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自由律文章  作者: 薄氷
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自由律文章

 ふと自分の人生の分岐点というものを考えてしまう。人には人それぞれの人生の分岐点というものが存在しているだろう。こんなことをやっていたからだとか、こんな偶然がきっかけになってとか、それは人それぞれあるはずだ。そもそもそんなものがない人間なんてまるで面白みがない生活、生涯を送ってきたんだろうなと思ってしまうほどに。だから事人生の成功話であったり、経験話、笑い飛ばせるような失敗談であるような内容ならなおさら面白いだろう。


 ただ、今回書こうと思っている私の人生の経験話は、そんな笑い飛ばせるようなものではなく、この通過点を経ることがなければ今の自分よりも絶対に良くない方向に行っていたんだろうなと思った話をします。大体の人も受験時代にだとか、就職のときにとか大きな環境の変化を迎えるときに経験することだろうと私は思っていますが、私はそんな分岐点を常人よりも多く迎えたのだろうなと思っています。そのおかげで今の自分はよりよい人生を、毎日を歩めているのだろうと思います。何も変化のない人生が理想だろうという考えを持つ人だっています。それはそうだと、人それぞれだと、私も思っていますが、「それって楽しいのでしょうか」確かに、安定するという意味では苦労も不自由もないんだろうなと思います。ただ面白さとか、楽しいという面で物事をとらえるのだとすればどうしようもなく面白いのだろうかと考えてしまう。それならば自分を苦境というか、挑戦者の身においていろいろなことにチャレンジする方が楽しいのではないかと思ってしまいます。


 そんなことを長々と言うのも見づらくなってしまうので、そろそろ私の経験談を話しましょうか。それでは、小学一年生に経験したことを話そうと思います。

 小学一年生の春、入学に心躍るはずのピカピカの一年生に囲まれる中、私は文字を書くという何気ない動作がとても苦手でした。別に障害を持っていたというわけではなく、単に字が極端にへたくそだったわけです。そんな自分ですら識別するのが難しい字を書いている時点で、勉強というスタートラインに立てるわけもありませんでした。まるで勉強ができない(字が読めない時点で担任の先生も識別できません)状態から私を救ってくれたのが、当時の一年生の担任を担当してくれていた先生でした。先生は自分の時間を削って、他の小学生が帰った後に一時間、毎週私の勉強を、さらに言えば字を見てくれました。それのおかげで二年生になるころにはまだ勉強は苦手でしたが、字はだいぶまともになりました。この出来事がなかったら、それはもう勉強どころではない生徒だったのでしょう。本当によかったと、今でも思います。

 次にまた経験談を語るときは、また文章が思いつかなかったときです。では。


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