第4話 聖女に至る過程に性女はねーからな?
――ローゼのステータスが表示されていた。
名前:アンネローゼ・フォン・シーベルグ
種族:人族
年齢:14歳
性別:女
職業:貴族令嬢/奴隷
クラス:【初級】伯爵令嬢 レベル21
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【隷属主】ヨシュケ・ムトゥー
ローゼの正式名に”フォン”があったのでなんとなく察していたが、職業の欄にハッキリと”貴族令嬢”とあったのには驚いた。
そして驚き以上に、”奴隷”の文字を見て嫌な予感がしてしまう。
しかしそれは、ローゼが没落した貴族家から奴隷落ちし、この娼館にいる所為だと愚考する。名前に貴族の証である”フォン”が含まれているのも、まだ正式に処理されていないからに違いない、と。
だが何より、ステータスを読み飛ばして一番下の項目に目を向けると【隷属主】ヨスケ・ムトゥーの文字。これを目にした俺は、ガックリと項垂れてしまう。
(どーすんだよこれ……)
「ご主人様、どうしましたの?」
(もしかして、奴隷として買われてきたローゼを、勝手に俺の奴隷にしちゃったって事?! それって、娼館の持ち物を俺が勝手に奪った事になるよな? だとしたら、ローゼを娼館から身請けしないと不味いんじゃないのか?)
考えれば考えるほど良くない方向にしか思考が行かない俺は、光を失いどんよりと濁っているであろう黒い瞳で、キラキラと輝くローゼの紅い瞳を見つめた。
しばしの間、沈黙が場を支配する……が、その沈黙を破ったのは俺だ。
「ローゼって、奴隷なの?」
俺はド直球の質問をローゼにぶつけた。
新人娼婦のローゼは将来必ず美人になるどころか、14歳の現状でも美少女だ。しかも、伯爵令嬢などという本物のお嬢様である。そんな娘を、はした金で身請けできるはずがない。
それを考えると、意図した事ではなくとも、ローゼを隷属してしまった事が恐ろしくて堪らない。だからこその質問であった。
「奴隷? はいですの。わたくしはご主人様の愛玩奴隷ですの」
「いや、そういうんじゃなくて、『奴隷としてこの娼館に売られてきたのか?』って事が聞きたいの」
「ん? それは違いますの」
「ほ、本当か?!」
「はいですの」
(良かったー。とりあえずローゼの身請けはしなくても大丈夫そうだな)
「わたくし、聖女を目指してますの。その為に伯爵家を出てきましたの」
「え? 実家が没落して、身売りしたんじゃないの?」
「没落? さっきからご主人様は、おかしな事ばかり言いますの。わたくしの実家であるシーベルグ伯爵家は、没落などしておりませんの」
(だったらなんで健在している伯爵家の令嬢が娼館にいるんだよ!)
俺は叫びたくなるのをぐっと堪え、心の中だけで押し留めた。
「わたくし、魔力は殆どなくても”攻魔の才”がありますの」
それは既に聞いている。
「そして叔父様……ではなく、お父様はこう言いましたの。『魔力が少なくとも、お前には”攻魔の才”がある。攻魔と言えど魔術の才能だ。ならば、お前は聖女になれる可能性がある』と」
(いやいやいや。攻魔って攻撃魔術の事だぞ。どう考えても聖女に結びつかねーよ! それに、お父様と言う前に叔父様って言ってたよな? お貴族様特有の、なんか複雑な家庭事情でもあったのか?)
「なあローゼ、お前にはここが修道院に見えるのか?」
この世界は、所謂一般的な西洋中世的でありながら、魔術の技術によって中世と近世が混じり合ったような、少々チグハグな進化を遂げている。創作物で言われるところの西洋中世風の世界だ。
そしてこの娼館は石造りだが、室内は板張りの床に腰板や漆喰、革壁などで綺麗に装飾され、窓は色付きではない透明なガラスで、数は少ないが調度品などで良い雰囲気を醸し出している。
同じ石造りであっても、室内まで石が剥き出しな修道院と、どう見ても同じには見えない。
こんな淫靡な修道院があって、ローゼみたいな母性を感じさせる美少女の修道女がいたら、世の中の男性の多くが用もないのに修道院通いをするだろう。――俺ならそうする!
「わたくし、初めて訪れた修道院がここですの」
「聖女を目指してるのに、今まで修道院に行った事がないの?」
「……お、お恥ずかしながら、わたくし今まで、邸の敷地外に出た事がありませんでしたの」
「14歳なのに?」
「はいですの……」
顔を赤らめ、短い言葉が尻すぼみになっていくローゼ。それがまた可愛らしいのだが、俺は鼻の下が伸びそうな顔と気持ちを引き締める。
「じゃあ、仕事内容がおかしいとか思わなかった?」
「修道女は、民の体や心を癒やすと教わりましたの。なのでこのお仕事は、ご主人様を気持ち良くさせる事で、体と心を癒やすのだと気付きましたの。――痛いのには少し驚きましたの……」
(この娘いくらなんでも無知すぎない? 純粋培養のお嬢様って、みんなこんな感じなの? この世界で18年生きてるけど貴族との縁なんてなかったから、俺は貴族の常識なんて知らんぞ)
確かにこの世界の修道院は、回復や解呪などが使えるクラスの者が、祈りを捧げにきた者を癒やしている。しかし、娼婦的な癒やしなど与える筈がない。むしろ生娘でなくなれば神殿に送られるのだから。
その神殿も、過去には神聖娼婦という癒やしの存在がいたようだが、現在は神殿でもそんな事はしていない。だからこそ娼館があるのだ。
「いいかローゼ、ここは娼館でお前は娼婦だ」
「はいですの。ここは娼館修道院で、わたくしの修道女としての役割は娼婦ですの」
(何その修道院)
「わたくしは娼婦として、性女のクラスを極めなければなりませんの! 性女は聖女の見習いですの!」
(ちょっと待て、性女は聖女と対極に位置するクラスだぞ! どこで教わったのか知らないけど、聖女に至る過程に性女はねーからな?)
情婦系の派生クラスの初級が遊女で、その上位クラスである中級が便女、上級が便姫となり、最上位クラスが超級の”性女”である。
聖女が女性神官系の最上位クラスであるように、性女は娼婦などを生業とする者が目指し、正当進化を果たした頂点のクラスだ。どう間違っても、性女は聖女の見習いなどではない。
本気で聖女を目指している、または既に聖女になっている者がローゼの言い草を耳にすれば、温厚な彼女らでも助走をつけて殴るレベルだろう。
「それ本気で言ってんの?」
「本気ですの」
(天然ってマジ怖い。――ってか、このままローゼを娼館で働かせるのは不味いんじゃないか? いや、何か問題があっても、それは客の俺じゃなくて娼館が責められるだけで、きっと俺は大丈夫だろう)
「わたくしは初めてのお仕事で、勝手が分からず痛くて泣いてしまいましたの。ですがご主人様は、気持ち良かった……ですの?」
「え、あ、はい……」
「良かったですの」
(その笑顔が眩し過ぎる。……眩しすぎて、本当の事を教えてあげたい。でも教えたら……)
「…………」
(俺、本当に大丈夫か? ローゼの親は、この娘を聖女にしようと思ってたんだよな。聖女って、処女じゃないと駄目なんじゃね? それ以前に、非処女は修道女にもなれねーんじゃね? 俺、ローゼの処女を奪っちゃったんですけど)
「…………」
(しかもローゼのステータスに、『【隷属主】ヨシュケ・ムトゥー』ってあるんだよな。もし鑑定士がローゼのステータスを見たら、俺がローゼを隷属してるのを知られるよな……)
「…………」
(俺、超絶大ピンチじゃん! どうする? …………ん、ちょっと待て。契約ができるなら破棄もできるんじゃないのか? 今ならクーリングオフも可能だったりして。――とりあえず自分のステータスを確認してみよう。きっとスキル説明とかある筈)
「――なんで?!」
「ご主人様?」
(ステータスが見れない! どうして? さっきは見えたじゃん! なんでだ?!)
「…………」
(鑑定! ステータスオープン! 閲覧! おい、なんで見れなくなってんだよ! 神様ー、女神様ー、アンネミーナ様ー、助けてー!)
「…………」
(何も起こらない……。どうしよう……)
「ろ、ローゼの実家は何処にあるんだ?」
「実家でしたら、帝都の北側にありますの」
(なんか嫌な予感が……)
「わたくしの住んでいた邸は、ダイッニーという町にありますの」
「……近くに、ハジッマーリって村はあるかな?」
「ありましたの。行った事はないですけど、地理の家庭教師に教わりましたの」
「ああ……」
ハジッマーリの村は、俺がこの世界にきて初めて立ち寄った集落だ。そしてダイッニーの町は、冒険者となった俺が本拠地としていた地である。そして、結婚して家庭を持った俺が数年暮らしていた町でもあった。
(領主の名前とか知らなかったけど、よりによってあそこの領主の娘かよ。いい思い出がないんだよな……)
俺たちが生活しているトレランツ帝国の帝都は、大陸西端の海岸沿いにある巨大都市だ。広大な国土を有し、端から端に移動しようと思えば数ヶ月の時間を要すると言われ、呆れるほど広い。
そして現在俺が腰を据えている地は、帝国中央にある第二帝都や新帝都とも呼ばれる交易都市の南にあり、ローゼの実家があるダイッニーの町からここまで急いでも半月、通常移動で一月以上はかかる距離だ。
ローゼが何故こんな離れた町の修道院――実際は娼館だが――にきたのか分からない……いや、きっと攫われて売られてきたのだろうから、極力離れた場所に連れてこられてのだろう。なんにしても、出会ってしまった事実は覆らないのだ。
俺は頭を高速回転させる。
ローゼはいつか実家に戻るだろう。そのときローゼが奴隷のままで、その主が俺だとバレてしまった場合、アイツらが指名依頼を受けて俺を探しにくるかもしれない。あれから15~6年経っていて、既に冒険者を引退してる可能性も十分ある。できればアイツらと顔を合わせたくない。――そもそも誰が探しにこようとも、伯爵に狙われた時点でアウトだ。どうすれば……。
そんな事を考えている俺の隣で、ローゼが「ふぇっ……ふぇ……」とか言ってるかと思えば――
「くちゅん……ですの」
と、可愛いくしゃみをした。
シーツのようなペラッペラな肌掛けを体に巻いているだけだ、体が冷えてしまったのだろう。
「悪いなローゼ。風呂に入って体を温めてくるといい」
「…………」
「そうしたローゼ?」
なにやら俯いてもじもじしているローゼ。
意を決したのだろう、ちょっと垂れ目の愛らしい紅い瞳をうるませて、上目遣いで口を開く。
「……ひ、一人でお風呂に入った事が、あ、ありませんの」
(何この表情。これで落ちない男っているの? いや、いない! だがそれでも俺は惑わされない!)
「そ、そうか……」
「…………」
(そんな貌で見つめるな!)
「……じゃあ、一緒に入るか?」
「は、はいですの!」
目をうるませ庇護欲をそそる表情で俺を見つめていたローゼだが、俺の提案を聞くとぱぁっと花が咲いたような満開の笑みを浮かべた。
一方の俺は、簡単にローゼの誘惑に負けて妙な提案をしてしまった。だが、既にローゼの純血を散らしてしまったとはいえ、伯爵令嬢と一緒に風呂に入るという事が後々問題になるのではないかと思い、急に恐ろしくなって怯えてしまう。
「体がぽっかぽっかですのー」
「そうか、良かったな」
「はいですの。わたくしもご主人様を洗って差し上げられるように、これから頑張って覚えますの」
「いや、覚えなくていいと思う……」
風呂から上がりって白磁のような白い肌を紅潮させ、ビックリするほどハイテンションのローゼ。
風呂に入って体が温まったというのに、血の気が引けてローテンションな俺。
対称的な俺たちはとりあえず服を着ると、仲良くベッドの端に腰掛けた。
「ローゼ、俺は館主と少し話がある。寝てしまってもいいから、ゆっくり休んでいてくれ」
「わたくしは行かなくてもよろしいんですの?」
「かまわない」
「わかりましたの」
ローズゴールドの髪から湯気を立ち上らせ、ほわほわした様子のローゼは、おとなしく言うことを聞いてくれた。
幸せそうな表情のローゼに背を向け、すっかり表情の抜け落ちた俺は、重い足取りで部屋の出入り口に向かうと、重厚な鋼鉄の扉でも開けているのかのようにゆっくりと木の扉を開け、遅々として進まぬ足取りで部屋を後にした。