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5 月が遠い夜

カトリーヌのマタニティブルーがかなり重症です。

苦手な方は、この回をとばして次回へお進みください。

 



 ハロルド様は私を大事にしてくれる。

 結婚後、1ヵ月経っても2ヵ月経っても優しい。

 王宮での生活に戸惑うことも多い私を、さりげなくフォローしてくれて気遣ってくれる。しょっちゅう「カトリーヌ、愛してる」と囁き、いつも本当に愛おしそうに私を抱く。

  まずいわ。このままだと私、ハロルド様のことを好きになってしまいそう……



 一体いつ嫌がらせが始まるのか? と構えていたのだが、何もないまま結婚式から3ヵ月が経ち、私は妊娠した。


 ハロルド様がどんな反応をするのか想像ができず、私はなかなか妊娠したことを言い出せなかった。

 もしかして「どうせ俺の子じゃないんだろう! 出て行け!」とかいうシナリオだったりして……うーん、すごいわ。散々優しくしておいてからの手の平返し! そして身重の身体で追い出される私……破壊力抜群の嫌がらせだ! もはや「みみっちい仕返し」というレベルではない。今までのハロルド様の優しさは、全てこの為の布石? 前振り? ドロドロの恋愛小説にも負けないシナリオですわね。ある意味尊敬しますわ、ハロルド様!


 それにしても……まさか子供まで巻き添えになるとは、全く考えていなかった。お腹の子はハロルド様の子なのに、この子には何の罪もないのに、母である私がハロルド様にビンタと足蹴りを食らわせたせいで、産まれる前から父親のいない子になってしまうかもしれない……。

 もしも本当にハロルド様がそのつもりだったら……どうしたらいいのかしら? お腹の子が不憫すぎる……離縁になっても、お父様もお兄様家族も私と子供を受け入れてくださるだろう。でも、私はともかく、子供にとってそれって幸せなの?

 実の父親に自分の子だと認めてもらえず、産まれる前から忌み嫌われて、追い出されて……人生のスタートから、そんな可哀想な目にあわせたくない。


 私は妊娠をハロルド様に言えないまま、ふさぎ込むようになった。

 主治医には「なぜ、殿下にご懐妊のことをお話されないのですか? まずは妃殿下からお伝えになるべきでございますよ。その後、私の方から定期的に殿下にご報告をさせて頂きます。」と言われた。その通りだ。まずは私がハロルド様に話すのが筋だと思う。主治医が私の頭越しにハロルド様に報告するべき事柄ではない。わかってる。これは夫婦の問題だ。

 でも言えない。

 私の妊娠を知っているのは、主治医と私付きの侍女達だけだ。

 私の心は日に日に沈んでいき、ついには突然、涙がこぼれたりするようになってしまった。私、どうしてしまったのかしら? こんなの私じゃない。どうしてこんな情けない女になってしまっているの?


 主治医からは、

「妃殿下は、ご懐妊によって心と身体のバランスが崩れて、不安定になっていらっしゃるのです。妊娠中の女性には時折見受けられることでございますが、早く殿下にご懐妊をお伝えになって、ご夫婦で乗り越えるべきです。……あの、妃殿下、大変失礼なことをお聞きしますが、殿下にご懐妊のお話がしにくいというのは、もしかしてご結婚後も殿下の暴力が続いていらっしゃるのでしょうか?」

 と心配そうに問われた。

 私は慌てて否定した。

「い、いえ、違います! ハロルド殿下は私に優しくしてくださいます。ちゃんと私から話しますから、少し待ってください」



 主治医にはそう言ったものの、やはりハロルド様に伝えられない……

 明らかに様子のおかしい私に、ハロルド様は、

「カトリーヌ、どうした? 何か悩み事があるなら俺に話してくれ」と何度も心配そうに声をかけてくれる。

 でも、ここで心を許して妊娠を打ち明けたとたん、鬼の首を取ったように「出て行け!」と言われるのかも……

 まさかそんなことはないだろうと一方では思う。だって、結婚してからは別人みたいに優しくしてくれるもの。でも、もう一方で、どうしても悪い想像をしてしまう。だって、結婚前と別人過ぎる……私が知っているハロルド様と違い過ぎて、逆に怖いと思うのも本心だ。


 そして、いつの間にか、私の頭の中は悪い想像でいっぱいになってしまった。


 私は1日中、寝室から出られなくなった。

 涙が止まらない……こんなに泣き続けるのは、お母様を亡くした7歳の時以来だ……つわりで食欲がないことも重なって、どんどん衰弱していくのが自分でも分かる。

  ハロルド様は私を心配して、数日前からは執務も取りやめて側にいてくれる。そんなに心配してくれるの? 本当に?



 一方で思い出す。あれは私が13歳でハロルド様が14歳の頃だ。ちょうど私がレイモンド様を好きになった頃……

 ハロルド様は、しかめっ面で言い放った。

「お前が女らしくないのって母親がいないからだろ。父親と兄貴だけだもんな」

 私は目の前が暗くなった。私の侍女もハロルド様の従者も顔色を変えた。

 私は震える声で、

「だったら、ご両親の揃っていらっしゃるご令嬢を婚約者になさいませ」

 とだけ言って、その場を去った。

 背後からハロルド様が、

「そんな事を言ってるんじゃない! もっと王宮に来て俺の母上に行儀作法を習えば、もうちょっとマシになるんじゃないのか!? お前、最近あんまり王宮に来ないじゃないか!!」

 と怒鳴っていた。

 私は屋敷に帰って悔し涙を流したっけ。怒った侍女がお父様とお兄様にハロルド様の事を言いつけて、それを聞いたお二人も悔しそうだったな……お兄様は、私のことを抱きしめて一緒に泣いてくださった。お父様は「あのクソガキが!!」と拳を握りしめていらした。



 私とハロルド様の間には、深くて暗い河がある……

「貴方の子供がお腹にいるの」

 何の屈託もなく言える関係だったら、どんなに良かっただろう。

 子供だって、そういう両親の元に産まれたかったはずよね……




 その夜、私は夜中にふいに目が覚めた。

 隣にはハロルド様が眠っている。

 無防備な寝顔……こんなに近くにいるのに、この人の子供が私のお腹の中にいるのに、どうしてこんなに遠く感じるのだろう……


 そっと寝台を抜け出し、寝室から続いているバルコニーに出た。

 夜空を見上げる。今夜は月が遠いのね……

 夜風が少し冷たい。自分の情けなさが身にしみる。気の強いはずの私が、どうしてこんな風になってしまっているの? ハロルド様にビンタして足蹴にまでした頃の元気は、どこに行ってしまったのかしら?


 こんな時、もしもお母様が生きていらっしゃったら、相談できたのかしら?

 ふと考える。


 お母様は、私が7歳の頃、病気で亡くなった。2年間の闘病の末だった。

 お父様もお兄様もいつも私に優しかったけれど、やはり思春期以降は男性には言い辛いことも増えた。

 仕方のないことだと思った。自分が強くなればいいことだと思ってきた。


 でも今、お母様に相談したら、どんな風におっしゃるかしら? と考えてしまう……





 いっそ、このまま妊娠のことは黙ったまま、公爵家に帰ってしまおうか?

 いえ、非常識よね。かりにも王子妃がしていいことではないわ。


 それとも、このバルコニーから飛び降りたら楽になれる?


  一瞬浮かんだ自分の考えに、ぎょっとする。


 何を考えてるの? お腹に子供がいるのよ! この子を殺すつもり!?

 ダメだ! 絶対にダメ! しっかりしろ、私!

 バルコニーの手すりにしがみつく。絶対にここを越えてはダメ! 落ち着け、落ち着け、落ち着け……一生懸命、息を整える。


「来てはダメ!」

 お母様の声が聞こえた気がした。

 こんな形でお側に行ったら、お母様はきっと悲しみ、怒るわよね。


「カトリーヌ、来てはダメ!」

 お母様……

「カトリーヌ、来てはダメよ!」

「カトリーヌ、絶対にダメ!」

 バルコニーの手すりに摑まったまま、身を乗り出す。

 私……何をしようとしてるの?

 お母様……私を止めて! お願い!





「カトリーヌ!」

 背後から、ハロルド様の声がした。

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