103 すきに
みき、お手洗いからでると、
「うぅ……」
トイレのまえで倒れている生徒を見つけた。
「だ、だいじょうぶですか⁉」
すぐ駆け寄る。ひとを呼ばなきゃ、なんて思っていると、
「うぅ……」女子生徒、かおをあげて、「おなかすいた……」
「……」
きゅうに脱力してしまった。
場所を移し、玄関ホールのあたり。みき、とりあえず、会場内にあったコンビニで、お茶と何個かおにぎりを買ってくる。
で、ソファに座って、たべものを与えてみた。
「たべられます?」
「神よ……」
女子生徒、よわよわしくおにぎりを頬張る。たべるスピードは、しだいにはやくなって、二個目を平らげるころにはすっかり元気だった。
「たすかった」と、女子生徒、あたまをさげる。「あともうすこしで、トイレのたま子さんになるところだった」
「そっか」
いっている意味はわからないが、いちおう、あいづちを打つ。
かわいらしい女子生徒だった。背はみきより低い。髪はふんわりした質感で、前髪をねこのかたちをしたピンで留めている。
女子生徒の制服には、見覚えがあった。紺色のブレザーで、胸には桜がモチーフの校章。
「ね、きみ、もしかして――」と、口にだしかけたところで、
「たまちゃん! こんなところにいた!」
おなじ制服を着た女子生徒が、走ってくる。みきと背がおなじくらい。長い髪を横に長し、まとめている。
「もうすぐ本番なのに、またうろうろして」
「すこしトイレに」たまと呼ばれた生徒、淡々と。「臨死体験も、少々。ね」
と、みき、同意を求められる。しかたなく、あいまいに肯く。
「あなたが、たまちゃんを見つけてくれたんですか?」と、柔和な笑顔で、「あ、申し遅れました。わたし、遠桜学園の鏑木はるです。こちらが、卜部たまちゃん」
「平川高校の夏井みきです」
「あら、やっぱり、平川高校の!」はる、ぱっと明るくなって、「午前に演奏されてましたよね。すばらしい曲でした」
「観てたんですか?」
「はい。注目してたんですよ。高校近いですし、勝手に親近感、わいちゃって……それに、わたしたちといっしょで、初出場って聞きましたから」
そういって、花が咲くように笑う。見ていて安心する表情だ。
「あ、もうこんな時間!」と、はる、たまの手をとって、「すみません、わたしたち、いかなくちゃ。あとできちんとお礼させてくださいね」
「いいですよ、そんな」
「ね、ね、みきちゃん」
たま、去り際に、耳もとで、
「曲、聴いてね。すきにさせちゃうから」
いって、ひらひら手を振りながら、連行されていく。みき、嵐のようなふたりに少々呆気にとられて、すこしして、観客席に戻る。
前田先生のとなりに座り、つぎの高校の出番を待つ。前列では、一年生がプログラムを眺めつつ、こそこそ話し合っている。
と、アナウンスが流れた。遠桜学園の出番だ。
壇上にでてきたのは、さきほど会った、たまとはる。ふたりとも、椅子に座って、たまはベース、はるはキーボードに指をそえる。
アイコンタクト。たま、「ワン、ツ、スリー」と唱えて、第一音で空気がかわる。
厚みと質量のあるベース。激しいスラップで変則的なリズムを奏でる。一方のキーボードには安定感があり、技巧的なたまの演奏をひきたてる。
たま、うたいだし。ここちよく韻を踏む英詩を、かわいらしくもエッジの効いた声でうたいあげる。そこに、はるのコーラスも加わる。
サビを超えて、間奏、キーボードがメインパートに躍りでる。一転して、感情的なメロディーラインを奏でる。
大サビへ。みき、息をつけない。やがて、三分三十秒の、圧巻のパフォーマンスがおわる。拍手の音で、それに気づいた。
退場時、たま、こちらにちいさく手を振ってくる。演奏中とはちがう、かわいらしいしぐさに、思わず笑みがこぼれる。
【卜部たま 高校二年生】
遠桜学園高等部に通う二年生。
気まぐれで、かわいいものがすき。
人並外れたベースの腕前をもつ。表情の変化に乏しく、なにを考えているのかわからないが、そもそもなにも考えていないことがおおい。




