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7 宰相バヤン



 「いかなる責めにも服します」


 第一次日本遠征(文永の役)の報告を終えた茶丘は、そう口にして恭しく処罰の沙汰を待った。

 一拍の後に下されたクビライの言葉は、茶丘が父とも天とも頼む大カーンの言葉は、しかしどこまでも慈愛に満ちたものであった。


 「茶丘よ。わたしがお前を責めることがあろうか。お前が朕に責められるようなことをするはずなどないのだから。我らモンゴルに何が足りなかったか、ただそれのみを述べよ」



 茶丘は不覚にも涙をこぼしそうになっていた。

 

 「はっ。敗因は一を以て、準備の不足にあります。海を挟んでの戦は、増援と物資の運搬に困難がありました。打開策として、2つ……」



 最後まで言わせてはもらえなかった。

 どこからか叱声が飛んできた。


 「慎みたまえ、洪将軍。敗軍の将が兵を語るものではない」


 大カーンのお言葉に甘え、敗戦の責任を自分ではなくモンゴルに負わせようとする姿勢を卑劣と見たのであろう。

 茶丘とてそのことは重々承知であった。だが言わぬことこそが不忠に、同じ過ちを繰り返す非効率こそが大罪にあたると思い、己に鞭打つようにして無理強いに口を開いたのだ。



 茶丘の、また重臣たちのその気持ちを察したか。

 ひとつ肩を揺すって苦笑したクビライは、話題を変えていた。


 「黙っていよ。……そうであったな、大海を越えての軍事行動は我らにとっても初の試み。課題を炙り出したことだけでも十分な功にあたる。打開策など後でも良いわ。他に何か、おもしろい話はあるか?」



 そのクビライは、セチェン・カーン、すなわち「賢明なるカーン」と呼ばれた男であった。

 海洋進出は単に利益ばかりではなく、旺盛な知的好奇心によるものであったのかもしれない。


 長年側に仕えていた茶丘は、そのことをよく知っている。

 だからこそ日本遠征に際しては、勝敗もさることながら情報収集にこそ精力を割いていたのであった。


 「はっ。まず日本は、東に伸びる島国です。南へと、南宋の後背を掩護できる位置へと伸びているわけではありません。そのこと確認を取りました」


 むしろ北の方でクイ(アイヌ)の島(樺太)へと連なっているのではないかと、それも確信に近かったけれど。

 だからどうということはない。宋から遠い分には問題無いのである。


 「また彼らは自国を守るのに精一杯、宋に兵を出す余裕はありません。海を挟んでいるせいか、そもそも外界に対する関心が薄いようです。……それゆえ内応を誘うのは、現状困難があるかと」


 必ずしも海外への関心が薄いわけではない。日本はこの時期密偵を半島に送っていたし、そもそも隋唐宋明と王朝が代わるごとに必ず使節を送っている。

 だが大陸に生き、陸続きで接する人々に比べれば危機感、あるいは期待感や投機心の点でも、切実さにおいて及ばぬところはどうしても生ずる。


 茶丘はその鈍さが好きになれなかった。

 日本の連中はなかなか合理的な戦をしていた。その頭があって、なぜモンゴルに属する利を、小さなしがらみを捨て世界につながることの合理性を理解できぬのかと、苛立ちを覚えていた。

 

 そうした個人的な感情は棚に上げ、茶丘がさらに日本の風俗、その軍事力、武具や何かの珍奇さを伝えるにつれ、クビライは上機嫌になっていった。

 これはお喜びいただけたか……と、少し安堵した茶丘であったが、しかし思わぬ褒辞に慌てて平伏することとなった。


 「よくやった、茶丘! 百聞は一見に如かずと言うが、お前のその見立てこそ信用できる。……日本が伐宋の妨げにならぬか、それだけが気がかりであったのだ」


 小さな我欲に溺れるはずもないではないか、天なる大カーンが。日本にまつわる小咄で大カーンを喜ばせようとした今の自分は、「黄金の国」の話を吹き込んだ山師と変わらぬでは無いか。

 戦に勝てぬとこうまで卑屈になるものかと、茶丘は己の情け無さにその身まで縮むような思いをしていた。



 だが破顔したクビライは、茶丘のその様子に目もくれず、上機嫌で傍らを振り返っていた。


 「聞いたかバヤン。やはり日本は東へと伸びているそうだ。従来の書物は、何をもって南の海上にあると述べていたのであろうなあ」


 呼びかけられたのは、その引き締まった口元に意志の強さと威厳を感じさせつつ、まなざしの深さに穏やかさと朗らかさを感じさせる男であった。

 衆に優れた容貌を持ちながらも軽薄さなどいささかも持ち合わせてはおらず、それでいて堅苦しくも無い。そこにあることがごく自然に感じられる男。


 知らぬ人とて無い名宰相、中書左丞相のバヤンである。

 40代を前にして、すでにクビライ政権の柱石であった。

 ゆったりとした口調で下問に答えていた。


 「河北の王朝は日本からの使節を受けることで、『江南にある王朝の後背を脅かすことに成功した』と喧伝したかったのでしょう。そのため日本は南に存在している『必要があった』。そういうことかと」

 

 「ほう! バヤンは漢人のこころも理解しているか。やはりお前にしか任せられぬな」


 並居る重臣たちが、ある者は太いため息をつき、またある者は逆に息を詰めていた。

 クビライのそのひと言は、伐宋の大任が誰に委ねられるかを改めて示すものであったから。

 大カーンはバヤンを召還していたけれど、それは信頼が揺らいだことを意味してはいなかったのだ。


 自分に委ねられるはずは無い。そのこと承知していた茶丘ですら、やはり残念に思う心をとどめられなかった。


 その心を知ってか知らずか、クビライが再びバヤンから茶丘へと視線を転じた。


 「茶丘よ。しばらく東にかかりきりであったお前の話を聞くのも久しぶりだ。どうだ? 我がモンゴルは、これからどうすべきかな?」



 これが茶丘の位置であった。

 いまだ「試される若手」。だが、だからこそ、遠慮など不要。 


 「全ては大カーンのご決断しだい」


 ここで切ってはいけない。

 大カーンはご意見を求めておいでだ。まだるい謙譲などかえって不遜。


 「……ではありますが、日本遠征の任を賜った時には、いよいよ水上の戦にとりかかるものかと、胸躍る心地でおりました」

 


 「ほう。茶丘は江を下って攻めるべきだと言うのだな?」



 来た、と思った。

 茶丘には以前から温めていた構想があったのだ。

 

 「はっ。古来、江南を攻め取る際の手順は決まっております。『まず蜀を落とし、年単位あるいは十年の単位で力を溜めつつ荊に圧力をかけ続けて占領。後、機が熟するのを待ち一気呵成に攻め下る』です」


 茶丘はモンゴル語を、漢語の語調で語っていた。

 東方で最も発達した言語……抽象化に優れた言語であったから。



 クビライの目が細められた。

 ふむ? とひとこと、茶丘に続きを促していた。


 「秦始皇のみぎり、王翦将軍が最初の実践者です。次いで楚漢における漢高祖も、意図せずこのかたちを取ったと言うべきでしょう。漢光武は例外です。江南の勢力が蜀よりも先に投降しておりました。のち晋の呉に対する、隋の陳に対する、みな同じです」


 焦らず、されど淀み無く。

 それだけを念頭に置いて、茶丘は熱弁を振るっていた。


 「失敗した者の代表例が魏の曹操、前秦の苻堅、また近いところでは金王朝です。先に蜀を落としておかなかったか、時を焦り荊で圧力をかけ足りなかったか、そのいずれかです。蜀を落とさず挑めば、自軍の力不足を曝すことになります。荊で時間をかけねば、敵の国力を削ぎきれません。これ敵を知らず、己を知らぬものと評さざるを得ません」



 クビライの目が光を失った。

 感情が動いた証である。

 帝王は心の動きを見せてはならぬゆえ、ますます細められたまぶたの奥底へとその感情を押し込めるのであった。


 「バヤンよ、どう思う? お前の意見は?」


 口調にも同じことが言える。

 素っ気無い時ほど、楽しんでいるのであった。



 「取るべきところの多い意見かと存じます。では、私から……。やはり西、荊から攻めるべきです。ただ理由が洪将軍とは違います」


 バヤンがクビライの幕下に参加したのは、茶丘が20歳の時であった。

 周囲の大臣が、クビライが、洪俊奇を小字によって「茶丘」と呼ぶ中、バヤンひとりが彼を官職名で呼んでいた。公人として扱っていた。

 当時はおとな扱いされているようで嬉しかったけれど、どこか他人行儀でもあるような。今となってはそんな気がしなくもないと思うのだから勝手なものだと、茶丘が小さく自嘲しているその間にも、バヤンは持論を開陳していた。


 「東より南下する経路、淮河を南へと進軍して江東を目指す方法によってはなりません。淮南江北は『手を出したほうの負け』という地域。平地が広がるゆえ陸戦の強さが求められ、しかも最後に……江東の勢力からすれば最初ですが……水軍の力を求められます。一国がその力をともに有つことは難しいかと」



 茶丘には、真っ直ぐに大カーンを見つめるバヤンの目つきが気になっていた。


 意見を述べた後も、まっすぐに大カーンを見詰め続けるバヤンの目が。


 何かを伝えようとしている? 

 そう思い、改めてバヤンの言葉を脳内で反芻しているうちに、茶丘にはその語尾が気になり始めた。


 「その力をともに有つことは難しい」

 それは、つまり。

  

 「いまモンゴルは、陸の王者でありながら海に手を出そうとしている」。

 並立させる国力はあるのか、そう問うていると。

 視線を外そうとしないバヤンを見ているうちに、茶丘のその思いは確信へと変わっていった。


 ……あなたはそれを問うのか、不遜ではないのか?

 ……いや、それを口にしてこそ王佐と、大カーンの宰相と言えるのか?

 

 その時自分の中に起きた感情を、茶丘はどう表現してよいか分からなかった。

 怒りであるのか、感動であるのか。

 外へ……バヤンを評しているのか、己に向かう感情であるのか。

 

 ……大カーンのお心に添う、そのご指示に従うことこそがモンゴルに対する忠義、誠実ではないのか?

 


 混乱する茶丘を置き去りにして、重大な決定が下されていた。

  

 「みなの意見も茶丘・バヤンと同じであるか? ……よし、ならば勝利は疑いない。我らはすでに蜀を落とし、先代以来数十年荊に圧力をかけ続け、二年前(1273年)に襄陽・樊城を落としている。バヤンよ、仕上げはお前に任せる。前年の招諭、改めて心せよ。『無辜の民は初めより預かる無かれ。将士は妄りに殺戮を加うる毋れ』」 


 その厳かな宣言にどうにか我を取り戻した茶丘は、ふたたびバヤンを食い入るように眺めていた。

 

 「正面軍」を任されたバヤン。

 茶丘から見て8つ年上。


 才覚で劣っているつもりは無かった。

 年齢が、重ねた実績が違うからだと思いたかった。 

 ……バヤンがチンギス・カーン以来の名門出身で、自分がモンゴル族ではないからとは、思いたくなかった。

 それは下劣な感情である。

 父が高麗人だという茶丘の出自ばかりを見てその政策を見ない連中と変わらぬではないか。自分はモンゴル人だ。つまらぬしがらみになどとらわれぬ、世界に、理に生きる男であると。


 歯を食いしばるようにして、茶丘はどうにか踏みとどまっていた。

 酸いものを、飲み込んだ。

 日本遠征に失敗した己が悪いと。



  

 「洪将軍!」


 退出後そのバヤンに声をかけられるのは、つらいものであったけれど。

 


 「兄上!」


 そうだ、君祥もいたのであったと、茶丘は再び踏みとどまった。

 洪君祥は南征に同行し、バヤンの幕下で軍務に就いていた。

 宋の軍人を投降させるべく、あるいは投降を申し出る者たちのための窓口として、大活躍を見せていた。


 穏和な君祥。モンゴルに付くことの利を、理を尽くして説いていた。

 いや、その人柄により、敵将の疑心暗鬼を解いていた。

 

 ――君祥こそがモンゴル人を、世界に生きることの意味を、ごく自然に体現している男かもしれない――

 

 そんな弟に情け無いところを見せられるか、男として負けられるかと。

 あらためて背筋を伸ばし、胸を張った茶丘。それを見てバヤンも声を励ました。



 「万の兵を率いての渡海作戦、前代未聞のこと。洋の東西を問わず、この世界初の壮図であろう」


 世界初……世界規模でものを考える。

 そう、それこそが、自分の夢見ていた大モンゴルのはず。

 高麗も金も宋も波斯ペルシャも――漠北も――無い、この世界モンゴルに生きる男の本懐であったはず。


 肩にのしかかる凝りのような、胃の奥に重くもたれていたしこりのような。

 そんな何かがほどけていくような気がした。


 やはりと言わんばかりに、バヤンも頷いていた。

 

 「大カーンは、その大きさで物を見ることができる人材を求めておいでだ。昭勇将軍、いや茶丘。そして双叔。君たち兄弟にはそのことを覚えておいてもらいたい」



 やはり自分はこの男に及ばぬ、そう納得しそうになった茶丘。

 だが腹の底から、何かがむくりと突き上げてきた。胸のうちで、言葉へと変わった。


 ――今は、まだ――


 茶丘のその視線を受けるバヤンも、なぜか肩をそびやかしていた。

 年長に、遠くに見えていた40前の男が、若やいだ……30過ぎの男に見えて。 


 茶丘はその胸に、さらに熱いものが生まれるのを覚えていた。


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