第5話 逃避行という選択
「――――って事だ」
「ヨシュケの言いたい事は分かった」
精気の抜けたような表情をしているであろう俺は、娼館主と顔を突き合わせてローゼを手放すよう必死に説得した。
俺の話を聞いた娼館主は言う。
ローゼが奴隷契約もしてないのに従順だったのは、奴隷商から『娼婦とは修道女の役割の一つ』などと言われたのを真に受け、自分の意思でここにきたからだと。
なんでも娼館主が懇意にしている奴隷商は、上物であれば丁重に扱い、言葉巧みに言いくるめ、奴隷紋のない女性を売り込んでくるそうな。
しかも、娼館によって必要な知識や技術が違う為、上手く意識を誘導するだけで余計な事は教えない徹底ぶりで、非常に重宝している娼館主は、その奴隷商から何度も女を買っているのだと言う。
俺がこの娼館を贔屓にしているのも、奴隷紋の無い嬢が多い、という理由がある。奴隷紋が目につく嬢だと、金で売られたり攫われてきたのか、などと勘ぐってしまい、可哀想な気持ちが湧いて気分良く抱けないのだ。
(あっ、そういえば奴隷って、首を一回りする首輪みたいな奴隷紋があるんだった。久しく見てなかったから忘れてたな)
ローゼの首に奴隷紋はなかったというのに、その存在を失念していた俺は、バカ正直に『ローゼって、奴隷なの?』などと尋ねた事を思い出し、少しだけ恥ずかしくなった。だがそんな事はもうどうでもいい。
「少々お高い娼館をやってる以上、そんな問題が起こるのは覚悟の上だ。つってもよ、御令嬢が純潔であればこのまま開放して、しらばっくれるのも可能だった。でもな……」
「俺は客だぞ。出された商品を正規の値段でいただいた。何もおかしくないだろ」
「それはそうなんだが……純血を散らした実行犯はヨシュケだよな?」
「……わかってるよ。だから俺が責任持って身請けをするって言ってるんだ。文句ないだろ」
「ああ。まあそういう事で、あの女はウチとは無関係だった。それで頼むぜ」
「任せてくれ……」
娼館主としては大赤字になってしまう話だったが、俺がローゼの身請けをする事はすんなり決まった。
そもそもローゼを身請けするのは、俺が隷属してしまったからだ。そしてそれは、ある意味で娼館主を救ってやった事になる。
伯爵令嬢などという大問題を抱えた商品を入手した娼館が、それを知らずに商品の純血を散らして欠陥商品にしてしまった。しかしながら、そもそも娼婦という商品を扱う娼館として、仕入れた娘を客に提供するのは当たり前の事だ。
とはいえ、そんな事が伯爵家にバレたら娼館主は首を撥ねられるだろう。
一方の俺は、この娼館に近付かなければ何の問題もない。――本来は。
しかし俺は、ローゼを奴隷にしてしまった。ステータス表記をごまかせない以上、純血がどうのは二の次だ。ローゼのステータスに”奴隷”の表記があり、その主が俺となっている限り、伯爵家の標的は俺なのだから。――まだ見られていないが。
だから俺は、商売を始める準備資金として貯めに貯めた金を、身請け金として娼館主に渡した。
しかも間の悪い事に、冒険者を辞めて商売を始めようと踏ん切りをつけたのは今日だ。それもこの娼館に向かっている最中だったというのに、その日に貯蓄がほぼ無くなってしまった……。
(それにしてもローゼは、本当に無知な上に素直なんだな。奴隷商の言葉を鵜呑みにして、娼婦が修道女の役割の一つだと思ってたって訳だもんな。――で、『性女は聖女の見習い』とか教えたのもこの奴隷商だろうな)
碌でもない事を教えた奴隷商も大概だが、それを鵜呑みにしたローゼに頭が痛くなる。彼女にまともな思考能力があれば、娼館にくる事もなかっただろうに、とグズグズ考えながら、俺はローゼの待つ部屋へ戻った。
「ローゼの面倒は俺が見る事になった」
「ご主人様がずっとわたしくしのご主人様ですの?」
「ああ……そんな感じかな」
”身請け”という言葉を使いたくなかった為、俺がローゼの面倒を見る担当者なのだと伝えたつもりだ。
「わかりましたの。幾久しくよろしくお願いいたしますの」
「お、おう」
(なんだろ、プロポーズの返事のような言い草だな。ちょっとドキッとしちゃったよ)
「まぁそんな訳で、明日は街で買い物して準備ができたら旅に出るぞ」
「旅、ですの?」
「そうだ」
ローゼが聖女を目指せない事実は覆せない。――あえてその事は伝えない。
それはそうとなぜ旅かといえば、ローゼの隷属を解消するまでの時間を稼ぎ、伯爵家から逃げる為、謂わば――
旅という名の逃亡、”逃避行”だ。
「でもわたくし、この娼館修道院で娼婦として民を慰める仕事がありますの」
困りましたの、とか言ってるローゼは、もしかすると娼婦が天職なのかもしれない。
「まあなんだ、ローゼは世の中を知らなすぎる。今のままでは、民が本当に望む癒やしを与えられないだろう」
「そう、ですの……」
(うっ……、ローゼに悲しい顔をさせてしまった。だが今は許してくれ)
「その為の修業だ」
「修行ですの?」
「ああ。ローゼが邸を出たのは今回が初めてだ。当然、買い物をした事もなければお金の種類や価値も知らないだろ?」
「知らないですの……」
「知らない事だらけでは、民が本当に苦しんでいる事にローゼは気づいてあげられない。それで聖女になれると思うか?」
(実際は、聖女どころか修道女にもなれにんですけどね! 俺の所為で……)
「無理……ですの」
ベッドの上で膝を抱えたローゼは、心底悲しそうな表情になってしまった。
「だからこその旅だ。まずは冒険者になり、あちこちを巡って様々な事を覚える」
「冒険者ですの?」
「そうだ」
「わたくしの両親は冒険者でしたの」
冒険者と聞いて、ローゼの表情が一気に明るいものに変わった。
「伯爵なのに?」
「はいですの」
(ローゼの親は、貴族なのに冒険者なんてやってたの? いや、貴族だからこそか)
不思議に思った俺だが、ふと思い出した。
どんなクラスであれ、レベルを上げるには魔物を倒すのが一番てっとり早い。そのため、仮に戦闘クラスでなくても冒険者になり、手っ取り早くレベルを上げる貴族がいるという事を。
(まあローゼの親も、パワレベとかで一気にレベルを上げて、それから貴族の仕事をいてるんだろうな)
「ですが両親は、魔力の殆どないわたくしに冒険者は無理だと言いましたの。わたくしも冒険者になりたかったんですの……」
俺はローゼのスキル構成を確認していないが、伯爵令嬢などという平民では見る事のないクラスなのだ、きっと戦闘向きのスキルはないだろう。
「ローゼはどんな冒険者になりたいと思ってる?」
「せっかく”攻魔の才”の加護があるのですから、攻撃魔術を使ってみたいですの。今もわたくしの体中を巡る魔力を、ドッカーンと放出してみたいですの」
「いや、室内で使うなよ」
「魔力が殆どなかったからこそ、どうにか魔術が発動できるように勉強してましたの。当然、魔術が危険である事は知ってますの」
何も知らない無知でちょっとアレな娘だと思われたローゼだが、伯爵令嬢なだけあって、必要な教育はしっかり受けていたようだ。一般常識は皆無だが……。
「魔術も楽しみですけれど、いろいろな事をたくさん学びたいですの。それと、ご主人様をご満足させられるようなご奉仕も、しっかり覚えたいですの」
「なんで俺?」
「わたくしは未熟者ですの。民をしっかり癒せるように、未熟な私を既に知ってらっしゃるご主人様に、十二分にご指導していただきたいんですの。そしてご主人様をご満足させられるようになれば、わたくしも立派な娼婦ですの!」
「…………」
「性女は聖女の見習いですの! 性女を極めるには立派な娼婦になればいいんですの! そしてどこに出ても恥ずかしくない娼婦になれば、わたくしは民を癒やす事ができますの!」
「…………」
とんでもない事を口走っているローゼだが、彼女は性女が聖女の見習いだと本気で思っているのだろう。だからこそ、娼婦の仕事に嫌悪も侮蔑も羞恥などもなく、本気で立派な娼婦になりたいと思っているに違いない。
だが俺は、ローゼを下々の者に抱かせるつもりなどない。無事に隷属契約を解除し、ちゃんとした修道院に送り届け、まっとうな人生を歩んでもらうのだ。
(あーでもローゼって、まだちょっと若いけど単純に俺好みなんだよなー。それに大金も叩いたし、隷属解消してお別れってのも切ないな……。でもローゼの純血を散らした事が伯爵様にバレたら事だし、無事に縁を切る事だけを考えるべきなんだよな。――――!)
煮え切らない思いを内心でグズグズと考えていた俺は、とある事に気付いてしまった。
「…………」
(隷属契約を解消しても、ローゼは非処女になっちゃったから修道院に入れないじゃん! 処女検査みたいなのがあるか分からないけど、もし非処女がバレて修道院から伯爵家に連絡が行ったとしたら、きっと純血を散らした憎っくき奴を探すよな……)
俺は愕然としてしまう。
「…………」
(隷属解消しても、結局ローゼを開放できないって事か? いや、ローゼを上手く言いくるめて他の奴が相手だったと言わせる? それとも、本当に他の奴に抱かせて、上手く俺の記憶だけを消すとか?! いやいや、そんな都合良く事が運ぶ訳がない。それに、ローゼが他の男に抱かれるのってのも嫌だし。現状のローゼは俺しか男を知らないし、女神のような美しい少女を知ってるのは俺だけなんだよなー。ちょっとした優越感ってやつ? こうなったらこのまま、ローゼを嫁にしちゃうか?! ……はやまるな俺! 落ち着け俺!)
極限状態に追い込まれた俺は、思考が現実逃避を始めてしまう。
俺は長期間ヒモ生活をしてきたが、それでも女性を大切に扱ってきたつもりだ。このような自己保身に走った事はない。
しかし、”なんかヤバい”という認識しかない貴族という未知の存在に対し、必要以上に恐怖が俺を追い立てるのだ。
「…………」
(今はいろいろ考えるのを止めよう。まずは隷属契約の解消、それだけを考えるべきだな)
「ご主人様、わたくしなんだか楽しくなってきましたの。早く娼婦に必要な性技の訓練をしますの。性女は一日にして成らず、ですの!」
(そういえばこの娘、娼婦に対して妙に前向きなんだよな)
ローゼの無意味な前向きさに、俺は頭が痛くなる。
そして、今後のローゼがどうなるか不明だが、クラスチェンジに情婦系の変な選択肢が出ないように、体の関係を持つのは本気で止めておくべきだと思った。
(とりあえず性技は他の事を覚えてから、とかなんとか適当に理由をつけて後回しにするか)
「よし、飯を食おう」
「はいですの。食後は娼婦に必要な性技のお勉強ですの? あ、可能でしたら、なるべく痛くないようにしてほしいですの」
「…………」
照れるでもなく、楽しそうに性技の訓練を申し出てくるローゼを見て、俺は胃の辺りをさする。
(食後はどうやって申し出を断ろう……)
時間はまだ昼過ぎ。寝るには早い時間であり、場所は事を行うのに特化した娼館の一室。
無邪気な天然令嬢によって、俺はひっそりと追い詰められていたのであった。