?」
「お花とお花のあいだを行き来するためよ」
「じゃあ、どうやって飛ぶの?」
「きれいな羽でぱたぱたして飛ぶの。風を抱いて、身体をお空へと押し上げるのよ」
「ふうん、ぼくは飛べないや」
トムは両手をばたばたさせています。
「トムには羽が無いからね。その代わり、ひとまたぎでチョウチョよりもたくさん進むことができるわ」
「フラハお姉ちゃんも羽が無い」
「う、うん」
「でも、ココロ先生やグロブさんには羽があるよ?」
「う、うん……」
「どうして、ふたりは飛ばないの?」
どうしてでしょう?
グロブさんの羽は、けちくさい小さなものですが、ココロ先生のはりっぱな羽です。
きれいな春色の髪、すきとおった虹色の羽、すてきなドレス。
これらをあわせ持ったココロ先生が、お空まで飛んだら、最強です。
それなのに、ココロ先生が空を飛ぶところを見たことはありません。
「分かんない……」
「どうして、羽があるのに飛ばないの?」
「分からないよ……」
そういえば、ココロ先生だけでなく、ほかの羽のある妖精が飛んでいるところも見たことがありません。
トムはそれでも「どうして、どうして」と聞くので、フラハはこまりはててしまいました。
トムの「どうしてこうげき」は止むことを知りません。
「どうして、モグラは地面の中に住んでるの?」
「どうして、お月さまは夜にしか出てこないの?」
「どうして、サイディアさんは眼鏡をかけているの?」
などなど……。眼鏡については、「目が悪いから」と答えられたのですが、「どうして、目が悪くなったの?」と、ついげきをされてしまいました。
今日は、サイディアさんはココロ先生の代わりに港に買い出しに行ってお留守なので、聞きようもありません。
「どうして、ヒマワリはおひさまのほうを向いているの?」
これも分かりません。
そういえば、フラハはいつだったか、サクランボの木や野バラと話をしたことがあったので、ヒマワリに直接聞いてみることにしました。
「……」
ヒマワリたちはそっぽ(つまりは太陽のほう)を向いて、むっつりとだまっています。
お話ができないのか、返事をしたくないのか分かりませんが、とにかくだめそうです。
「ねえ、なんでお花はお話ができないの?」
ちょっと歩くたびに「どうして?」、何か見つけるたびに「なんで?」とくるものですから、フラハもとうとうふらふらになって、だれかに手伝ってもらいたくなりました。
フラハは“かぜはなの家”にもどることにします。
クローディアはいそがしそうでしたが、マルティンやモモがいたはずです。
ふたりは、フラハよりもたくさんトムの面倒を見てきているので、トムの質問に答えるのも得意かもしれません。
本当は、ココロ先生が起きていればすぐに解決してくれそうなのですが、フラハとトムがもどったときはまだ、鼻ちょうちんの「ぐう……」でしたので、ゆかに落ちた本をテーブルに置いてあげて、そっと寝かせておきました。
「モモ、いる?」
モモのお部屋のとびらをノックします。出てきません。
でも、お留守ではないのです。
三十秒くらい経ってから、もう一度ノックします。すると、モモが出てきました。
モモが明るいうちにお部屋にいるときは、決まって考えごとをしているので、一回で気付いてくれないことが多いというわけです。
「わ、フラハちゃんと……トムだ。ようこそ」
モモは「ちらっ」とトムのことを見下ろしました。
「何かご用事?」
「いっしょに遊ばない?」
フラハがたずねると、モモは「うーん」とうなりました。
「今ね、トムに聞かれたことを考えていたの」
「何を聞かれたの?」
「宇宙って、なあに、って聞かれた」
モモはフラハの顔を真っ直ぐと見て返事をしていましたが、なんとなく、フラハよりもうしろの、どこか遠くのほうを見ているふしぎな感じがしました。
「考えても、考えても分からない……。どうして、宇宙はあるんだろう? いったい、なんのために?」
「し、知らない……」
「だから、ちょっといそがしいかも」
どうやら、モモも「どうしてこうげき」にやられてしまったようです。
フラハは「ゆっくり考えてね」と言って、モモと別れました。
次はマルティンです。
かれの部屋のとびらをノックすると、これまた返事がありません。
お留守でしょうか? いいえ、こちらもちゃんといるようです。
「マルティン、いる?」
少し待って、何度かノックをくり返しますが、返事がありません。
でも、部屋の中で何やらごそごそと音が聞こえますし……。
「フラハお姉ちゃん、なんか出てきた」
トムがゆかを指差します。
とびらの下から、紙切れが顔を出しました。
紙を取り上げてみると、何やら文章が書いてあります。
お手紙でしょうか。読んでみましょう。
『フラハさんには悪いけど、ぼくは出れない。なぜなら、トムが“どうして病”をわずらっているからだ。
どうして病になると、なんでもかんでも質問をせずにはいられなくなる。
それは大したことじゃないけれど、聞かれるほうはいそがしくなるし、頭や耳が痛くなる。
病気にかかっていないほうが大変という、じつにこまった症状なんだ。
そういうわけで、ぼくはトムのためにがんばるフラハさんの肖像画をかくことにせんねんしようと思う。
実物よりも、すてきにかくつもりだ。きみはもともとすてきだけど、背中にはココロ先生と同じ羽をかけばどうかな?』
ということらしいです。
「なんて書いてあるの?」
トムがたずねます。
「マルティンは頭が痛いんだって。そっとしておきましょう」
こうなると、あとはクローディアしかいませんが……。
かのじょはいそがしそうでしたが、もどっているでしょうか?
「あっ」
クローディアの部屋のほうを見ると、ポニーテールが「ぴょい!」と音もなく引っ込むのが見えました。
どうやら、だめそうです。
「ねえ、お姉ちゃん。たいくつ……」
「そうねえ……」
フラハはため息をつき、少し考えこみます。
グロブさんやファギオさんも役目やおでかけでお留守ですし……。
「じゃあ、パンカフェに行きましょう。そろそろ、おやつの時間だから」
フラハがそう言うと、トムは「やったー!」と両手を上げてよろこびました。
フラハがお出かけ先にパンカフェを選んだのには、おやつのためではありません。
あそこには、大人のバケリおばさん、おじいさん妖精のイーストさんがいます。
パンカフェにはたくさんのお客さんも来るので、うわさばなしなどもたくさん集まるでしょう。
トムのどうして病に有用な知恵が得られるかもしれません。
それに、フラハもちょっと疲れてきていましたし、「お茶でもしながら、ムギちゃんのことをこねこねしていやされたいな」、なんて考えたからなのでした。
* * * *
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☆妖精の世界のひみつ、その十五☆
「ココロ先生はむずかしい本が好きなのよ。よく眠れるって言ってたわ」




