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第22話 心構え

「明日が楽しみですの」


 初心者講習が終わって食事を済ませ、宿に戻る間もずっとご機嫌だったローゼは、宿に戻ってからもテンションが上がり続けている。


「すっかり浮かれてるけど、注意事項とか教わった事は覚えてる?」

「なんとなく覚えてますの」

「どーしてなんとなくなんだよ」

「百聞は一見に如かず、ですの。机上の空論などではなく、現場で直に見て体験する事のほうが大切ですの」


 もしかしてローゼは、伯爵家で一般常識を教えられなかったのではなく、この調子で家庭教師の話を聞いていなかったのではないだろうか。

 なにせローゼの両親は冒険者で、母に至っては『魔剣姫』などという超級クラスの戦闘民族だ。そして以前ローゼは、”落ち着きが無い”と叱られていたと言っていた。

 それら諸々を加味すると、俺はローゼという見た目が女神な少女を、少々買い被っていたのかもしれない。


「なんだか今なら、ご主人様を気持ち良くしてあげられそうですの」

「だからそれは必要ないって――」

「せめて、お背中をふきふき(・・・・)させてくださいですの! わたくしのご奉仕精神が疼きますの!」

「あ、はい……」


 ローゼのあまりにも必死な物言いに気圧された俺は、つい了承の言葉を返してしまった。

 そういえばここ数日……と言うほどでもないが、ローゼは冒険者になる事に意識が向いていた為、少々大人しかった気がする。

 だが、隷属化による弊害とも言うべき、『奉仕』と『献身』スキルが疼くのだろう。俺にはわからない事だが、何らかの中毒者が必要とするものを摂取できないような、ある種の禁断症状を起こしているのかもしれない。

 ヒルデも『奉仕』と『献身』を取得しているのだから、後日その辺りを確認してみよう。


「こうして、ご主人様のお背中をこすこす(・・・・)していると、とても落ち着きますの」

「せめてヘチマを使ってくれないかな」


 この世界にもヘチマたわしがあるのだが、なぜかローゼは素手で俺の背中をわさわさ(・・・・)洗っているのだ。


「何を仰っていますの! 肌と肌の触れ合いが良いのに、ご主人様にはその良さが分かっていませんの!?」

「それはすまんかった……」


 なぜだろうか、俺が主でローゼが奴隷のはずなのに、何も言い返せない。

 だがこれでローゼが落ち着くのであれば、俺が耐えればいいだけだ、そう思い、ローゼのご奉仕症候群が発生したら、時には付き合ってあげようと心に誓った。


(まあ、俺のほうが発散するどころか貯まっちゃうんですけどね!)


 その後、自分で自分を洗っていたローゼに寝間着を着せる練習をさせ、ようやく彼女は寝てくれた。

 とりあえず、ボタンの類がなければ少し時間がかかってでも、お嬢様は自分で服を着られるようになったので、俺の仕事が少し減るだろう。


 ローゼは寝付きが良く、それでいて眠りが深い。

 俺はローゼが完全に熟睡したのを確認すると、虚しい日課を済ませて床に就いた。


(あー、娼館に行きてー)




「おはようございますの」

「……おはよう。ってか、なんで全裸なんだ?」


 清々しくもない朝を、ローゼの必要以上に元気な声で迎えた俺の眼前に、真っ裸で腰に手を当てたローゼが仁王立ちしていた。


「自分でお洋服を脱げるようになりましたの」

「寝間着はただ被るだけだから、脱ぐのも簡単だわな。――ってか、下着を脱ぐ必要はないよな?」

「全部脱げるようになったんですの。褒めてくれてもいいんですの」

「あー、凄い凄い……」

「そ、それほどでも。うへへへ」


 できる事が増え、ひとつ賢くなった筈のローゼだが、以前にも増してダメな娘になっている気がする。いやらむしろ、何かを覚える度に何かが抜け落ちていってるような……。


(これはあれか、俺が従者の如くお嬢様のお世話をしたほうが、余程マシな気がするんだが……それって現状そのままだな)


 ローゼが世間一般の娼婦や奴隷であれば、有無を言わさず朝から一戦交えたい状況だが、俺にはただ忍耐力を鍛える状況でしかない。

 とりあえず今日からダンジョンだ。シューレーンのダンジョンが初心者向けとはいえ、今の俺は”管理師”になったばかりでレベルが低い。初心者向けダンジョンといえど、少なからずレベルが上がるだろう。


(レベルが上がれば、きっと契約スキルに解約が現れる……はず。ローゼを鍛えつつ、俺もしっかりレベル上げに励もう)


 煩悩を振り払うように現実的な事を考え、俺はローゼを従えて冒険者ギルドへ向かった。



「おはようヒルデさん」

「ヒルデさん、おはようですの」

「おはようございますヨシュケ様、ローゼ様。ローゼ様は随分と元気がおありのようですね」


 ヒルデが俺に隷属されたとはいえ、表面上は冒険者とギルド職員だ。あからさまな主従関係を公の場で晒すわけにはいかないので、言葉遣いはお互いに気を付けている。


「本日はわたくしの冒険者デビューの日ですの。やる気が満ち溢れてますの」

「あまり気負わないようにしてくださいね」

「はいですの」


 ヒルダにごきげんな様子で挨拶したローゼは、早くダンジョンに潜らないとギルド内で魔術をぶっぱしかねないほど元気だ。


「ヨシュケ様、ちょっと」

「何?」


 カウンターから身を乗り出したヒルデが、ちょいちょいっと手招きするので、俺は体を寄せてヒルデに耳を向けた。


(あー、ヒルデから甘い香りがする)


「引き継ぎ次第ですけど、一週間前後で職員を辞められそうですよ」

「結構早いな」


 今日で辞めます、がまかり通るこの世界でも、一種の公務員的なギルド職員ともなると、さすがに引き継ぎを行うようだが、それでも一週間前後で済んでしまうのは驚きだ。


「冒険者に戻ったら、私も仲間に入れてくださいね。――あ、私にも入れてくださいね」

「ブッ……! な、何言ってんだ?!」

「あらあら、いい大人がこれくらいの事で大げさな」

「……とにかく、パーティには入ってもらうけど、それまでは冒険者とギルド職員だ。余計な事は考えるなよ」

「はいはい」


 気のいいお姉さんの笑みではなく、妖艶な微笑を浮かべたヒルデは、なんかとんでもない事を言いやがった。

 浮かれているローゼは気にした素振りもないが、俺は二股がバレそうな状況で、しどろもどろになる浮気男の気分だ。


 なにせ日本では虐待児だった俺は、この世界で初めて会った女性とすぐに結婚して早々に離婚。離婚後はヒモとして女性の世話になり、冒険者に復帰してからは娼館通いをしていた。

 そんな俺だが、二股をかけた事はない。

 そもそも離婚後は、女性と関係をもっても恋愛感情はもたなかった。だからこそ、ローゼがいる状況でヒルデとアレな関係になるのは、凄くイケない気がしてしまうのだ。


(どっちも奴隷だし、本来は問題ないんだけどな……)


 俺がしどろもどろになっていると、ヒルデはキリッとした真面目な表情になっていた。そして先程より更に顔を寄せてくる。


「それともう一点、少し嫌な噂があります」

「シューレーンで嫌な噂って……」

「多分ですが、アレ(・・)が行われている可能性があります。念の為、警戒を怠らないようにしてください」


 シューレーンのダンジョンならではのアレ(・・)は、俺も耳にした事がある。

 ヒルデは自分の知っている情報を、ギルド職員として違反にならない範囲で教えてくれた。


「わざわざ教えてくれてありがとうな」

「いえいえ、私はヨシュケ様の奴隷(・・)ですからね。(あるじ)に害があれば、私も巻き込まれてしまうのですよ? なので、単なる自己防衛です」


 表情を崩し、(おど)けた様子でそんな事を言うヒルデだが、隷属の契約内容によっては主人が死ぬと奴隷も死んでしまう事もあるらしく、あながち冗談ではないのだ。それでも冗談めかして言えるのは、彼女が俺を信用しているから……なのだろう。


(俺の何処に信用できる要素があるか分からんのだが……)


 自分の優れている点を探してみたが、これっぽっちも見つからず頭をひねっている俺を他所に、ヒルダはチャチャッと手続きを済ませていた。


「ではお気をつけて」

「行ってきますの」

「行ってきます」

 

 ヒルデに見送られ、いざダンジョンへ。


「ご主人様、依頼を受けていませんけど、いいんですの?」

「ああ、特定の素材を採取する依頼はたまに出てるけど、今はローゼの冒険者としての修行がメインだからな。様子を見ながら進んで、入手した素材を換金するだけだから、しばらく依頼は受けないつもりだよ」


 シューレーンのダンジョンは、新人が鍛錬を積む専用のようなダンジョンだ。

 冒険者は各々が好き勝手に狩った魔物の素材を換金するだけなのだが、それでも多数の新人冒険者が素材を持ち込む。なので、ダンジョン産の素材は十分な量が集まっている。

 結果、余程早急にほしい素材がない限り、依頼が出ている方が珍しいのだ。


「では、わたくしがビシバシやっつけてやりますの」

「冒険者ってのは、ただやっつければいいってもんじゃない。魔物を倒すのが目的でも、倒すまでの過程が大事なんだ」

「難しいですの」

「だからそれを今から練習するんだ」

「わかりましたの」


 ローゼが浮かれる気も分からなくはないが、驚くほど好戦的な思考はどうにかしてもらいたい。


「人がたくさんですの」


 冒険者ギルドにある、ダンジョンに向かう専用の通路からンジョン前広場に到着すると、また人を見下すような目でローゼがつぶやいた。

 それを無視した俺は、ローゼの手を引いて待機列の最後尾に並ぶ。


「シューレーンの冒険者ってのは、朝の5時~8時の間にしかダンジョンに入れないから、だいたいいつもこんな感じだな」

「どうしてその時間ですの?」

「なんで知らないんだよ。本当に初心者講習を受けたのか?」

「……しっかり受けましたの」


(やっぱり、ローゼがポンコツになってる)


 シューレーンに新人冒険者が多いのは、ダンジョンに珍しい機能があるからに他ならない。

 それは、ダンジョンに入る際に使用する出入陣(しゅつにゅうじん)で、強制退出時間を設定できる機能だ。

 12時間刻みで登録できるそれは、戦闘中であっても登録した時間を経過すると強制退出させられる、という親切機能であった。

 この機能がある為、冒険者の出てくる時間がある程度限定できる。

 7時に入れば19時か翌日の7時に出てくる為、出入りの管理がし易くなるのだろう。しかも、7時に入って翌日の7時に戻る24時間設定より、12時間や36時間設定で入り、夕方に帰還する比率が圧倒的に高いのだ。

 それにより、ギルドとしては効率良く仕事ができるに違いない。


 冒険者側からすると、新人は夢中になって狩りをし、時間の経過を忘れる事がしばしばある。そうなると、気付かぬ間に疲労困憊で動けなくなり、魔物に襲われたりするのだ。

 しかし強制退出のお陰で、ダンジョン内の出入陣の部屋に辿り着けなくても、無事に戻ってこられる。

 逆に、戻りたくなれば出入陣のある部屋から帰還はできるため、無理に12時間入りっぱなしでなくても大丈夫だ。


「それは新人には心強いですの」


 ローゼはどこかホッとした表情を浮かべた。


「でもな、シューレーンに新人冒険者が集まるのは、また別の理由があるんだけど、それはダンジョンに入ってから教えるよ」

「わかりましたの」


(できれば体験させずに教えたいけど、俺次第かな)


 心に傷を負う可能性が高いシューレーンダンジョンの秘密。ローゼが知らないで済むならそれに越したことはないが、きっと知る事になるだろう。


「ご主人様、前が空きましたの」

「よし、これからがダンジョンに入る。気を引き締めろよ」

「はいですの」


 多くの冒険者が並んでいるが出入陣も複数あるので、さほど待たずに順番がやってきた。


「今日は初日だから、最短の12時間設定で行くよ」

「了解ですの」


 待ち時間に強制退出の話を聞かされた影響だろうか、ローゼの浮ついた表情が引き締まったものへと変貌していた。緊張し過ぎも良くないが、浮ついたままよりマシだ。


「設定完了っと。んじゃ、行くぞ」

「はいですの」


(多分問題ないと思うけど、俺も気を引き締めていこう)


 こうして、俺とローゼの初ダンジョン探索が開始された。


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