92 金髪
休憩時間、教室にうめがきて、
「みきちゃん、教科書貸してくれない……?」と、おそるおそる。
「いいよ、なんの教科書?」
「ありがとう! 数Ⅱの教科書……!」
みき、ロッカーからとってきて、手渡し。
「めずらしいね、忘れ物」
「あ、うん。今朝、どたばたしてて……」
「そうなの?」
「目覚まし時計の電池が切れてたの。朝練も遅刻しちゃって」
「災難だったね」
笹田家ではうめがいちばんに起きるらしく、だからこそ起こった悲劇のようだ。
みき、納得して、
「じゃ、ほかに足りないもの、ない?」
「ううん。たぶん、数Ⅱの教科書だけ」
「そっか。困ったことがあったら、いってね」
「うん、ありがとう――あ」
ちょうど、廊下に鳥羽先生があらわれた。二年生の数学を担当しており、みきのクラスの担任でもある。
「こんにちは、鳥羽先生」うめ、会釈して。
「こんにちは、笹田さん。夏井さんも」
みきもあいさつする。と、うめ、なんだか居心地わるげ。まじめだから、教科書を借りたことに、ちょっと負い目をかんじているのかもしれない。そう気にしなくていいだろうに。
と、ふいに思いだした。授業まで時間があるので、
「ちょっと聞いたんですけど」と、訊ねてみる。「鳥羽先生って、前田先生と同期なんですよね」
「え、はい。よく知ってますね」
鳥羽先生、薄く笑んで、首肯する。そうなんですか? と、うめもくいつく。
「同期というか……じつは、大学からの知り合いなんです」と、鳥羽先生。「まぁ、学部は違いましたが。前田先生から聞いたんですか?」
「はい」
「そっか。夏井さん、軽音楽部ですもんね」
情報の出どころに納得したらしく、鳥羽先生はまたひとつ、肯く。
うめ、
「学生時代の先生たちって、どんなかんじだったんですか?」
「そうですね……わたしはともかく、前田先生は別人でした」
「もしかして」と、みき。「狂犬……だったとか?」
「ふふ、たしかに、そういう通名もあったみたいですね」
「え、狂犬って?」
「わたしもよくは知らないんだけど……前田先生、むかしはトガってたって」
「いまとなっては、想像つきませんよね」
鳥羽先生、口元を隠してくすくす笑う。みき、〈狂犬伝説〉には半信半疑だったが、だんだん信よりになってきた。
とはいえ、と、鳥羽先生、
「大学時代はおとなしかったですよ。髪色は派手でしたけど、教育実習で黒に染めてからは、それっきりでした」
「髪、染めてたんだ……」うめ、意外そうに。「やっぱり、金髪とか?」
「いろいろありましたよ。銀とかピンク、青に、みどりも」
「わ、想像できない!」
「ふふ、ですよね。でも、変わったのは見た目だけです。いまでも根っこはおなじ、もんだいじ、ですから」
「え、そうなんですか?」
「ふふ」うめの問いに、鳥羽先生は微笑んで、「同僚になれば、わかりますよ」
みき、なんとなく察した。あのひとはけっこうルーズだし、学生目線でも、たまに仕事ができているのか不安に思うところがある。
でも、鳥羽先生、その「もんだいじ」を嫌っているわけではなさそうで、むしろ友達のことを話すような気安さがある。きっと、仲がいいんだろう。
「あ、わたしがいったこと、言いふらしちゃだめですよ」と、いちおう、注意される。「おふたりなら、心配ないと思いますが」
「もちろんです」
うめ、うんうん肯く。みきも、言いふらす気はさらさらない。
「では、そろそろ授業がはじまりますので」
鳥羽先生のことばで、その場は解散になった。
【戸殿ゆか ドラム担当】
軽音楽部の二年生。
マイペースで、おっとりした性格。
成績は下から数えたほうがはやい。ただし、英語がネイティブレベルなので、英語の先生だけにはよく褒められる。




