第23話 ネチョネチョして気持ち悪いですの!
「思ったより明るいですの」
ダンジョンの第1階層に降り立った――シューレーンダンジョンは地下へ潜っていくタイプ――ローゼの第一声は、少し気の抜けた感想だった。
「出入陣のある部屋は、邸で言えば玄関ロビーとかエントランスだ。このダンジョンはギルドがしっかり管理しているから、すべての出入陣がある部屋に、しっかり明かりが用意されているぞ」
その証拠に、別の出入陣からダンジョンに入ってきた冒険者が、広々とした空間のあちこちから姿を現してきている。まさに玄関といった様相だ。
「他のダンジョンは明るくありませんの?」
「場所によりけりだな」
しかもシューレーンダンジョンの上層階は、道中も明かりが用意されている親切設計なのである。
(ちょっと甘やかし過ぎだよな)
「わぁー、神秘的な光景ですのぉ~」
回廊のひとつに足を踏み入れると、ローゼが感嘆の声を漏らした。
「洞窟に多めのヒカリゴケが、薄っすら明かりを灯してるだけだけどね」
「ご主人様は風情? 情緒? とにかく分かっていないですの」
「ここは観光地じゃないからな」
まだ真剣味のないローゼだが、多少は怖いのだろう、俺の左手をいつの間にか握っていた。
(強がって無理やり作ってる笑顔もかわいい)
「ところで、ここが何処だか分かってる?」
「ダンジョンの中ですの」
「そのダンジョンの中の、何処にいるのか聞いてるんだけど」
「……入り口の近くですの」
「何番目の入り口の近く?」
「ひ、左……真ん中の方ですの」
「…………」
「…………」
昨夜、俺はダンジョンの地図をローゼに渡している。しかも、ダンジョンの注意事項やすべき事も伝えてあるのだ。
しかし、ギルドの初心者講習を机上の空論と行っていたローゼだ、きっと俺の言葉も聞いていなかったのだろう。
「まあ、言葉だけじゃ覚えられないよな」
「そ、そうですの。わたくし、体で覚える質ですの」
微妙な言い回しのローゼだが、この娘には実践しながら覚えさせるのが一番の近道なのだろう。
(その割には、未だにボタンの扱いは上達しないんだけどね)
「まず、オレたちが入ったのは3番の入り口だ」
「3番……これですの」
地図を広げたローゼに俺は自分たちの入った入り口を教えた。
「一番左が1番、ど真ん中が5番、一番右が9番だ。だからオレたちが入った3番は、左と真ん中のど真ん中って事だ」
出入陣のあるロビーは半円状になっており、縦横がそれぞれ3メートルくらいの入り口が等間隔で9つある。
「だいたい合ってますの」
ローゼが本気でポンコツに思えてきた。
「なあローゼ、お前さんは独りでもやっていける冒険者になりたいか? それとも、自分の得意な分野だけを伸ばす、パーティの一員としての冒険者になりたい
のか?」
この質問は以前にしているが、あえてダンジョン内でもう一度してみた。
「わたくしは、どちらもこなせる冒険者になりたいですの」
「だったら、自分が何処にいるのか把握する努力は必要だな」
「ごめんなさいですの」
「いや、俺がわざと教えなかっただけだ。ローゼは悪くない」
「ですが、わたくしは既にご主人様から教わっていますの。それなのに、注意して行動できませんでしたの」
それが自覚できているなら問題ない。
ローゼは本人も言っているとおり、体で覚える質だろう。だから、頭ごなしに教えても理解できない……ではなく、理解しないと思う。一度失敗して、その時に教えたほうが飲み込めるタイプだ。そして上手くできたら褒める。
まさに飴と鞭が効果的な性格と言えよう。
序盤は、とりあえず周囲を警戒しながら進む事だけを伝え、とりあえず歩く。
実はこのダンジョン、序盤は90%罠もなければ魔物も出ない。ただし、10%の確率で罠なり魔物の出現がある為、完全に気を抜けない作りになっている。
とはいえ、罠は足を引っ掛けてつんのめるようなしょっぼい物で、魔物もゴブリンが単体で現れるか、嫌がらせの為に存在しているアイツくらいのものだ。冒険者を名乗る者であれば、命の危険はほぼない。
「ご主人様、何もありませんの。これなら、さっさと先に進んだ方が良いのではないんですの?」
そしてこういう事を言い出す。
「じゃあそうしよう」
「はいですの」
俺から了承の言葉をもらったローゼは、案の定無警戒で速度を上げた。
そして――
「きゃっ! な、なんですの?!」
「スライムだな」
嫌がらせの為に存在しているアイツから、新人冒険者がまず最初に受ける洗礼が、スライムのネチョネチョ攻撃だ。
「ご、ご主人様、ネチョネチョして気持ち悪いですの!」
「警戒を怠った結果だな」
このダンジョンは本当に良くできており、新人冒険者の心理を心得ている。
「ど、どうすればスライムをやっつけられますの?」
「核を壊せばやっつけられるよ」
このスライムに殺傷能力はなく、単なる嫌がらせをするだけで、人間をどろどろに溶かしたり、都合よく衣服や装備だけを溶かすような事もない。
これが他の魔物と一緒に現れると、スライムに動きを制限されている間に他の魔物から攻撃を食らう事になるが、スライム単体では何も怖くないのである。
「助けてほしいですの」
「はいよ。――ほれ」
俺は水色でスケスケのスライムの中に一際目立つ真っ黒な核を、剣先で一突きした。すると、先程までローゼに絡まってネチョネチョしていたスライムが、その動きをゆっくり停止させる。
「もうやっつけましたの?」
「うん」
「でもまだネチョネチョしてますの」
「もう少ししたら、スライムは地面に吸収されて跡形もなくなるよ」
ローションまみれのローゼは、いつになく色っぽく見えるが、欲情したら俺の負けなので、極力変な目で見ないようにしている。
「スライムが跡形もなく吸収されますの?」
「そう」
「ですが、草原でやっつけたゴブリンは、地面に吸収されませんでしたの」
「ああ、それは地上の魔物とダンジョンの魔物の性質が違うからだな」
詳しく解明されていないが、ダンジョンの魔物は、殺されると壁や地面に亡骸が吸収され、再びダンジョン内で蘇るとされている。
一方地上の魔物は、死骸が人間や動物と同じように、ゆっくりと風化していく。
その証拠……と言う訳でもないが、食用に適した魔物は、地上では解体して可食部分を剥ぎ取っても消滅しない。同様に、皮や牙と言った装飾具に使える素材も、やはり剥ぎ取れる。
しかしダンジョンの魔物は、死亡後はものの数分で跡形もなく消えてしまう。しかし、肉や牙などはドロップ品としてその場に残るのだ。
「ではこのスライムも、何かドロップするんですの?」
「低位の魔物はたまに何かドロップするけど、確定ドロップはないな。ちなみにスライムは、ドロドロの液体の入った小瓶をドロップする」
「ドロドロの液体は何に使いますの?」
ローションの原料として使われるのだが、ローゼに教えるのは止めておく。
『ローションってなんですの? まあ、それがあればご主人様を気持ち良くして差し上げられますの。さあご主人様、性技の練習をしますの』
ルビーの如き紅い瞳を輝かせ、ローズピンクの髪を楽しそうに揺らすローゼの言動が、過去に見てきた事実かのように、俺の脳内で見事に再生された。
(絶対に教えちゃダメだな)
「何かの材料となってるっぽいな。俺は良く知らんけど。――それと、どんなに低位の魔物でも、必ず魔結晶は落とす」
「魔道具などの動力となるあれですの?」
「そう、あれ。――ギルドでは何の魔結晶か判別できるから、魔物毎に定められた値段で買い取ってくれるんだ。だから、何もドロップしない魔物でも、多少の収入にはなる」
魔術士などは魔結晶から直接魔力を吸い上げ、自分の魔力に還元するらしいが、魔力が有り余ってるのに使えない俺は、すべてギルドで換金している。
(いずれはローゼの予備魔力用に、魔結晶を取っておく必要があるかもな)
「本当にネチョネチョがなくなりましたの。――そういえば、スライムの魔結晶は何処にありますの?」
「破壊した核の中にある。ほらこれな」
俺は手にしていたスライムの魔結晶をローゼに渡した。
「核を破壊した際に、魔結晶は破壊されませんの?」
「魔結晶は余程の破壊力か技術がないと、砕いたり穴を開けたりできないらしい」
「凄いですの」
さて、ほのぼのタイムはここまでだ。これから失敗の注意をしないとな。
俺はサディスティックなタイプではないと思っていたが、なんだかローゼには意地悪したくなる。まるで、小学生男児が好きな女の子にちょっかいかけるように。
(俺って虐待児童だったから、もしかするとそんな願望があったのかな?)
虐待児だった俺は、この世界で18年も性活……もとい、生活していた事で、当時と変わらぬ性格の部分もあれば、かなり変わった部分もある。もしかすると、体が15歳当時に戻った事により、若かりし頃の暗い部分が浮き彫りになってきている可能性も……。
俺は自分でも分からない自分に多少の恐怖も感じたが、危険が少ないとはいえここはダンジョンの中。まずは今すべき事をしよう、そう気持ちを切り替えた俺は、自分でも分かるほど口角を上げ、ローゼににじり寄った。




