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自由律文章  作者: 薄氷
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re.自由律文章

『早い、早いよ』

 こんにちは、前回の時に書くものがなかった時に書く程度の不定期開催シリーズと言っていたはずなのですが、すぐにきてしまいましたね。本当に最近は家からも出ることがあまり好ましくないことからずっと家にいるのですが、やはり家にいると自分から動くことをあまりしないようになってしまいますね。そのため今日も前回の続きを書くわけですが……。


 さて、前回書いた覚えに間違いがなければ、人生の分岐点についての話をしたと思うのですがその続きをしていこうかなと思います。前回は小学一年生の時の話をしたと思うのですが、今回は自分が勉強を苦手から普通、並程度にすることができた小学三年生の時のお話をしようと思います。この後とあることで、すさまじいほど躓いてしまって勉強が再び苦手になってしまったのはまた別のお話…………。


 さて、小学三年生のころのお話に話を戻しましょうか。突然ですが小学三年生のころ、皆さんは何をしていたのでしょうか。私の認識として小学校三年四年のころは人生で一番わんぱくというか、活発な時期だと思っています。そうでなくとも私はこの時期が、一番活発な時期だったと思っています。毎日家に帰ってはランドセルを家においてすぐ家の近くの公園に外出してよく友達みんなでサッカーをして遊んでいました。そんな人間が真面目に勉強なんていう室内競技、いわば反対のものをするわけがありませんでした。そんなサザエさんのカツオのような生活をしていた人間だった私に小学三年生の時に大きな障壁が私の生活を変えることになります。

 「かんじすもう」

 こんな催しが三年生の夏に行われることになりました。一週間に一度漢字テストを行って、その成績によって番付が上下するというものです。私はその番付を勉強なんてしてこないものですから、秋の終わりごろまで一度か二度しか上がりませんでした。さすがにと伯父の担任も心配したのか、そのことを親との面談の時に話してくれたのです。この時に私の両親は私の勉強の手伝いをとてもよくしてくれるようになりました。いつも決まった範囲からテストが出されていたので、私の父はその範囲の漢字を抽出して問題を製作し、私にとかせました。今まで遊びオンリーだった私もさすがに両親には牙をむくことができない年頃だったので、しっかりと勉強を始めました。最初のうちはあまり勉強に興が乗らなかった私もどんどんとその漢字テストでの番付が勉強したことによって上がっていくのを見て、やる気が出るようになりました。勉強することに“成果の可視化”というのはとても有効なんだということが身をもって理解できましたね。


 以上が私の分岐点です。様々な人の働きかけによって今の自分が構成されているのだと考えてみると本当に生きていること自体が素晴らしきことなんだと思わせてくれますね。


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