第一幕〜マンホール事件〜
〜第一幕〜
マンホール事件
カツカツカツ……
カツカツカツ……
狭い店に鳴り響くのは、どこか焦り気味のヒールの音。
昼間のこの時間帯に、俺の店に女性、しかも足音からしておそらく比較的若い女性が来ることはあまりない。
俺の店といっても、じいさんから受け継いで、今は放課後に店番をしているだけなんだが。
カツカツカツ……
カツカツカツ……
しばらく本棚の間を右往左往して、やっとレジの前に現れたその女性は、若干汗ばんだブラウスをパタつかせながら、こうボヤいた。
「まったく……なんなのよこの店は……!レジがこんなに奥にあったらいくらでも本盗み放題じゃない!ただでさえ暑いってのに余計な苦労かけさせないでよ……」
いや、まあその通りなんだが、売り物は盗まないでくれ。あと、たしかに客も大してこないから、当店の冷却設備といえばレジ横の扇風機くらいしかないのでそこはすまない。
そんなことはどうでもいいんだが。
「ええっと……何かうちの店に御用ですか?」
見たところ、単純に本屋に本を見にきたわけではなく、この店の関係者(今は俺しかいないが)に話がある様子だったので、そう問いかけてみる。
ちなみにうちの店は割と何十年も続く、老舗の本屋だ。
住宅街の中にあるし、客はだいたい近隣の住人なので、だいたいの客は知り合いだ。
全く街の雰囲気に馴染まないメガネのマネージャー気質(想定)の女性(20代後半…これも想定)は俺の質問にこう切り返す。
「あー……。なるほどね。校長のファイルにあった通りの風貌……。ということは……あなたが坂上慎也君、間違いない?」
その通りだが、なんでこの客(客ではなさそうだが)は俺の名前を下まで知っているのか。
店の名前が坂上書店なので苗字は誰でもわかるのだろうが。
あと、校長って誰だ?うちの学校にこんな教師はいないはずだ。
「いや、まあ、はい、そうっすけど……」
変質者の可能性もあるので(今の時点ではむしろその可能性の方が高い)引き気味に返しておく。
「やっぱりね。話が早いわ。今からついてきて欲しいところがあるので来なさい。どうせ客も来てないんだし、少しくらいレジ開けたって大丈夫でしょう?」
失礼なやつだな。
「いや、いきなり店に来られて、ついて来いとか言われても……そもそもあなたどなたです?」
当然の質問を返す。
「もう!鬱陶しい子ね!本当にこんな普通の子が今回のターゲットなのかしら……時間がないのよ!ついてきなさい!」
確定だ。完全にやばいやつだな。
通報の準備をしよう。
幸い交番も近くにあるし、助けに来てくれるだろう。
俺は机の下で緊急用の交番の番号(母さんに登録させられている)を探すべく電話帳をこっそりと開く。
ここにかければ自動的に、誰かは来てくれることになっている。
「ちょっと!別に誘拐犯じゃないわよ。電話はしまっておきなさい」
気取られたか……しかし危ない客には違いない。俺は構わず電話帳の「交番」の番号に通話を入れた。
「はあ……面倒なことになったわ。時間もないし力づくで行こうかしら」
女は小声で不吉なワードを放つ。
それと同時に、いきなりレジのカウンター越しに女に肩を掴まれた……と思った瞬間。
背中がアスファルトに叩きつけられた。
「ううっ⁉︎」
思わず呻き声が出る。
一瞬呼吸ができなくなったが、体が緊急事態と判断し、すぐさま周囲の状況を確認しようとする。
電柱。暗がり。マンホール。ゴミ箱。そしてうちの書店の裏の出入り口と今時珍しい苗字の入った赤の郵便入れ。
ここはどうやら店の裏側らしい。
「ど……どうして……」
俺は息を切らしながら独り言のように呟く。
「説明は後よ。時間ないって言ってるでしょう」
女はこう切り返しながら、何故か片手でマンホールの蓋を持ち上げ、フリスビーのように道路に放つ。
ガラーン……ガラーン……
重たい鉄の音が響くが、あいにく店の裏の通りは人通りもない。
「さあ……ちゃっちゃと動く!ホラホラ!」
女は仰向けに地面に倒れ伏す俺の腕を掴んで軽々と片手で起こし、ちょうど今空いたマンホールの穴へ誘導する。
細い腕の割に、ものすごい力だ。
抵抗する間も助けを求めて叫ぶ間もなく、マンホールの入り口まで来てしまった。
「ちょっと……何を……やめろって!」
それでも必死に抵抗する。
「はいはい、ごめんねー。後でゆーっくり話してあげるから。さあ、行ってらっしゃーい」
何が行ってらっしゃいだ。離しやがれ。
そう叫ぼうとした瞬間、ドン!と強く背中を押され、穴の中へと落ちてゆく。
ヒュウウ……
ヒュウウ……
終わった。
まだ16歳だが。確実に終わる。
高いところから落ちる時特有の、あの浮遊感と、落下の長さから、体が自らの生命の終わりを認知した。
なんで店番してただけで、訳のわからん女にマンホールに突き落とされなければいけないのか、そんな不条理への怒りと同時に、死んだじいさんの顔や、若い頃に事故で亡くなった妹の顔、ガキの頃からの悪友の顔や、両親(こちらは健在だ)なんかが走馬灯のようにチラついた。
妹の理名も、こんな気持ちだったのだろうか。
そんなことを考えながら、落下していく。
ヒュウウ……
ヒュウウ……
いや、それにしても、落下、長くない?
こんなに長いことある?
死ぬ直前の時間は長く感じるともいうが、それにしても長すぎだ。
体感、10秒くらいはたっている。
そんな違和感を感じ始めた次の瞬間。
ドサッ。
地面だ。
今度は足から落下した。
不思議と落下の衝撃はそこまでない。
……。いや、なんで衝撃がないんだ?
そんなことある?
どうやら、意識もはっきりしてるけど、これが死後の世界ってやつか?
「いやー何度やっても慣れないねこれは。アタシも若くないのに人使い荒いんだから校長も……」
ん?
これはさっきの女の声だ。
死後の世界でも、生前物理的に近くにいたやつは近くに来るってことか。
いや、何考えてんだ俺……
「おー誰かと思えば坂上君じゃなーい。うん、生きてる生きてる。合格合格〜っと」
女は先程の切羽詰まった感じが少し薄れて、フレンドリーに話しかけてくる。
いや、というか、生きてるの?俺。
「あーっ!死んだと思ったでしょ〜。わかるわかる〜。アタシも最初は慣れなかったわ〜。これ」
慣れというのは、落下のことを言っているのか。
「駅へのアクセスもスムーズに行ったし、時間的余裕もできたから少しは説明タイムやってもいいかしらね」
女は何か独り言を言っている。
「えーっと……ここは……どこすかね……てかあんたほんとに誰……」
俺は生死の間を彷徨った(体感)上に、あまりの女のケロッとした振る舞いに面食らって、アホみたいに間抜けな質問をしてしまう。
「うんうん。何が起こってるのかわからないよね。よーしお姉さんが丁寧に説明してあげよう」
そう言って、女はブラウスを捲り上げながら歩き出す。
「でもまずは列車に乗ってからね。ついてきなさい、坂上君」
列車?なんのことだ。さっき駅だのなんだのと言っていたが…
そう思ってふと周りを見渡すと、確かに暗がりの中に線路っぽいものがある。
そして今立っているのは、地下鉄で言うところの通路っぽいところだ。
わずかしか明かりはないし、目が慣れていなかったが、やっと状況を把握してきた。
女はどんどん歩を進めるが、もはやこの状況であの女に反抗しても、脱出の糸口は見つかりそうにもない。
今のところ明らかな敵意を向けてきているわけではないというのはなんとなく感じるが、状況が状況だ。
俺は少し距離を空けつつ女の後をついていくことにした。
仕方がないよな、うん。
「そんなに怖がらなくても……まあ当たり前か。さあーあそこに見えるのが我らが自慢の列車、その名もミルキーウェイ号!よ」
ダッサ……
「ダサい言わない」
言ってないが。
それにしても、長い列車だ。
うっすらとオレンジ色の明かりが漏れているが、丸型の小さい窓しかないようで、さながら幽霊列車のようだ。
どこまで車両が続いているのかは目視で確認できない。
「さあ。乗った乗った!」
乗れと言われても、怪しさしかないし、さっき死にかけてるし、相当きついものがある。
先程の恐怖体験で、体が硬直し、動かなくなっているのがわかった。
「何よまーだ怖がってんの。もうここまできたら戻れないんだから早く乗っちゃえばいいのに」
とにかく不穏なワードの多い教師(マネージャー??)だ。
女は仁王立ちになり、茶髪の三つ編みが揺れる。
メガネは黒縁で、好みなのにな。
その目は俺の目を真っ直ぐに捉えた。
「簡単に言うわ。この列車は、あなたの世界とは別の世界に繋がる列車。この駅は世界と世界をつなぐ中間点。つなぎ目みたいなものね。そして駅に入ったら、原則として列車に乗るしか道はない。元の世界に帰るには、向こうの世界から手続きを踏んで、また駅を経由して帰らなければいけない。要するに片道切符ってことね。おわかり?」
まあ、わかったが。
なかなかハードだ。
「えーっと……つまり俺は、あんたの言いなりになって連行されるしかないってことか?」
女は不敵にメガネを光らせて微笑む。
「あら、意外に理解が早いじゃない。助かる助かる〜」
理解が早いと言うか、諦めかけているだけだ。
明らかにこの駅がそこらへんの地下鉄でないのは見ればわかるし、さっきの落下の時間からも、やばい空間に入り込んだのは間違いなさそうなんだよな。
あとはもうこれが夢オチであることを祈るしかない。
目の前の女がひょっとして人外の生物で、列車に入った瞬間喰い殺されるかもしれんが、それは乗らないことを選択した場合も同様の未来が待っていそうだ。
つまり選択肢がないのだ。
ツカツカツカ……
ツカツカツカ……
俺は半分キレ気味に列車の乗車口へ向かう。
ちなみに列車は昔の蒸気機関車よろしく、車体の後ろ側に人が立てるくらいの出っ張りがあって、ドアが付いて中に入れるようになっているタイプのアレだ。
「おーっと急にやる気出してきたね。無言なのがチト怖いケド……お姉さん助かっちゃうなあ」
半分死を覚悟した俺の気も知らずに、呑気な教師(推定)だ。
列車に入ると、これまた古めかしい様式の席が並ぶ。
赤いフカフカの座席に木の座席、席の間にテーブルなどはないが向かい合って座れるようになっている。
「ようこそーミルキーウェイ号へ!船出の時じゃあ〜!なんちて」
いちいちリアクションが古いんだよな。今は2040年だっつーの。
俺はなんとなく、右側のちょうど真ん中あたりの席の手前側を選んで座った。
女も、俺の向かいに陣取る。
席は向かい合っての4人掛けだが、お互い窓側好きなのか、自然と窓側に二人とも寄った。
「ふっふーん。窓側好きなのね。子供なんだから」
女はすっかり任務を終えた気なのか、上機嫌だ。さっきの店の中のイラつき具合が嘘のような変わりようだな。
まあ暑くてイラついてただけかもしれんが。
なんせ今は8月も終わりかけ、一番暑い時だ。
「で、どういうことなんですか。どういう状況で、こうなってるんですか。約束通り、説明してもらいますよ」
俺は女の茶化しを無視しつつ、いきなり本題に入ろうとする。
こちとら、交番に電話までかけて、いきなり店の裏にワープしてマンホールから突き落とされて死にかけているんだ。
はっきり言ってガチギレして殴りかかっても文句は言われないだろう。
まあ、さっき見たこの女の身体能力からしても一秒でねじ伏せられるんだろうが。
「食いつくねえ。まあ嫌いじゃないけど。アタシも若い頃はそんなんだったわ」
「当たり前でしょ。こんな目にあって、食いつかない人いますか、逆に」
「まあ、それもソウネ。じゃあ、早速説明タイム入るとしますか。おっとそろそろ動き出すわよ」
女が言ったと同時、ガタン、と列車が動く。
他に客がいるのかも不明な列車、行き先もわからない列車が、ぬるりと動き出す。
長く長く、暗い通路が続く。
どうやら本当に、知らない世界に来てしまったようだ。